親鸞に学ぶ幸福論

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人間関係のいざこざの多くはこれが原因

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【愚痴(1)】


愚痴」とは仏教の言葉ですが、

今日の日本でも、普段よく使われる言葉です。

「あいつ、また愚痴ってる」とか

「あんたの言うこと愚痴ばかりじゃない」というように、

しゃべることとして使っていますが、

元来の意味は、「うらみ」「ねたみ」の心のことです。

幸せな人を見ると面白くない、なんとなく不愉快になる心です。

 

仏教に説かれる108の煩悩の中でも

特に私たちを苦しめ、悩ませるのが「愚痴」の心だと

説かれています。

私たちはこの愚痴により、人とぶつかり、傷つき、苦しんでいます。


兄弟が仲違いするのも、その原因の多くは「ねたみ」です。

親は兄ばかりかわいがって、妹ばかりかわいがって、と

嫉妬で兄弟仲が悪くなり、

大人になってからもその思いを引きづる人も少なくありません。

 

会社の人間関係のいざこざも、

愚痴が端を発していることが多いようです。

「上司はあいつばかり引き立てやがって」

「なんで向こうの方が評価されるんだ」と

もやもやしている思いがあるのですが、

それをそのまま言うと醜いので、

もっともらしい理由を言い並べているだけです。

「あのやり方では長期的に見れば成功しない」とか

「こんなことではこれからの会社が心配だ」とか言いますが、

これら実は全部、後講釈です。

そう言わせている本当の原因は「ねたみ」です。

言っている本人自身が、自分の意見の根っ子に

「ねたみ」があると認めていないことが多いのですが、

よくよく心を見つめてみると分かります。

心の底に醜いものが見え隠れしています。

 

会社の派閥、クラスでの不仲、兄弟同士のケンカなど、

人間関係のいざこざの多くは、

ねたみやそねみが原因になっているようです。

 

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出家せずとも救われる道をひらかれた親鸞聖人

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【出家(4)】


親鸞聖人は9歳の時、出家され、比叡山に入られました。

ところが清らかな山だと思われた比叡山は、

すでに俗世と変わらぬ、煩悩に穢れた「穢土」でした。

見栄えのいい叡山の金堂宝塔も、その中では派閥争いが繰り返され、

難行苦行を掲げながらもそれは形だけで、

僧たちの個人生活には無数の醜が隠されているのを知られたのです。

 

周りが不真面目だと、「朱に交われば赤くなる」で、

自分だけ真面目に修行しているのがばかばかしくなり、

いつしか怠惰で楽を覚えていくのが私たちの常ですが、

親鸞聖人はそういう方ではなかったようです。

煩悩にまみれた僧侶を反面教師に、

「オレだけでも戒律を守り抜いてみせる」

「煩悩を克服してみせる」と、

一人固く誓われ、修行学問に励まれるのでした。

 

その誰よりも真摯な学問修行から、

やがて親鸞聖人は、叡山の麒麟児(きりんじ)

と呼ばれるようになりました。

 

ところが親鸞聖人は、ご自身の心を真面目に見つめられ、

こう仰っています。

「こころは蛇蠍(じゃかつ)のごとくなり」

「親鸞の心の中には、醜い蛇やサソリがうごめいている」

と告白懺悔されています。

蛇やサソリを見た時、背筋がぞっと寒くなるような、

気持ち悪い感じがしますが、

この蛇やサソリの心とは、他人の幸せを妬んだり、

他人の不幸をくすくす笑っている心のことです。

わが身ながら、なんて醜い心だろうとぞっとする心です。

親鸞聖人は、妬み嫉みの心がとぐろを巻いている

ご自身の心に驚かれたのです。

醜悪さを隠蔽している比叡山を責めるお気持ちの親鸞聖人でしたが、

それ以上に醜悪な心を隠しているのが、

他ならぬ私の実態ではないか、と愕然とされたのでした。

 

どうしたら、この煩悩の火を消すことができるのか、

決死の修行に取り組まれるものの、

どうにもならないご自分の醜い煩悩に苦しまれ、

こんな心のまま死んだらいったいどうなるのか、

不安な心に居ても立ってもおれなくなり、

ついに比叡山を下りられたのでした。

9歳で出家されてから、20年の月日が流れていました。

 

その後間もなく法然上人とお遇いされ、

煩悩の塊のまま救われる本当の仏教を知られた親鸞聖人の喜びは

余人の想像を絶するものだったでしょう。

「もし法然上人にお会いできなかったら、

せっかく人間に生を受けながら、二度とないチャンスを失い、 

永遠に苦しんでいたにちがいない。

親鸞、危ないところを法然上人に救われた」

と感泣されているお言葉が残されています。

ここに「出家」せずとも、

「在家」のままで救われる大道がひらかれたのです。

 

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出家の僧が集う聖なる比叡山の実態とは

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【出家(3)】


私たちが住む「この世」のことを、仏教では「穢土」といいます。

「穢土」とは、穢れた世界、「煩悩」に穢れた世界ということです。

常に私たちは収入や名声や容姿など人と競い、争い、

結果として劣等感で苦しんだり、慢心で驕ったり、

嫉妬に身を焦がしたりしていますが、

そのような心を「煩悩」といいます。

 

煩悩によって常に苦しみ悩む人類は

煩悩を抑えるにはどうしたらいいか、常に思索してきましたし、

今も書店に行けば、煩悩をコントロールするにはどうしたらいいか

を指南する本が並びます。

 

親鸞聖人も、煩悩を克服するために

9歳で出家され、比叡山で修行に励まれました。

今でこそ比叡山は観光の名所ですが、当時は女人禁制の地。

世俗の権力も立ち入ることも禁じられていました。

地位や名誉、財産、家族など近くにある環境だと、

愛欲や名利の心で執着が生じ、怒りや恨みも起き、

争いになるので、それらを遠ざけるために

修行の山に入られたのです。

木や石しか周りにない環境なら、心かき乱されることなく、

一途に仏道修行に打ち込めるようになるだろう

と思われてのことでした。

 

ところが清らかな山であるべき比叡山は

すでに乱れに乱れて、この世のことに染まりきっていたのでした。

僧侶は公家や貴族に取り入るために、

元来仏教の教えにない加持祈祷に奔走し、

庶民からは税を搾り取るだけで相手にしません。

また自分たちの権益を通そうと、

道理の通らぬ強訴を繰り返していました。

きらびやかで見栄えのいい寺院や堂塔も、

その中は絶えず醜い派閥争いが繰り返されていました。

難行苦行を掲げているのも形だけで、

僧たちの生活は乱れきっていました。

 

そんな当時の僧侶の実態を知られ、

親鸞聖人はこうも仰っています。

「この世の本寺・本山のいみじき僧ともうすも、法師ともうすも、

うきことなり」

“この世で名門とされる大きな寺の名僧高僧などといわれるものは、

私にはイヤでたまらぬ連中である”

よほどうんざりする思いをされたのでしょう。

 

たとえ出家して、僧の衣に身を包み、頭を丸めていても、

人間は例外なく皆、煩悩の塊ですから、

「穢土」でないところはないのです。

いつの時代も、どこへ行っても、

この世に「穢土」でないところはありません。

修行の山もそこはやはり「穢土」だったのです。

 

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出家とはどんな意味か、目的は何か、仏教の教えから解説

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【出家(2)】


金正男氏が暗殺されました。

後継者をめぐっての兄弟同士の権力闘争は、

歴史上、幾度となく繰り返されてきました。

一般家庭でも親の遺産をめぐって

兄弟が諍いを起こす事態もありますが、

これが一国の権力をめぐってともなると、利権も大きく、

このたびのような残酷な事態になります。

 

このような悲劇をさけるための一つの手段として昔から

権力者の間で用いられてきたのが「出家」という方法でした。

「私は世俗と離れた身、あなたの権力を脅かす心はございません」

という自己表示をして、権力争いから身を引くことです。

金正男氏も一昔前なら「出家」という方法で

難を逃れることができたかも知れません。

そのような狙いでの「出家」は、

本来の目的とはほど遠いものといえましょう。

 

では昨日からお話ししている女優の清水富美加さんの

「出家します」はどうでしょう。

これも彼女の信仰する「幸福の科学」の専属職員になること、

だそうなので、仏教でいう「出家」には当てはまりません。

 

本来の「出家」とは、世俗を離れ、戒律を守る僧侶となることです。

不飲酒戒(酒を飲まない)、

不殺生戒(肉を食べない)、

不邪淫戒(結婚しない)

などの仏教の戒律を守るのが、出家の僧ですから、

「出家」とは、相当の覚悟が要ります。

 

そのような戒律を守り、厳しい修行をする目的は、

「煩悩を克服して、さとりを得る」ことにあります。

欲や怒り、恨み妬みといった煩悩によって、

私たちは日々、苦しみ、悩み、罪を造り、

その報いを受けて苦しんでいますから、

その迷いの輪を断ち、さとりを得るための修行でした。

 

出家の僧は、煩悩から離れた生活をするために、

比叡山や高野山といった修行の山に入ります。

酒を飲んだりすると、忍耐心もなくなり、怠惰にもなりますので、

山では、酒は禁止。

異性が近くにいると執着や嫉妬を生じ、心が乱されるので、

山は女人禁制です。

 

今日、一日体験修行と称して、高野山などの宿坊に泊まり、

朝早く起きて座禅したり、写経したり、

精進料理を食べたりするそうです。

一日、二日くらいの体験なら、

それも一つのワクワク体験かも知れませんが、

生涯、肉を断ち、結婚を諦め、娯楽に背を向け、

煩悩を抑えていく生活ですから、壮絶な決断が必要でしょう。

 

親鸞聖人が出家されたのは9歳の時でした。

煩悩によってずっと苦しみ、悩み、罪を造り、

人を傷つけ、報いを受けてさらに苦しむ自己の姿に驚き、

この穢れた世界から抜け出したいと強く思われたからでした。

 

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女優の清水富美加さんの「出家」について

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【出家(1)】


女優の清水富美加さんが「出家します」と語ったことが報道され、

「出家」という言葉が話題のワードになっています。

彼女のいう「出家」とは、

彼女の信仰する「幸福の科学」の専属職員になることだそうです。

本来「出家」とは仏教の言葉なので、

仏教でいうところの「出家」の正しい意味について

今日はお話しいたします。

 

「出家」とは、世俗を離れ、戒律を守る僧侶となることです。

男性ならば女人禁制の地で、

女性ならば男性が立ち入ることのできない尼寺で、

ひたすら仏教の学問修行に打ち込むことです。

その目的は、煩悩に振りまわされない生活をするため。

愛欲や名利といった煩悩が、私たちを苦しませているのだから、

そこから離れる生活をするということです。

 

出家の者が異性のいないところで生活するのは

異性がいると、愛欲が生じ、執着も増すからです。

結婚し、子供も生まれれば、余計そうなります。

嫉妬や競争心や虚栄心や欲目などの醜い心も出てきます。

妻のせいでイライラさせられ、

子供のことで憂鬱が絶えず、と

常に妻や子供が煩悩をかきたてる縁となるので

「家庭」から離れるのです。

 

商売人が出家した、武士が出家した、というのも、

歴史上よくある話しです。

商売していくと、損得感情で常にせわしく

相手の財布のひもを緩ませる駆け引きに長けていき、

それで儲けても、さらなる金儲けの方法がわかってきますので、

ますます財欲がかき立てられ、心が穏やかになれないので、

「商い」から離れ、仏門に入る人がありました。

 

また武士や貴族は、位階や官職を競って、

駆け引き、騙しなどの権謀術数、

暗殺、戦などの血なまぐささが絶えないので、

その修羅の世界を厭い、「武士や貴族の世界」から離れ

出家する人もありました。

 

家庭、商い、武家、そういった煩悩をかき立てる環境から離れ、

心静かに仏道修行に打ち込むために「出家」するのです。

 

親鸞聖人も、自分を苦しませる煩悩をなんとかしたいと

9歳の時に出家されています。

当時の仏教の中心地、比叡山に入られました。

では、親鸞聖人は清らかな山で、煩悩が滅し、

穏やかな心になられたのでしょうか。

出家について、次回に続きます。

 

 

 

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私が幸せになれない本当の原因とは

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【自業自得(1)】


私が幸せになれない原因は何か、

たいていの人はこう考えます。

「こんな親の元に生まれたからだ」

「こんな人と結婚したからだ」

「こんな子供を持ったからだ」

「こんな会社に入ったからだ」

「上司がこんなだからだ」

「部下がこんなだからだ」

「この病気のせいだ」

「日本が悪い」

「時代が悪い」

といったものでしょう。

 

このようなものの考え方を

仏教では「他因自果」といいます。

「他」とは、自分以外の何か、ということで、

親、夫、妻、子、会社、上司、部下、国、時代、などです。

 

上司が悪い、そのために苦しんでいるんだ、と思う人は、

上司が原因で(他因)、

私がこんなひどい目にあっている(自果)と思っています。

こんな不況だからダメなんだ、と思う人は

時代が原因で(他因)、

自分の店は上手くいかない(自果)と思っている、

これらは「他因自果」の考え方です。

 

この「他因自果」のものの考え方を

一切否定されたのが、釈迦であり、仏教です。

苦しませる理由を

「上司ではなくて、会社の体質だ」とか、

「会社ではなくて、時代のせいだ」とか、

どんな鋭い視点を持ち出したところで、

それが自分以外の「他」である以上、「他因自果」ですから、

そういう考えを仏教は一切否定されている、ということです。

 

自分が苦しんでいるのは一見「他因自果」としか思えませんが、

冷静に、客観的に見れば、それでは説明できないことがあります。

たとえば上司のせいで苦しんでいる、と

思いこんでいる人は多いですが

考えてみれば、決してその上司の部下がみんな、

自分と同じように苦しんでいるのではない、と気付きます。

あるいは不景気が原因で苦しいと思っている人も多いですが、

不景気でも収益を倍増させている店もあるものです。

 

それはなぜだろうか、と考えが至った時、

実は上司のせいではなくて、時代のせいでもなく、

自分の何かに原因があるのではないだろうか、と

ここに初めて自己の問題に目が向くのです。

 

「なぜ他の人と違って、私はこんな目に遭うのか」

ところがそこでまた迷いやすき私たちは

「幼児期のトラウマ」「守護霊が悪い」「運気の悪い時期」

などまたしても「他因自果」の発想がでてくるのです。

 

どこまでいっても、なかなか自分にメスが入らず、

私たちは人生を暗くさせている原因が自分にあるとは思えません。

このメルマガは形をかえ、何度も「自因自果」「自業自得」ですよ、

と回数を重ねてお話ししてきましたし、

それを共感して読んで下されている方もありますが、

そんな方でもふだんの生活で、ふと気がつくと

「他因自果」の考え方に心が占領されてしまっていることに

気付かれることでしょう。

そんな簡単に迷いの心は払拭できるものではありません。

 

しかし自分以外の何かのせいにしている限り、

今の苦しみの輪から脱出はできないと、仏教は説かれています。

仏教は常に「自因自果」「自業自得」を宇宙の真理と説き明かし、

それには万に一つの例外もないと喝破します。

全ては己の蒔いたものが結果となって表れている、と認めることは

辛さを伴いますが、真の幸福にいたる大いなる第一歩です。

 

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大石内蔵助「仇のことは忘れざりけり」

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【出世本懐(2)】


「手を一つ打つにつけても討つという

 仇のことは忘れざりけり」

大石内蔵助の詠んだ歌です。

敵を欺くため、遊興に耽る大石が、

遊女の小唄に手拍子を打ちながら心中深く、

彼にとっての本懐成就である「吉良を討つ」と

執念を燃やしていた、という歌です。

 

遊興三昧の大石に周りの武士仲間は

「あれで武士か」「腰抜け」と嘲笑し、軽蔑します。

今までの名声は地に堕ち、家族や親戚からも愛想を尽かされ、

一般庶民から侮辱されますが、

彼はそれら飲めない泥水もあえて飲みました。

すべては「吉良を討つ」という目的一つのためでした。

 

「出世の本懐」とは、

「この世に生まれてきた目的」ということです。

「これ一つ果たしたら人生悔いなし」という、

人生究極の目的を指す言葉です。

 

その本懐成就を目指す者、大石の気概があって当然です。

時に耐えがたい屈辱も甘んじて受けねばならないことがある。

家族や友人から嫌われ、孤立することもあるかもしれない。

橋の下の乞食になることも覚悟することもありましょう。

何があろうと、どうということはない。

すべては【出世の本懐を果たすため】です。

 

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