親鸞に学ぶ幸福論

「そんなにしてまでなぜ生きねばならないのか」はっきり示した、メールdeで学ぶ仏教教室です。無料メール講座が好評です。受講者4000人。

忖度って何?と頭抱える外国人記者を何とするか

f:id:kikuutan:20170326191902j:plain

 

【出世本懐(1)】

 

「忖度(そんたく)」という言葉が、話題です。

外国人への記者会見で籠池理事長が

「口利きはなかったが、忖度はあったと思う」

と発言したことから、

「What is sontack?」となってしまった、というもの。

 

日本人でもあまり使わない言葉ですから、

日本語のできる外国人もわからなかったのでしょうが、

それでも日本人なら意味を説明されれば、肌感覚で

言葉の持つ意味を理解できると思います。

しかしこれが日本人独特の文化と生活を知らない外国人には

この言葉の意味を理解するのは、確かに難しいかもしれません。

通訳も相当困ったみたいです。

 

「慮る」「気を遣う」「空気を読む」など、

「忖度」に近い言葉は日本にはいろいろありますが、

「忖度」とは何か、ストレートに言えば

「(言われなくても)意向を察して行動する」

という意味でしょうが、そういう意味ですよといった時点で

「忖度」の意味を失うような気がして、

何しろ難しいところです。

 

ところがこれが日本社会では非常に重視されており、

こういうことに長けている人は、日本の組織では重宝され、

特に政治家なんかにはまず間違いなく求められる資質だと思います。

 

デーブ・スペクターはやはり日本通で

「“忖度”は、便利なようでずるい日本語。

“よろしくお願いします”って、

色んな意味を含み過ぎて英訳できない。

その悪い部分が前面に出た」

と言っていましたが、

「よくわかっていらっしゃる」と言いたくなるコメントです。

 

これがNYタイムズの記事には

「忖度」を、日本政府側の「不法な財政的な行為」と

アメリカ人がスッと分かる表現に変えられ、

分かったようで分からない事件になってしまいました。

 

どこまでを「口利き」といい、どこから「忖度」なのか、

証拠も残らず、法で裁けず、このたびのようなことは

これからも繰り返されるでしょう。

 

「忖度」は、ある意味、“世界にない日本の美徳”として

称賛されるケースもあると思いますし、

このたびのように“世界にない日本の悪徳”として

非難することもありましょう。

結局、「忖度」する人、される人の志、目的、

そこに大義があるか、という根本問題になってくるかと思います。

 

=========


仏教の教えをわかりやすく体系的にお話する

20回の無料メール講座好評配信中。



 

「もっと信心しなさい」と口にする者は仏教を知らない人

f:id:kikuutan:20170325210112j:plain

 

 

【信心(1)】


宗教の教祖や古参の信者が、信者に幸福なことがあると、

「信心しているおかげだよ、よかったねえ」と言います。

一方、不幸なことがおきると、今度は

「信心が足りないからこうなったのだ」と言います。

あるいは「信心しているから、それくらいの不幸で済んだんだ」

と諭して納得させるケースもあります。

なにしろ、信心が強いか弱いかで、

運命が良くなったり、悪くなったりするという宗教は

日本だけでも、ごまんとあります。

 

そういう宗教の集会に行くと、

「こんな不幸が、信心したら、こんな幸福になった」

という体験談のオンパレードです。

いくつも聞かされるうちに、

「私もこれを信心したら、そうなれるのかな」

と思うようになります。

 

「いや、ならんでしょう」と苦笑する人は冷静な人ですが、

人間は苦しくなり、追い詰められた心境になると、ふだんなら

「よくそんな根拠のない、いい加減な話しを信じられるものだ」

とあきれる話しにも【溺れる者はワラにもすがる】で、

助けを求めて、すがってしまうのです。

 

「信心しなさい」「もっと信心しなさい」

「もっともっと信心しなさい」「信心が足りない」

とずっと強いられます。

これに完成はありません。

そういう人たちは、疑わないように、疑わないように、

懸命に力んでいる人ばかりです。

 

=========


仏教の教えをわかりやすく体系的にお話する

20回の無料メール講座好評配信中。



 

真田昌幸の嘆きにショーペンハウエルの言葉を思い出す

f:id:kikuutan:20170324215246j:plain

 

 

有無同然(1)】


昨年の大河ドラマ「真田丸」で、草刈正雄扮する真田昌幸が、

秀吉の家臣となり、秀吉やその側近の顔色を窺う日々に嫌気が差し、

「信濃の国衆と共に、北条や武田と渡り合った日々は、

明日をも知れぬ命だったが、あの時の方がよかった」

と述懐する場面がありました。

 

戦乱の相次ぐ混乱期から

秀吉の天下統一、家康の江戸幕府と安定していきましたが、

それはある面、自由が束縛され、管理される

窮屈な時代の到来でもありました。

真田昌幸のように、その閉塞感を疎んじ、

個々が非常にバイタリティを持って表現できた

群雄割拠の世を懐かしんだ人は、

武将の中にも相当あったように思います。

 

徳川家康は、戦乱の世を終わらせる、という大義を掲げ、

江戸幕府を開き、

「パクス・トクガワーナ(徳川の平和)」と評される、

260年の長きにわたる泰平期を築きましたが、

その平和な時代は、ある面、退屈で、窮屈で、

自己の存在理由が見いだし辛かった人も多かったでしょう。

司馬遼太郎は戦国時代を「明るくて風通しがよく、

個々の人生に可能性があった日本史上最もアクティブな時代」

と評し、「平和な江戸時代の方が暗かった」と述べています。

 

では、どこから敵が攻めてくるかもしれぬ、

いつ家臣が寝返るかもしれぬ、

肉身が人質となり引き裂かれ、無残に殺される、

痛ましい戦乱期の地獄を見てきた人たちは

誰かこの戦乱を収めて平和な暮らしを実現してくれる人はないか、

と切に英雄の出現を、やはり望んだのではないでしょうか。

 

さて、今日の日本ですが、戦争を経験し、

その悲惨さを嫌というほど味わった世代は、80~90代であり、

毎年、次々と亡くなっています。

そういう人は「本や映画では、戦争の悲惨さはわからない」と

言います。

今後ますます日本は戦争を知らない人ばかりになっていきますが、

その中で少なからぬ人たちが、

今の日本の不自由で退屈な日常にため息を覚えています。

「いっそのこと、戦争でもおきたら、閉塞感なくなるだろうに」

という空気もなんとなく漂っています。

 

ショーペンハウエルは

「(人生は)苦痛と退屈のあいだを、振り子のように揺れ動く」

といいました。

戦って苦痛になると、それを嫌がって平穏を求め、

やがて退屈となると、それを嫌がって戦いを求める

人類の歴史は、それを振子のように

繰り返しているようなものかもしれません。

 

=========

仏教を分かりやすく体系的に学べる
全20回の無料メール講座です。
おもしろそうだなと思われた方はこちらから登録できます。
登録解除もいつでも自由なので、一度お試しに覗いてみてください。

 

「一から分かる仏教」無料メール講座
メールアドレス:
お名前:

紀伊国屋亦右衛門が仏門に入ったエピソード

f:id:kikuutan:20170323212134j:plain

 

【出世本懐(1)】

 

かつて日本国内の長者番付で上位に入った不動産会社の社長は、

70歳を過ぎてからこんな思いを抱くようになったと、

雑誌社の取材で答えています。

「70歳を過ぎた瞬間に、すべてが虚しくなりました。

自分の人生を振り返って、人間として今後いかにあるべきか

を考えるような年齢に達したんです。

いまの商売はもう広げません。後片付けの段階ですね。

私の友人でも、資産家が4~5人いましたが、

みんな50歳前後で逝ってしまいました。

みんな、いまが永遠に続くと思っていたんですが、

おカネはあの世に持っていけませんからね。残酷なものです」

 

この方は70歳まで、商売を広げ、高収入を目的に、

人一倍突き進んでこられたのでしょうが、

己の死を見つめられた時

「おカネはあの世に持っていけない」と直感され、

すべてを虚しく感じられたのでしょう。

 

この方だけではない、

みな財産と名誉を追い回し、日々、一喜一憂していますが、

そんな日常のまどろみに、突如として「死」が襲います。

一人一人の眼前に「なぜ生きる」と突きつけられる時です。

その時、今までの信念は総崩れになり、

底知れない闇に一人ぼっちで向かう己の姿に愕然とするのです。

 

そんな闇黒の死がいつ襲いかかるか分からないから、

何をどこまで手に入れても、常に人生が虚しいのだよ、と

釈迦は説かれています。

 

この真実に驚いて仏門に入った人のエピソードを紹介して、

今日の内容としたいと思います。

========

京都の紀伊国屋亦右衛門は若い頃、大きな商家で働いていた。

非常に才気があり利口だったので大変可愛がられた。

あるとき主人が亦右衛門を呼んで言った。

「おまえはいかにも商売向きの才能を持っている。

金百両を与えるから、思う存分好きな商売をやって

一千両にしたら帰ってこい」

 

大層喜んだ亦右衛門は、早速、商売に出かけた。

初めから大きな商売をしては失敗するかもしれぬ。

小さい商いから始めて確実に利益をあげてゆこうと考えて、

まず紙屑を買ってちり紙にすき直して売った。

三年間に三百両でき、五年間でついに千両の財産を作った。

「先年頂きました百両で、千両の資本を作りました」。

亦右衛門は帰ってお礼の挨拶をした。

 

主人は彼の商才に感心して、

「才能のある人間だと見込んではいたが、驚いた奴だ。

今度はその千両で一万両作ってみないか」と激励した。  

五、六年して亦右衛門は、言われたように一万両にして帰ってきた。

主人は驚嘆して今度は十万両にせよと言ったので、

三年後にそれも成し遂げた。

 

ますます欲が深まってきた主人は、

さらにそれで百万両儲けて帰れと命じた。  

この時、亦右衛門は、

「十万両を百万両にするのは百両を一万両にするよりも

容易いことですが、命あっての金であります。

どれだけあっても金は、これで十分とは思えません。

人間の欲には限りがない。

限りなき欲の奴隷に私はなりたくはありません」。

きっぱりと主人の要望を断り仏門に入ったという。

 

=========

仏教を分かりやすく体系的に学べる
全20回の無料メール講座です。
おもしろそうだなと思われた方はこちらから登録できます。
登録解除もいつでも自由なので、一度お試しに覗いてみてください。

 

「一から分かる仏教」無料メール講座
メールアドレス:
お名前:

暗殺をずっと恐れていた金正男氏の心境を仏教の視点から語る

f:id:kikuutan:20170321210948j:plain

 

【無常の虎(1)】


マレーシアで暗殺された金正男氏は複数の友人に

「いつ殺されるかも知れない」

「弟は私を殺そうとしている」

と何度か漏らしていたといいます。

7年前にも、北京で北朝鮮の工作員に襲われていますが、

その時は間一髪で難を逃れて未遂で終わっています。

 

自らと家族の暗殺を心底恐れ、

なんとか回避しようと努めていたのでしょう。

北朝鮮国家主席であり、弟でもある金正恩氏に

「私と私の家族を殺さないでほしい」と手紙を送り、

その文面も非常に丁寧な敬語を用い、

まるで家来が王に宛てたかのような書き方だったそうです。

 

それでも、悲劇は起きてしまいました。

ずっと暗殺者に狙われていた彼の心境はいかばかりでしょう。

私がもし金正男氏の立場だったら、日々の生活は

生きた心地がしないものになったに違いありません。

後ろを歩く人があれば、目が合えば、食べ物を運んでくる人も

みな暗殺要員ではないかと思えてきます。

人ごみも怖い、暗い夜道も怖い、酒を飲んで酩酊するのも危険、

おそらくどんな娯楽も心から楽しめないことでしょう。

 

しかし考えてみれば、金正男氏だけでなく、すべての人に

絶対に逃れられない「死」がやってきます。

しかも金正男氏の時と同様、

それはいつ何時、どこで襲い掛かってくるか、予想はつきません。

 

仏教では「死」を虎にたとえられ、「無常の虎」といわれます。

同じ肉食獣でも、狩の仕方はいろいろで、

チーターは、持ち前のスピードで獲物を追い詰め、しとめます。

ライオンは集団で狩をし、獲物を誘い込んでいきます。

さて、虎の狩りはどうかといえば、

あの迷彩色でジャングルに身を隠し、

忍び足で近づき、突然襲いかかります。

突然やってくる【死】の実態からいっても、

釈迦は「虎」にたとえられたのでしょう。

 

北朝鮮工作員が金正男氏暗殺の機会を虎視眈々と狙っていたように、

私やあなたの背後にも確実に無常の虎はいて、

音も立てずに忍び寄り、やがて必ず飛びかかってきます。

そんな無常の虎に狙われているから、

どんな財産や名声を手にしても、心からの安心、満足が築けず、

なぜか不安で虚しいのだと、釈迦は説かれています。

 

=========

仏教に教えられた生きる意味を分かりやすく体系的に学べる

全20回の無料メール講座です。

今すぐこちらから。 

「一から分る仏教」無料メール講座
メールアドレス:
お名前:
 

北朝鮮のミサイルのニュースから仏説を憶う

f:id:kikuutan:20170320200618j:plain

 

 

【出息入息不待命終(1)】


北朝鮮の在日米軍を標的にしたミサイル発射実験や、

相次ぐ恫喝まがいの声明に、

東アジア情勢が緊張してます。

このたびのミサイル実験でかかった経費が

一説には900億円ともいわれています。

国民が飢えようがお構いなしに、

ミサイル開発技術に投資するあの執着は、

怖ろしいものがあります。

持っていたら使いたくなるのが人間、

しかも彼らにとってミサイルは「虎の子」であり、

国営放送の言葉を借りれば「国民の誇り」だそうなので、

かなり物騒です。

 

その中に日本に標準配備されているミサイル弾も

100発はあると言われ、核も持っています。

在日米軍基地だけでなく、

日本各地の原発もミサイルの標的でしょう。

 

あの日、昼下がりの午後、緩やかな時間で流れていた

普段と変わらぬ三陸海岸の漁村は

あっという間に津波にのまれて一変してしまいました。

まさかこんなところまで波は来ないだろう、と

津波警報も実感できず、逃げ遅れた人も多数でした。

同じように何の変哲もない日本の町の日常が

突然ミサイルの爆撃で火の海になることも、

可能性としてはあります。

 

「出息入息 不待命終」

(しゅっそくにゅうそく ふたいみょうじゅう)

というお経の一節を思い出します。

「出る息は入る息を待たず、命終わる」

と読みます。

吸った息が吐き出せなければ、吐いた息が吸えなければ、

その時が、死ぬ時です。

何気ない、意識することもなく繰り返している呼吸ですが、

「死」は常にこの吸う息吐く息と触れ合っているのだよ、

と釈迦は説かれているのです。

 

セロトニンで幸福になれるはずがないと説く仏教

 

 

 

f:id:kikuutan:20170318185517j:plain

 

 

【法鏡(3)】


お釈迦さまは「仏教は法鏡なり」と説かれています。

「法鏡」とは、「真実の姿を映す鏡」ということです。

「常に欲と怒りの心に振りまわされていること」

「いつ死ぬかわからぬ、はかない命であること」

など仏教で赤裸々にされる人間の本当の姿は

時に私たちが目を背けたくなるほどですが、

お釈迦様がそのように説かれるのは、

私たちをいたずらに暗く沈ませるためではなく、

現在の人生に、真の安心と満足をもたらす第一歩だからです。

 

今日ネットで出回っているエクスタシーなどの麻薬は

服用後30分で幸せな気分になり、

赤の他人とですら、すぐに親密感が生まれるそうです。

元々はベトナムの戦場から戻った兵士のトラウマを抑えるために

開発された薬ですが、今は市民に出回りました。

脳細胞からセロトニンをシナプスへ放出し、

またセロトニンが脳細胞に再吸収されるのを防ぎ、

約3時間~5時間にわたって幸福感が続きます。

しかし繰り返し使用すると

通常のセロトニンの伝達が阻害されていきますので

悪質な副作用を覚悟しなければなりません。

これでは怖くて、手を出せません。

 

ではもし今後、副作用がまったくなく

死ぬまでずっと多幸感を得られる薬が開発されたとしたら、

どうでしょう。

あなたはそれを飲み続ける人生を選びますか。

 

ハーバード大学の哲学者ロバート・ノージックは

「経験マシーン」という架空の例を用いて

この点について有名な考察をしています。

脳の快楽部に何らかの電波が送られ、

何もしないでも快楽感、幸福感が感じられるというマシーンです。

このように何もしなくてもマシーンの力で

快楽を感じるような人生を送りたいか、

と学生にアンケートをとると

同意するのはごく少数派だったそうです。

 

人間は幸福を追求して、科学、医学、経済、法律、

あらゆる努力を続けてきたのですから、

薬物やマシーンの力で幸福感をずっと感じられるなら、

それこそ科学の最高の形ではないかとも思えますが

なぜかそれを拒む学生の、その気持ちは、

真実を知りたい、そしてかりそめの安心や満足ではなく、

本当の安心、満足を求めたいという、

仏教でいうところの「菩提心」といえましょう。

 

=========

仏教の教えを分かりやすく体系的に学べる
全20回の無料メール講座です。
おもしろそうだなと思われた方はこちらから登録できます。
登録解除もいつでも自由なので、一度お試しに覗いてみてください。

 

「一から分かる仏教」無料メール講座
メールアドレス:
お名前:

=========


仏教の教えをわかりやすく体系的にお話する

20回の無料メール講座好評配信中。