親鸞に学ぶ幸福論

「そんなにしてまでなぜ生きねばならないのか」はっきり示した、メールdeで学ぶ仏教教室です。無料メール講座が好評です。受講者4000人。

与えることだけを考えられた阿弥陀仏

f:id:kikuutan:20170511205940j:plain

 

 

【摂取不捨(1)】


昨年末の大掃除では思い切っていろいろ捨てて、

部屋の中がすっきりしました。

整理整頓の「こんまり」さんの、

「ときめかなかったら捨てる」を見習い、どんどん捨てました。

その時思ったことですが、

私たちは日頃いろいろなものを捨てながら生活しています。

着たいと思わなくなった衣類、壊れた電化製品など。

要らないものは捨てます。

交際相手と別れたり、社員を解雇したりと

人を捨てることもあります。  

 

捨てるか、捨てないかを決める基準は、

私たちの都合、損得勘定です。

自分にとって得なら「捨てない」、損なら「捨てる」

それが私たちの基準です。

 

親鸞聖人が阿弥陀仏の本願を

「摂取不捨の真言」と仰っているのは、

絶対に私を見捨てない願いだからですが、

阿弥陀仏が「絶対捨てない」と誓われていることに、

阿弥陀仏の「都合」は一切ありません。

私を捨てないことが、阿弥陀仏にとって

何の得があるのか、というと、全くない。

ただ与えることだけを考えられ、

苦しみ悩む者を救うことしか頭にないのが、仏の大慈悲です。

 

この如来の大慈悲を知らされた親鸞聖人は

「如来大悲の恩徳は身を粉にしても報ずべし」

「阿弥陀如来の洪恩は、身を粉にしても報い切れない」

と感泣されたのです。

 

=========

 

生きる意味を明示された親鸞聖人の教えをわかりやすく、
体系的にまとめた全20回の無料メール講座です。
おもしろそうだなと思われた方はこちらから登録できます。
登録解除もいつでも自由なので、一度お試しに覗いてみてください。

 

「一から分かる仏教」無料メール講座
メールアドレス:
お名前:

人間関係をよくする「シーソーの法則」とは

f:id:kikuutan:20170509202412p:plain

 

 

【自利利他(2)】


「シーソーの法則」をご存知でしょうか。

シーソーの中央に一個のボールがあります。

そのボールをこちら側に引き寄せるにはどうしたらいいでしょう。

【向こうを上げて、こちらを下げる】ことです。

コロコロとボールはこちらにやってきます。

逆に【こちらを上げて、向こうを下げる】と、

ボールは自分から遠ざかります。

 

さて、ボールにたとえたのは「相手の心」です。

【相手を上げて、自分を下げる】とは、

「がんばっているのはあなたで、怠けているのは自分だ」

「苦労しているのはあなたで、楽しているのはオレだ」

と見ていくことです。

すると、自ずと相手の心はこちらに近づきます。

 

逆に、【自分を上げて、相手を下げる】とは、

「自分はこんなにがんばってるのに、あなたはいつも怠けている」

「オレばかりが苦労して、あなたは楽ばかりしている」

こう思っていると、必ず相手の心は離れていきます。

 

一例を挙げます。

「あれオレ詐欺」という言葉があります。

「振込み詐欺」は当初「オレオレ詐欺」といわれていましたが、

「オレオレ詐欺」ならぬ、「あれオレ詐欺」です。

 

会社のある課で、一つの大胆なプロジェクトを

部下の社員が提案してきた際、渋面の課長が

「そんなの、通用するはずないじゃないか。

できなかったらオマエ責任取れよ」

と否定的だ。

ところが思いのほか、そのプロジェクトが成功し、

会社に大きな貢献をした。

その時に否定的だった課長が、社長や重役に、なんと

「あの企画は私が考えて実行しました」

と得意然と報告したのに、部下は開いた口がふさがらない。

そんなのを【あれオレ詐欺】というそうです。

こんな上司は部下からの信用は失います。

 

逆に自分が企画創案して成功に導いたプロジェクトであっても

「うちの課の○○が頑張りました」

と部下のアイデアや仕事ぶりを立てて報告する課長なら、

部下から慕われ、尊敬され、

上司からも一目置かれる人となりましょう。

 

【「おれが」「おれが」の我を捨てて

 「おかげ」「おかげ」のげで暮らせ】

「頑張ってるのは私、楽しているのはあなた」

の心を捨てて

「頑張っているのはあなた、楽しているのは私」

と自覚していきたいものです。

そしてそれは「そう思おうね」「そうふるまおうね」

ということではなく、

たいていの場合は事実です。

=========

仏教の教えを分かりやすく体系的に学べる
全20回の無料メール講座です。
おもしろそうだなと思われた方はこちらから登録できます。
登録解除もいつでも自由なので、一度お試しに覗いてみてください。

 

「一から分かる仏教」無料メール講座
メールアドレス:
お名前:

どうしたら分かってもらえるか、という思いを捨ててかかると、思わぬ世界が開ける

f:id:kikuutan:20170507212255j:plain

 

 

【自利利他(1)】


「どうしたら、わかってもらえるのか」

「どうしたら、認めてもらえるのか」

と悶々とすることは私たちによくありますが、

こういう悩みは、悩んだ割には、

あまり生産性がないことが多いようです。

そもそも悩んだところで、どうにもならないことが多いです。

そんな時は、その悩みをいい加減なところでほったらかしにして、

視点をがらっと変えてみたらどうでしょう。

 

「どうしたらわかってもらえるか」という問いではなく、

「どうしたらわかってあげられるだろうか」

「どうやったら認めてもらえるか」ではなく、

「どうやったら、周りに喜んでもられるか」

という質問をあえて自分に投げかけてみるのです。

 

すると不思議なことに、人のことでアレコレ悩んでいると

自分の悩みがいつの間にか霧消しているのです。

そしていつしか恵まれ、大事にされるようになっています。

 

松下グループ創始者松下幸之助は、

「あなたが世の中に対して提供した、

価値の10分の1があなたに返ってくる」

と言っています。

 

常にこれは意識していないと

「どうやったら儲かるか」

「どうやったら相手は、自分を認めるようになるのか」

という問いがどうしても先走ってしまいます

そうなると、どんなよい方法があったにせよ、

相手の心を動かして、相手のお金や時間や気持ちを

こっちに引っ張り込もう、ということになりますから、

相手は警戒しますし、面白くない気持ちになります。

 

「ほしい」という発想を頭からはずして、

「どうしたら、この人に喜んでもらえるか」

という問いを真剣に考えてみるところから

努めていったらどうだろう。

遠回りのように見えて、

堅実に自分も恵まれるようになっていくのです。

 

仏教では、この精神を『自利利他』といいます。

他人を幸せにする(利他)ままが、自分の幸せ(自利)となる。

他人も生かし、自分も生きる、

これが『自利利他』の道です。

これから数回にわたって『自利利他』の仏教の教えをお話しします。

どんなおしゃべりな人でも、心に秘密の蔵を持っていると説く仏教

f:id:kikuutan:20170505162838g:plain

 

 

【独生独死独去独来(4)】


どんなにおしゃべりな人でも

本当に自分に都合の悪いことには、口が固いものです。

ときに、自分の欠点や失敗話をさらすことはあっても、

そこはちゃんと計算済みです。

「こんなに謙虚なんですよ」の自己アピールでしょう。

 

「私ってさー、秘密を作れないタイプでしょ?

だから何でもしゃべってしまうの」

と言ってますが、それは人が言ってほしくないスキャンダルは

しゃべってしまう、というのであって、

あるいは自分の自慢話を黙っておれない、のであって、

これをしゃべると、自分が明らかに損をする、低く見られる、

ということなら、どんなおしゃべりな人でも言わないものです。

 

「これだけは死んでも人には言えない」

というものを、誰でも持っています。

「そんなことはない。私はあの人なら何でも言えるよ」

という人は、言えるところまでは何でも言える、ということです。

あるいは自分の本心を、自分でもわかっていないから、

そんなことが言えるのでしょう。

 

親鸞聖人は「心の中は、蛇やサソリのようだ」と告白されています。

本心を知れば、「そんな人とは思わなかった」と皆あきれ、

背を向けて逃げ出すに違いない、そんな心を持っています。

だから人は一生懸命、本心を隠そうとやっきになっています。

 

仏教では、心の奥底の秘密の蔵があって、

その扉に頑丈に鍵を閉めて、誰にも見せないようにしている、

と説かれています。

独生独死独去独来

(どくしょうどくしどっこどくらい)

だからみな孤独なのです。

 

その心の扉が開けられ、

そのまま救う仏の大慈悲に感泣するときが

絶対の幸福に救い摂られた時です。

 

 

=========

生きる意味を説かれた親鸞聖人の教えを分かりやすく体系的に学べる
全20回の無料メール講座です。
おもしろそうだなと思われた方はこちらから登録できます。
登録解除もいつでも自由なので、一度お試しに覗いてみてください。

 

「一から分かる仏教」無料メール講座
メールアドレス:
お名前:

「この人は理想のパートナーだ」と人が思う瞬間とは

f:id:kikuutan:20170503155425j:plain

 

独生独死独去独来(3)】


「理想のパートナーは?」という談義になると

けっこうみんなスラスラと自分の意見を言います。

このテーマは、定型文のように、

自分の中で答えを決めているんでしょうね。

よくある想定内の会話なのでしょう。

 

しかし男性でも、女性でも、「理想の人は?」と問われたら、

言いはばかるので、あまり口にこそしませんが、

本当のところは「自分をわかってくれる人」と

なるのではないでしょうか。

 

女性なら、自分の素の姿をそのまま全部受け入れてくれて、

深く理解してくれて、それでいて、

「そんな君が好きだよ」と包み込んでくれる男性。

そんな人がいれば、心から安らげるのではないでしょうか。

別人のように化粧して、経歴も詐称して、

見栄と体裁でうそ半分の会話をして

その結果、好かれたところで、いつまで関係が続くか不安ですし、

自分を飾るのも疲れますし、寂しくなるものです。

 

男性でも、自分の等身大のすべてを知った上で、

「そんなあなたが大好きです」と

心からついてきてくれる女性があればいいなと思います。

 

そんな人とめぐり合えたら、私達は孤独から救われます。

「そんな人、いるわけないじゃん」と口では言っても

心の中はやはり求めてしまっています。

私達は「わかってほしい」「わかってほしい」と

寂しさに心が渇き、魂の理解者を求めているといえましょう。

 

(おっ、この人、相性いい。わかってくれる人だ!)

と結婚するのですが、結婚してしばらくたつと、

(この人は私のことを全然わかっていないし、

わかってくれようともしない)

と、愕然とさせられます。

一つ屋根の下で暮らしながら、寂しくなります。

 

不倫も「わかってほしい」の渇望感から始まるようです。

「妻はぼくのことなんかちっとも理解しようとはしないんだ」

「わかってくれるのは君だけだよ」

「夫は少しも私のこと、わかってくれない」

「私を理解してくれる人はあなただけなの」

という会話のやりとりがここかしこでなされます。

不倫をやめるのも、

「あっ、この人、わかってくれてないんだ」

と知らされて、冷めていくようです。

 

近づけば近づくほど、生活を共にすればそれだけ、

「わかってくれない」寂しさと不満が強くなっていくのは

皮肉なことです。

哲学者の三木清は、

『孤独は山になく、街にある。

一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の『間』にある。』

といいました。

山の中で一人の時は、里に出れば寂しくない

という希望がありますが、

町の中で、大切な人に囲まれていても、

わかりあえない寂しさこそ、真の孤独を感じるときです。

 

釈迦は魂の理解者がいない孤独を『独生独死独去独来』といわれ、

酒やゲームや薬物で埋め合わせようとしても埋められない、

底の知れない寂しさである、と説かれています。

ところがその釈迦が、その底知れないほど寂しい人生が

無限に楽しい人生にガラリと転回する絶対の幸福があることを

明らかにされているのです。

親鸞聖人は、その世界を「無碍の一道」といわれています。

親は子供の住んでいる世界をのぞき見ることさえできない。カルマの生み出す世界とは

f:id:kikuutan:20100713153644j:plain

 

【独生独死独去独来(2)】

 


「夫は夫の生み出した世界に住んでいる。

妻は妻の生み出した世界に住んでいる。

同じ屋根の下で暮らしていても、世界は違う」

先回、そんな話をしましたが、これを仏教では

業界(ごうかい)』といいます。

 

『業』とはインドの言葉で『カルマ』、

日本の言葉では『行為』のことです。

・思ったこと ・しゃべったこと ・やったこと

この3つを『三業』というのですが、これは各人異なります。

育った環境も、受けてきた教育も、経験してきた仕事も、

付き合った人も、休日にしている趣味も皆違います。

それら各人の業(カルマ)の生み出した世界に

一人一人住んでいる、その世界を『業界』というのです。

 

夫の業と妻の業は違います。

だから同じ屋根の下で二人で住んでいても、世界は違います。

己の業の生み出した世界に、ぽつんと独りぼっちでいるのです。

 

夫は部下との人間関係で悩んでいます。

その悩みを奥さんに「理解してくれ」と要求しても、

それは難しいでしょう。

奥さんは、その会社に勤めた経験もなければ、

その役職についたこともないのですから、

夫の苦しみはわかりません。

よく一日署長といって、アイドルが警察官の格好しますが、

奥さんがちょうどそのように

「一日会社員、一日課長となって、

夫の会社の大変さを体験してみましょう」

と取り組んだところで、わかるものではありません。

何十年も勤めてきてこそ、感じている悩みなのですから。

 

一方、妻の苦しみを夫がわかってやりたいと思っても

これもわかってやれません。

奥さんは、姑のことで悩んでいる。

それをわかってもらいたいと思って妻は一生懸命話するのですが、

夫からしたら、実のお母さん、ですから、

「何で母とうまくやってゆけないのか。ちっともわからん」  

となります

 

親子でも同じことです。

親は親の世界に住んでいて、子供は子供の世界で生きています。

夫婦の場合、本質的には赤の他人ですが、

親子は同じ血を分けた仲ですから、わかり合えると思っています。

特に母親はわが子を自分の分身のように思う人もあります。

しかし現実はお互い、もう分かり合えない。

 

子供は親に

「親はぼくの気持ちなんかちっともわかってくれない」

と腹を立てます。

親は子供に

「なんで親の気持ちがわからないの」

と苦しんでます。

「わかってくれない」

「わかってくれない」

と自分を理解しようとしない相手に、

怒りのつぶてを投げつけてしまっています。

しかし、わからないのは当然ではないでしょうか。

昭和40年代生まれの親と、平成生まれの子供とでは、

育った環境、学校や親からの教育、影響受けたマンガや本、

ずいぶん違いますから、同じものを見ても、同じものと見ません。

 

『一水四見』という仏教の言葉もこのことを説いたものです。

一つの水を

○人間界は飲み物と見る

○畜生界の魚は住処と見る

○餓鬼界の者は炎と見る

○天人はルリと見る

という意味ですが、『業界』をいわれたものなのです。

 

相手の世界を「お前の業界、どうなの?」

と覗き見ることさえ、許されません。

独生独死独去独来」(釈尊)

最初は「わかりあえる、この人となら」と歩み寄るのに、

皮肉なことに、近づけば近づくほど、

わかりあえていないことだけが知らされていくのです。

 

=========

仏教の教えを分かりやすく体系的に学べる

全20回の無料メール講座です。

今すぐこちらから。 

「一から分かる仏教」無料メール講座
メールアドレス:
お名前:
 

分かってくれない旦那にいらつく妻。実は旦那もそう思っている

f:id:kikuutan:20170430214811j:plain

 

 

【独生独死独去独来(1)】


仏典に『独生独死独去独来

(どくしょう・どくし・どっこ・どくらい)

(独り生まれ、独り死す、独り来たりて 独り去る)

とあります。

「人間はみな生まれてから死ぬまで連れのない一人旅だ」

と釈迦は説かれています。

 

こう聞くと

「そんなことないよ。おれには親も友人もいるし、恋人もいる。

けっして一人ぼっちじゃない」と反論される方もありましょうが、

ここで釈尊が「連れがいない一人旅」といわれているのは、

「心の連れがいない」ということです。

兄弟や恋人や家族などの「肉体の連れ」は、私たちにあります。

しかし「心の連れ」がいない、とお釈迦さまは説かれたのです。

 

「心の連れ」がいない、とは

【お互い心の底から分かり合える人がいない】ということです。

同じ屋根の下に住んでいる夫婦でも、住んでいる世界は違います。

夫は夫の生み出した世界に住んでいる。

妻は妻の生み出した世界に住んでいる。

 

夫が会社で辛いことがあり、ふさぎこんで家に帰ってくる。

どうせこの苦しみを妻に言ったって、わかりっこないと黙ったまま、

メシ、フロ、ネルで寝てしまう。

 

奥さんは、奥さんで、姑とのことで悩んでいる。

それを、夫に相談しようと思っていたのに、

夫が不機嫌そうにしてすぐ寝てしまうので、

やりきれない気持ちになる。

「私のことなんか、ちっともわかってくれない」と心が叫ぶ。

 

夫は夫で、「妻なんかおれの気持ちを分かってくれない」

妻は妻で、「夫は私の気持ちなんか分かってくれない」

お互いに悩んでいます。

わかってくれない、わかってくれない、と

相手に怒りをぶつけています。

 

しかし、心を反転してこう自問してみたらどうでしょう。

「あなたがわかってくれないと苛立っている相手の悩みを、

あなたはどれだけわかってあげられていますか?」

「相手の悩みをわかってあげようと努めてますか?」

 

自分は相手のことをわかってあげられていない、

なんとかわかってあげたいと悩んでもいない、

向こうに悩みなんかあるんかい、程度にしか考えていない。

それでいて自分だけが、

「わかってくれない冷たい人だ」

と怒りの刃を向けているとしたら、ムシがよい話しです。

 

同じ屋根の下、共に暮らす夫婦も、

やはり『独生・独死・独去・独来』

心の連れではない、と説かれています。

 

=========

仏教を分かりやすく体系的に学べる

全20回の無料メール講座です。

今すぐこちらから。 

「一から分かる仏教」無料メール講座
メールアドレス:
お名前:
 

=========


仏教の教えをわかりやすく体系的にお話する

20回の無料メール講座好評配信中。