親鸞に学ぶ幸福論

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日々心で何を思っているかで人生に差がつく

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【意業(1)】


ノーベル化学賞を受賞したアラン・マクダイアミッド氏は、

「研究室を離れ、グラス片手にぼんやりする一時にひらめく。

私にとって一番大事な書類は、バーのナプキンに書いたメモです」

と語っています。

 

戦後の歌謡界を代表する作詞家である星野哲郎氏は、

マッチの燃えかすをペン代わりに胸に浮かんだ語句を

割り箸の袋やコースターに書き留めて、作詞したそうです。

 

こんな話を聞くと、

「オレは研究室や書斎で苦悩呻吟していても、

なかなかアイデアは出てこないのに、やはり人間の出来が

ノーベル賞の受賞者や有名作詞家とは違うんではないか」

と思う人もあるかもしれません。

 

酒飲み、談笑しながらも、ハッと思いつく彼らの才能に

感嘆してそう思うのでしょうが、

本当に感嘆すべきはそこではありません。

酒を飲んでいても、常に自分の研究、仕事を一時も忘れない、

そのこと一つ考え続けているその姿勢こそ、

真に感嘆すべきところがあるのです。

 

バーのナプキンや割り箸の袋のメモの走り書きは、

彼らの圧倒的な情熱と努力の証です。

常にそのことばかり考えているから、

テレビを見ていても、ご飯を食べていても、酔っ払っていても、

お風呂の中でも、寝起きでも、ハッと思いつくのです。

どうしようかと悩み続け、ずっと考え続けている人

(圧倒的にそのこと一つに専念している人)にのみ、

ふとした瞬間の虚を突くように、

ひらめきという訪問者はやってくるのでしょう。

 

交差点で信号が青に変わるわずかな時間に、

待っている周りの人を観察してみると、いろいろな人がいます。

スマホゲームにいそしむ人もあれば、

他の人のファッションを値踏みしている人、

LINEする人もありますが、

多くの人はぼんやりしているように見えます。

しかしぼんやりしているように見えるその頭の中も、

千差万別、ずいぶん違います。

そういう日常の刻一刻で、何を考えて生きているか、

その各人の差がやがてそれぞれの実を結び、

大きな結果の違いを生み出すのです。

 

仏教では、運命を生み出す原因に三つあると説かれています。

その三つとは、

「意業」思うこと、「口業」言うこと、「身業」やること

中でも、私たちの運命に最も重要な影響を及ぼすのは、

意業」(心で日々何を思って生きているか)だと説かれています。

 

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慢心の塊だから「あいつよりはマシだ」と自惚れる

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【慢(1)】


悪い人間の集まっている処は、と問われたら、

“それは刑務所だ”と答える人が多いかと思います。

ところが刑務所の囚人たちは、

自分のことを悪い人間だとは思っていないといいます。

 

「君は粉飾決算、架空取引の罪でここに来ているが、

 悪いことをしたと思っているか」

「善いことをしたとは思わぬが、俺はただの経済犯だ。

 そんなことで刑務所に入れるのはどうかと思う。

 暴行や傷害罪より、余程ましだと思っている」

 

そこで傷害犯にきいてみる。

「悪いことをしたと思っているか」

「善いとは思わぬが、人を殺したより余程ましだと思っている」

と、平然と答えます。

 

では殺人犯の囚人はどうか。

「そりゃ相手に気の毒とは思っているが、

 あれはカッとなっての一時の出来心だった。

 こないだテレビで話題になったあいつなんか、

 連続で人を殺した殺人魔だったでないか。

 あれは人間じゃないよね」

と言います。

どこどこまでも「あいつよりましだ」とうぬぼれます。

慢心からはどこまでいっても離れ切れません。

 

「俺って、最低だよな」

と自嘲気味に言った時に

「そうだ、お前を最低な奴だと言っている奴、何人もいるよ」

と返せば、とたんに血相変えて

「誰、そんなこと言っているのは?」

と詰め寄ってくる。

 

「この件は私に問題あったと思います。申し訳ありません。」

と頭下げたときに

「そうだよ、お前のせいだよ」

と言下に返されると、カチンと来て

「しかし私だけのせいかと申しますと、実は~」

と語気を強めて食って掛かる。

 

慢心の固まりである人間は自己を正しく見ることはできない、と

お釈迦様は説かれています。

 

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ホモサピエンス全史と仏教の共通点とは

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【勤苦生死之本(2)】


話題の本『ホモサピエンス全史』では、

今までの歴史書は「帝国の勃興と滅亡」「社会構造の変遷」

「戦士の勇敢なこと」「芸術的な創造活動」

「テクノロジーの発見と伝播」などの研究テーマとしてきたが、

人類究極の目的である「幸福」を問題にしてこなかったことを

「人類の歴史理解にとって最大の欠落」と指摘し、

「この欠落を埋める努力を始めるべきだ」と提案します。

 

そして「人類は歴史上、幸福だったことはあったか」

「農業革命、科学革命といった革命は、人類を幸福へ導いたか」

という、壮大なテーマに挑戦したこの本の結論は

「幸福になれていない」というものでした。

「私たちは何を手に入れたいのか、からわかっていないようだ」

との痛烈な考察で、本が終わっています。

 

仏教を説かれた釈迦は、

人類史を一変させる革命が起きて、世の中がどう変わろうと、

幸福になれないのは、全人類は心が病気だから、と説かれています。

「熱病の者は、どんな山海の珍味も味わえないように、

心の暗い人は、どんな幸福も味わえないのだ」

とも釈迦は説かれました。

熱が出て頭が痛い、悪寒がする、吐き気もする。

そんな時、目の前にどんなご馳走を並べられても、

とても食欲がわきません。

食べても気持ち悪くなって吐いてしまいます。

食事は苦痛でしかありません。

この場合、食事が苦痛なのは、

料理が不味いからではない、品数が少ないからでもない、

その原因は、自分が熱病だからです。

健康でお腹すいているときなら、

目の前のご馳走がおいしく味わえます。

いや、そんなご馳走でなくてもいい。

ご飯に漬け物でも、おいしくて、ご飯がどんどん進むでしょう。

 

それと同様、心が病気だから、人類史を激変させる革命の数々も、

一向に心に感謝がなく「なんで生まれてきたんだろう」と、

人生の虚しさはずっと続くのだと説かれています。

 

この心の病気は、精神科や神経内科に通院している、

一部の人の病気ではなく、

すべての人のかかっている心の病です。

精神科の医者も皆かかっている病です。

病名を「無明業障の心の病」といいます。

では「無明業障の心の病」とはどんな心なのか、

仏教は徹底的にこれ一つ、明らかにされています。

 

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では無明業障の心の病とは何なのか、仏教の教えをわかりやすく体系的にお話する

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苦しみの元を断ち切って、真の幸福になる仏教の教えとは

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【生死勤苦之本(1)】


「あなたはなぜ苦しいのか」と人に聞けば、

返ってくる答えは十人十色です。

「金がないからだ」

「病気だからだ」

「こんな人と結婚したからだ」

「才能がないからだ」

「こんな性格だからだ」

皆、人には分からぬそれぞれの憂苦をかかえて生きているものです。

なんとかこの苦しみを無くせないか、せめて軽減できないかと、

日夜努力をしているのが、私たちの生活といえましょう。

 

ところが仏教では今挙がったような苦しみは

「苦しみの枝葉」であり、「苦しみの根元」ではない

と説かれています。

枝葉は切り取っても、また次々と枝葉が生えてくるように、

人生の苦しみも、一つ解決すれば、「一難去ってまた一難」で

また違う苦しみが生じます。

 

たとえば夫の暴力に苦しんでいた女性がいた。

「いっそのこと別れなさい、まだあなたは若いのだから」

と心配した周りが忠告すると、

「はい・・そうなんですが・・・」

と女性は煮え切らない態度で、なかなか一歩が踏み切れないでいる、

そんなケースはよく耳にします。

夫の暴力が原因で苦しんでいるなら、

別れればいいじゃないか、と思いますが、

なぜ奥さんは躊躇するのでしょうか。

それは離婚すれば、夫の暴力という苦しみはなくなりますが、

今度は、女手一つで二人の子供をどうやって育てていけばいいか、

という違った苦しみがのしかかってくるので、ためらうのでしょう。

 

たとえ思い切って離婚し、昼も夜も働き、

経済的になんとかなる目処が立ったとしても、

今度は仕事の無理がたたり、病気になってしまう、

という、苦しみがやってくることもあります。

 

苦しみの枝葉をやっとの思いで切ると、

今度は思わぬところから生えてくる。

その枝を切ると、また違うところが生えてくる。

枝葉を切るのも一苦労だし、どうせまた生えるのなら、

このまま目をつぶって生えたままにしとこうか、と

投げやりにもなります。

切っても生え、切っても生え、

色や形を変えて現れる苦しみをあれこれ対処しているうちに、

やがて力尽きて死んでいく、

それではまるで人間は苦しむために生まれ、

苦しむために生きるようなものです。

 

親鸞聖人は、苦しみの枝葉をどれだけ切っても、

人は苦しみから逃れられないことを明かし、

「苦しみの元を早く断ち切りなさいよ、絶対の幸福になれるから」

と、生涯かけて勧められました。

 

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近江商人に見られる自利利他の精神

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【自利利他(1)】

 

仏教に「自利利他」という言葉があります。

他人を幸せにする(利他)ままが、自分の幸せ(自利)となる、

他人も生かし、自分も生きる道が「自利利他」です。

 

室町時代、近江の商人は、蓮如上人から仏法を聞くようになり、

自利利他の教えを理念とした商売に心がけるようになります。

人の嫌がる商売をしない彼らは「近江商人は三方よしだ」と

遠隔地の行商先でも信用を集めていき、繁栄していきました。

「三方よし」とは、売り手よし、買い手よし、世間よし。

売り手も儲かり、買い手も満足し、

世間も高い評価をする商売のことです。

 

口で言うほど、「三方よし」は簡単ではありません。

大企業が、下請けの中小企業に取引停止をちらつかせて、

不利な価格で叩いて買い取る「下請けたたき」が社会問題です。

大企業も少しでも利益を出すために必死なのでしょう。

 

中小企業も、大企業との契約を勝ち取るために

「背に腹を変えられぬ」とばかりに

安価な不良部品を偽装する事件も起きています。

 

それで故障が相次ぐと今度は不良部品だったことの発覚を恐れて、

大企業と下請け会社が密談の上、リコール隠しをします。

やがてそれが明るみになり、世間中からの信用を失墜し、倒産する

という事態は何度も繰り返されてきました。

今もどこかで進行中かもしれません。

 

「自社も良し」「取引他社も良し」「世間も良し」を貫くのは、

口で言うほど簡単ではないので、

「三方よし」を貫く商売をする人は目立ち、信用され、愛され、

長期にわたって繁栄を遂げることでしょう。

 

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親鸞聖人は権力者嫌いだった。なぜ「為政者には近づくな」と言われたのか。

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【悪性(3)】


「権力者に協力してもらい、仏法を伝えたらいいではないか」

「権力者を使って伝えるくらいのバイタリティが必要だ」

という人があります。

そんな人に親鸞聖人は

「権力者に近寄り、その力を借りて、仏法を伝えようなどと

決して考えてはならない」

と諫められています。

 

なぜ親鸞聖人は、権力者に近づくことを戒められたのでしょうか。

それは、権力者を利用しようとする人は、

ほぼ例外なく「ミイラとりがミイラになってしまう」からです。

今までの歴史がそれを証明しています。

 

権力者を利用して仏法を伝えようとした結果、どうなったか。

結局は権力者に利用されてしまいました。

世智に長け、権謀術数の世界で叩き上げてきた権力者の方が、

人を利用することにかけては、何枚も上手です。

権力者を利用しているようで、実際は利用されてしまいます。

気付かぬまま、いつのまにか権力者に利用され、

やがては、絶対曲げてはならない仏法の教えまでを、

ねじ曲げてしまうのです。

 

奈良、平安時代の伝教や弘法がそうでした。

二人は世智にも長け、権力者に近づいて利用しようとしました。

しかし、やはり利用されてしまってます。

当時の仏教の各宗派は、

貴族から財や土地の寄進を受けることを目当てに、

あるいは優遇された既得権益を守ってもらうために

出世や病気治しなど、貴族の願望に応える加持祈祷に

駆けずり回るようになります。

生死出離の道を求めて超然と生きるはずの仏教は、

一握りの権力者の欲望を満たす呪術と成り下がっていきました。

 

伝教や弘法は、権力者を利用して仏法を伝えようとした結果、

仏教をねじ曲げざるをえなくなり、曲げていきました。 

利用しようとしたら、利用されたのです。

 

親鸞聖人が、権力者を嫌われ、

私たちにも「近づくな」と戒めておられるのは、

仏法を絶対に曲げてはならない、正しく伝えていかねばならない、

という護法の精神からでした。

 

 

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権力を持たせてはいけないタイプとは

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【悪性(2)】


「権力」とは、「自分の思い通りにする力」のことです。

権力がない人は、自分の思い通りには事は運びません。

何かと周りからも反対され、数々の規制も受け、

思った通りには行動できません。

 

ところが権力者のやることには、周りも悪く言わず、

むしろ称賛され、進んで協力する人も多いので、

思った通りにできます。

邪魔する法の規制があれば、それを改訂して、

自分の望むことを実現させることもできるのが権力です。

 

思い通りにしたいと志すその人の「思い」が正義ならば、

権力を持つのは良いことではないかとの主張もありますが、

私たち人間の「思い」とは、「正義」と呼べるような、

人に誇れる立派なものでしょうか。

人の物でも自分の物にしたい、

邪魔者はいなくなってほしい、

優れた人を見ると、失敗してほしいと願い、

不幸な人を見ると、面白がる。

そんな醜い「思い」がうごめいているのではないでしょうか。

 

「いや、おれはそんな醜いことは微塵も思ってない。

私利私欲は一切ない。100%正義を思う心しかない。

だからオレに権力をくれ」

と心底から言っている人がいたら、

自分の醜い心に気付いてもいない人なのだから、

自制する心もないでしょうし、

余計そんな人に権力を与えるのは怖いです。

 

せめて己の醜い本性を見つめ、権力の魔力を知っており、

危ないものを手にする覚悟のある人でないと、

権力を持つ上の立場に立ってはならないでしょう。

 

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