親鸞に学ぶ幸福論

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親鸞聖人のご説法に参集した猟師たち

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【殺生罪(1)】


仏教で教えられる「十悪」の一つに「殺生罪」があります。

「生き物を殺す罪」のことです。

殺生は恐ろしい罪であり、これを犯した者は恐ろしい報いを受ける、

と仏教では説かれています。

 

仏教が日本に伝来して長らくの間、

「殺生罪」を犯す輩として蔑視されたのが、

獣や鳥を狩る猟師や漁をする漁師たちでした。

彼ら猟師たちは、

「殺生の限りを尽くすお前たちは仏から助けてもらえない」

僧侶からも、参詣者からも白眼視され、

「どうせ殺生を生業とする自分たちに仏教は縁のない教えだ」

とひがみ、彼らの足が寺に向くことはなかったのです。

 

そんな彼らが仏教を聞き求めるようになったのは、

親鸞聖人という方が現れたからです。

親鸞聖人の教えを聞いた彼らは、仏法の教えに感動し、

聖人の御法話に参集するようになりました。

中にはお弟子となって活躍した人もありました。

 

なぜ仏教の教えに心を閉ざしていた彼らが、

親鸞聖人から聞かせていただきたいと参集したのでしょうか。

それは親鸞聖人が彼ら猟師たちに、

「全人類で、殺生罪を犯していない人は一人もいないのですよ」

と驚くべきことを教えられ、さらに、

殺生罪を造り続ける悪人を救うのが仏の慈悲であることを

明らかにされたからでした。

 

仏教では、一言で「殺生罪」といっても、

殺し方によって三通りに分けられています。

「自殺」「他殺」「随喜同業」の三つです。  

この三つはいずれも恐ろしい殺生罪であり、

罪の重さも同等であると説かれています。

 

最初の「自殺」とは、自分で生き物を殺すことをいいます。

世間でいう、首吊りのような、自ら命を絶つことではありません。
 
食べるために魚や鳥を殺したり、

蜂や蚊に刺されてカッとなって殺したり、

遊びのために釣りや猟で動物を殺すことを「自殺」といいます。

 

次に「他殺」というのは、

他人に依頼して生き物を殺させる罪を言います。

魚屋さんは魚を殺し、肉屋さんは牛や豚を殺しますが、

魚や肉を買って食べる人がいなければ、

それらの人たちは殺生をしなかったでしょう。

肉の好きな私たちが、肉屋さんに頼んで

牛や豚を殺してもらっているのですから、

肉を買って食べる私たちは、自分で殺さなくても、

「他殺」の罪を犯していることになります。  

 

三番目の「随喜同業」とは、

他人が生き物を殺しているのを見て楽しむ罪をいいます。  

ある家で、仕掛けたカゴにネズミがかかった。

さてどう処分すればよいかと奥さんが困っている所へ、

主人が帰ってきた。

「あんた、殺してよ」と奥さんが頼むと、

主人は「よっしゃ」と引き受けてカゴを川へ持っていく。

子供たちはどうやって殺すのか、興味津々で父親についていく。

父親はカゴを川の水に沈めてネズミを殺した。

水中でもがき苦しんで死んでいくネズミを、

子供たちは興味深そうに目をらんらんと輝かせて見ている。  

この場合、実際にネズミを殺したのはその家の主人ですから、

主人は「自殺」の罪を造っています。

頼んだ奥さんは殺すよう依頼したのだから「他殺」の罪です。

見て楽しんだ子供たちは「随喜同業」の罪を造っていますから、

一家そろって殺生罪を犯しています。

 

また、殺されていった魚や牛の肉に舌鼓を打って喜んでいるのも、

仏さまの眼からすると「随喜同業」の殺生罪です。  

 

仏教に説かれている殺生罪を聞かれると、

私たち人間は、おびただしい殺生をせずしては生きられない、

深い業を持っている存在だとおわかりだと思います。

猟師だけではない、すべての人が、殺生せずしては生きられない、

これは私たちの、どうにもならぬ、恐ろしい業なのです。

 

すべての人が、どうにもならぬ悪人だからこそ、

阿弥陀仏は「極重の悪人を必ず救い摂る」と誓われました。

これを「阿弥陀仏の本願」といいます。

親鸞聖人は

「阿弥陀仏の本願によらなければ、

親鸞のような悪人が救われることは毛頭なかった」

と深く感謝され、

万人に開かれた仏の救いの道を、生涯かけて教えられたのです。

 

 

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心が運命に最も大きな影響を与える

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【意業(2)】


幸・不幸の一人一人の運命は、

各人の日々の行い『業(ごう)』によって生じると

徹頭徹尾、明らかにされたのが、仏教を説かれたお釈迦さまです。

釈迦はその行いに三通りあると説かれ、『三業』といいます。

・意業(思うこと)

・口業(しゃべること)

・身業(行動すること)

の三つです。

中でも、私たちの運命に最も重要な影響を及ぼすのは、

意業」(心で日々何を思っているか)だと説かれています。

それはなぜか。

【思っていることが口や身体に表れる】からです。

すべての元は「心」なのです。

 

仏教では、「心」と「口や身体」との関係を、

「川の上流と下流のような関係だ」

と説かれています。

川の上流が「心」、川下は「口」「身体」です。

川の上流に赤いインク塗料を大量に流せば下流は赤く染まり

青いインク塗料を大量に流せば青く染まります。

上流に赤いインクを流しているのに、下流に青い色を望んでも、

それは無理です。

 

「オレはこの事業に人生を懸けているから」と言いながら、

面倒なことは人にやらせたり、根気が続かず何かと怠けるのは、

その人の本心は、その事業に人生を懸けていないのです。

心が本気でないのは、その人の日常生活に如実に表れるから、

すぐわかります。

本当にそのこと一つに懸けている人は、

誰が見る見ないは関係なく、寝食忘れるような勢いで取り組みます。

 

ビジネスやアートなど各界の成功者に

「自分もあなたと同じようになりたい、どうしたらいいか」と

聞いてくる人はたくさんいるそうですが、

それらの人たちを見て成功者たちがよく言うのは

「本気の人はいませんね」

という言葉です。

「『こうしたらいいよ』『こう言えばいいよ』と

どれだけアドバイスしても、『しない』『しても続けない』

で終わる人ばかりだ」と。

それは成功者が、まだ駆け出しの時に心に秘めていたような、

本気の心がないからです。

上流に青いインクを流していないのですから、

下流が青くならないのは当然なのです。

 

 

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日々心で何を思っているかで人生に差がつく

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【意業(1)】


ノーベル化学賞を受賞したアラン・マクダイアミッド氏は、

「研究室を離れ、グラス片手にぼんやりする一時にひらめく。

私にとって一番大事な書類は、バーのナプキンに書いたメモです」

と語っています。

 

戦後の歌謡界を代表する作詞家である星野哲郎氏は、

マッチの燃えかすをペン代わりに胸に浮かんだ語句を

割り箸の袋やコースターに書き留めて、作詞したそうです。

 

こんな話を聞くと、

「オレは研究室や書斎で苦悩呻吟していても、

なかなかアイデアは出てこないのに、やはり人間の出来が

ノーベル賞の受賞者や有名作詞家とは違うんではないか」

と思う人もあるかもしれません。

 

酒飲み、談笑しながらも、ハッと思いつく彼らの才能に

感嘆してそう思うのでしょうが、

本当に感嘆すべきはそこではありません。

酒を飲んでいても、常に自分の研究、仕事を一時も忘れない、

そのこと一つ考え続けているその姿勢こそ、

真に感嘆すべきところがあるのです。

 

バーのナプキンや割り箸の袋のメモの走り書きは、

彼らの圧倒的な情熱と努力の証です。

常にそのことばかり考えているから、

テレビを見ていても、ご飯を食べていても、酔っ払っていても、

お風呂の中でも、寝起きでも、ハッと思いつくのです。

どうしようかと悩み続け、ずっと考え続けている人

(圧倒的にそのこと一つに専念している人)にのみ、

ふとした瞬間の虚を突くように、

ひらめきという訪問者はやってくるのでしょう。

 

交差点で信号が青に変わるわずかな時間に、

待っている周りの人を観察してみると、いろいろな人がいます。

スマホゲームにいそしむ人もあれば、

他の人のファッションを値踏みしている人、

LINEする人もありますが、

多くの人はぼんやりしているように見えます。

しかしぼんやりしているように見えるその頭の中も、

千差万別、ずいぶん違います。

そういう日常の刻一刻で、何を考えて生きているか、

その各人の差がやがてそれぞれの実を結び、

大きな結果の違いを生み出すのです。

 

仏教では、運命を生み出す原因に三つあると説かれています。

その三つとは、

「意業」思うこと、「口業」言うこと、「身業」やること

中でも、私たちの運命に最も重要な影響を及ぼすのは、

意業」(心で日々何を思って生きているか)だと説かれています。

 

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慢心の塊だから「あいつよりはマシだ」と自惚れる

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【慢(1)】


悪い人間の集まっている処は、と問われたら、

“それは刑務所だ”と答える人が多いかと思います。

ところが刑務所の囚人たちは、

自分のことを悪い人間だとは思っていないといいます。

 

「君は粉飾決算、架空取引の罪でここに来ているが、

 悪いことをしたと思っているか」

「善いことをしたとは思わぬが、俺はただの経済犯だ。

 そんなことで刑務所に入れるのはどうかと思う。

 暴行や傷害罪より、余程ましだと思っている」

 

そこで傷害犯にきいてみる。

「悪いことをしたと思っているか」

「善いとは思わぬが、人を殺したより余程ましだと思っている」

と、平然と答えます。

 

では殺人犯の囚人はどうか。

「そりゃ相手に気の毒とは思っているが、

 あれはカッとなっての一時の出来心だった。

 こないだテレビで話題になったあいつなんか、

 連続で人を殺した殺人魔だったでないか。

 あれは人間じゃないよね」

と言います。

どこどこまでも「あいつよりましだ」とうぬぼれます。

慢心からはどこまでいっても離れ切れません。

 

「俺って、最低だよな」

と自嘲気味に言った時に

「そうだ、お前を最低な奴だと言っている奴、何人もいるよ」

と返せば、とたんに血相変えて

「誰、そんなこと言っているのは?」

と詰め寄ってくる。

 

「この件は私に問題あったと思います。申し訳ありません。」

と頭下げたときに

「そうだよ、お前のせいだよ」

と言下に返されると、カチンと来て

「しかし私だけのせいかと申しますと、実は~」

と語気を強めて食って掛かる。

 

慢心の固まりである人間は自己を正しく見ることはできない、と

お釈迦様は説かれています。

 

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ホモサピエンス全史と仏教の共通点とは

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【勤苦生死之本(2)】


話題の本『ホモサピエンス全史』では、

今までの歴史書は「帝国の勃興と滅亡」「社会構造の変遷」

「戦士の勇敢なこと」「芸術的な創造活動」

「テクノロジーの発見と伝播」などの研究テーマとしてきたが、

人類究極の目的である「幸福」を問題にしてこなかったことを

「人類の歴史理解にとって最大の欠落」と指摘し、

「この欠落を埋める努力を始めるべきだ」と提案します。

 

そして「人類は歴史上、幸福だったことはあったか」

「農業革命、科学革命といった革命は、人類を幸福へ導いたか」

という、壮大なテーマに挑戦したこの本の結論は

「幸福になれていない」というものでした。

「私たちは何を手に入れたいのか、からわかっていないようだ」

との痛烈な考察で、本が終わっています。

 

仏教を説かれた釈迦は、

人類史を一変させる革命が起きて、世の中がどう変わろうと、

幸福になれないのは、全人類は心が病気だから、と説かれています。

「熱病の者は、どんな山海の珍味も味わえないように、

心の暗い人は、どんな幸福も味わえないのだ」

とも釈迦は説かれました。

熱が出て頭が痛い、悪寒がする、吐き気もする。

そんな時、目の前にどんなご馳走を並べられても、

とても食欲がわきません。

食べても気持ち悪くなって吐いてしまいます。

食事は苦痛でしかありません。

この場合、食事が苦痛なのは、

料理が不味いからではない、品数が少ないからでもない、

その原因は、自分が熱病だからです。

健康でお腹すいているときなら、

目の前のご馳走がおいしく味わえます。

いや、そんなご馳走でなくてもいい。

ご飯に漬け物でも、おいしくて、ご飯がどんどん進むでしょう。

 

それと同様、心が病気だから、人類史を激変させる革命の数々も、

一向に心に感謝がなく「なんで生まれてきたんだろう」と、

人生の虚しさはずっと続くのだと説かれています。

 

この心の病気は、精神科や神経内科に通院している、

一部の人の病気ではなく、

すべての人のかかっている心の病です。

精神科の医者も皆かかっている病です。

病名を「無明業障の心の病」といいます。

では「無明業障の心の病」とはどんな心なのか、

仏教は徹底的にこれ一つ、明らかにされています。

 

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では無明業障の心の病とは何なのか、仏教の教えをわかりやすく体系的にお話する

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苦しみの元を断ち切って、真の幸福になる仏教の教えとは

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【生死勤苦之本(1)】


「あなたはなぜ苦しいのか」と人に聞けば、

返ってくる答えは十人十色です。

「金がないからだ」

「病気だからだ」

「こんな人と結婚したからだ」

「才能がないからだ」

「こんな性格だからだ」

皆、人には分からぬそれぞれの憂苦をかかえて生きているものです。

なんとかこの苦しみを無くせないか、せめて軽減できないかと、

日夜努力をしているのが、私たちの生活といえましょう。

 

ところが仏教では今挙がったような苦しみは

「苦しみの枝葉」であり、「苦しみの根元」ではない

と説かれています。

枝葉は切り取っても、また次々と枝葉が生えてくるように、

人生の苦しみも、一つ解決すれば、「一難去ってまた一難」で

また違う苦しみが生じます。

 

たとえば夫の暴力に苦しんでいた女性がいた。

「いっそのこと別れなさい、まだあなたは若いのだから」

と心配した周りが忠告すると、

「はい・・そうなんですが・・・」

と女性は煮え切らない態度で、なかなか一歩が踏み切れないでいる、

そんなケースはよく耳にします。

夫の暴力が原因で苦しんでいるなら、

別れればいいじゃないか、と思いますが、

なぜ奥さんは躊躇するのでしょうか。

それは離婚すれば、夫の暴力という苦しみはなくなりますが、

今度は、女手一つで二人の子供をどうやって育てていけばいいか、

という違った苦しみがのしかかってくるので、ためらうのでしょう。

 

たとえ思い切って離婚し、昼も夜も働き、

経済的になんとかなる目処が立ったとしても、

今度は仕事の無理がたたり、病気になってしまう、

という、苦しみがやってくることもあります。

 

苦しみの枝葉をやっとの思いで切ると、

今度は思わぬところから生えてくる。

その枝を切ると、また違うところが生えてくる。

枝葉を切るのも一苦労だし、どうせまた生えるのなら、

このまま目をつぶって生えたままにしとこうか、と

投げやりにもなります。

切っても生え、切っても生え、

色や形を変えて現れる苦しみをあれこれ対処しているうちに、

やがて力尽きて死んでいく、

それではまるで人間は苦しむために生まれ、

苦しむために生きるようなものです。

 

親鸞聖人は、苦しみの枝葉をどれだけ切っても、

人は苦しみから逃れられないことを明かし、

「苦しみの元を早く断ち切りなさいよ、絶対の幸福になれるから」

と、生涯かけて勧められました。

 

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近江商人に見られる自利利他の精神

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【自利利他(1)】

 

仏教に「自利利他」という言葉があります。

他人を幸せにする(利他)ままが、自分の幸せ(自利)となる、

他人も生かし、自分も生きる道が「自利利他」です。

 

室町時代、近江の商人は、蓮如上人から仏法を聞くようになり、

自利利他の教えを理念とした商売に心がけるようになります。

人の嫌がる商売をしない彼らは「近江商人は三方よしだ」と

遠隔地の行商先でも信用を集めていき、繁栄していきました。

「三方よし」とは、売り手よし、買い手よし、世間よし。

売り手も儲かり、買い手も満足し、

世間も高い評価をする商売のことです。

 

口で言うほど、「三方よし」は簡単ではありません。

大企業が、下請けの中小企業に取引停止をちらつかせて、

不利な価格で叩いて買い取る「下請けたたき」が社会問題です。

大企業も少しでも利益を出すために必死なのでしょう。

 

中小企業も、大企業との契約を勝ち取るために

「背に腹を変えられぬ」とばかりに

安価な不良部品を偽装する事件も起きています。

 

それで故障が相次ぐと今度は不良部品だったことの発覚を恐れて、

大企業と下請け会社が密談の上、リコール隠しをします。

やがてそれが明るみになり、世間中からの信用を失墜し、倒産する

という事態は何度も繰り返されてきました。

今もどこかで進行中かもしれません。

 

「自社も良し」「取引他社も良し」「世間も良し」を貫くのは、

口で言うほど簡単ではないので、

「三方よし」を貫く商売をする人は目立ち、信用され、愛され、

長期にわたって繁栄を遂げることでしょう。

 

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