親鸞に学ぶ幸福論

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「セールスマンの死」に考えさせられる人間の尊厳

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【人身受け難し(1)】


人の一生の大部分は、仕事に費やされます。

年収500万円の人が40年働いた賃金は、2億円です。

稼いだお金は何に使われるか、分類してみましょう。

3分の1は税金・保険料です。

大ざっぱな計算で食費に3千万。

住居費は首都圏でマンションを構えると5千万。

大学までの養育費は公立で1千万、私立は2千万。

残ったお金で衣服を買い、公共料金を払い、

電気製品などをそろえます。

病気になれば、まだまだ必要でしょう。

自由なお金はほとんどありません。

私たちの時間もお金も体力も、ほとんどは、

生きるために使われているといえましょう。

 


A・ミラーの代表作『セールスマンの死』の一節に

「家の最後の払いは、今日すませました……。

借りも払いも、みんななくなったのよ。

これで、自由になったのよ……」。

と帰らぬ夫に妻は語り続ける場面があります。

昔やり手の営業マンが、老いて業績を下げ、

入社時にはまだ子供だった若社長に解雇され、

ローンは払えず、息子には背かれ、

それでもなお「出世」にしがみつく。

最後、自己の存在を示そうとしたのが、

自殺で保険金をもらうことだった、というストーリーです。

 


裸で地上にやって来て、裸で地下に去ってゆく人間の悲劇を

描いたこの作品は、

「何のために生まれ、何のために生きねばならないのか」

と静かに問いかけてきます。

 

アフリカの天然資源の権益争い

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【小慈悲(1)】


アフリカの発展途上国には、

天然資源に恵まれてはいても、採掘技術がないために、

世界の最貧困国の一つになっている国が少なくありません。

そこに欧米や中国の企業が利権を求めて群がってきます。

それら外国企業の参入を資源の略奪と捉え、断固拒否する人は

「この国は貧しい。この国がきちんと教育を受け、福祉も整い、

国際社会でも誇りを持って対等に他の国と接するには、

天然資源を自分たちで採掘し、経営していかねばならない。

今のままでは外国に食い尽くされるだけで、

形を変えた植民地と等しい」

と主張します。

 


しかし一方で反対意見もあります。

「この国には十分な採掘技術がない。

外国企業の力を借りるしかないではないか。

こうしている間にも、子供たちが疫病や飢餓で死んでいる、

彼らを救う薬も食料もこの国にはない。

外国企業の資金援助や補償金を受け、

国民を助けなければならない」

といいます。

 


いずれの主張も国の発展を願い、

国民のことを思っての意見なので、

お互いが「正義は我にあり」と譲らず、

両者は紛争にまで発展しています。

 


親鸞聖人は人間の慈悲を

「この慈悲始終なし」と歎異抄にいわれています。

どんなに相手のことを思って、何とか助けたいと努めても、

完成がない、卒業がない、これで完璧ということはない、

必ず様々な問題が出てきて、いびつな面が表出する、

それが人間の慈悲の実態だと教えられています。

 

文章上達のポイント。子供っぽい文章を卒業するには

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【布施(3)】

 
仏教で教えられる善行の一つに「布施」があります。

今日の言葉でいうと「親切」のことです。

布施する時の大事な心得が「相手の立場に立つ」ことです。

 


「布施」をインドの言葉で「ダーナ」、

それが転じて「檀那(だんな)」となりました。

「うちのダンナときたら~」と奥さんにぼやかれる「ダンナさん」ですが、

元々の意味は「相手の立場に立って行動できる人」ですから、

世のお父さんは(何を言われようとも)ダンナの自覚を持って

妻子を守っていかねばなりません。

 


一方仏教で「餓鬼(がき)」とは、

「相手の立場に立てない人」のことです。

子供のことを「がき」と言われるのは、

子供はまだ相手の立場に立った言動ができないからです。

 


「あいつも大人になったよな」と言う時に使う「大人」とは、

18歳以上ということではなく、

相手の立場に立って言動を考えられるようになったことを

「大人になった」と、私たちは使います。

逆に、相手の立場に立つことができない人は、

年齢は重ねても「子供」「がき」だといえましょう。

 


今、私は専ら文章を書く仕事をしていますが、

「子供の文章」から「大人の文章」に脱皮しなければという

切実な思いがあり、今日はそのことについて書きます。

 


子供はよく

「さっきね、さっちゃんがね、おもちゃ持って行っちゃったの」

と大人に訴えます。

聞く方は「さっちゃん、って誰?」「さっき、っていつ?」と

わからないことだらけですが、

子供は聞く人がどう思うかまで考えての発言はできません。

「さっちゃんといえば、あの子に決まっているでしょ」

「さっき、というのは、2時間前に公園で遊んでいた時のこと」

と子供の中ではハッキリしていることなので、

相手も同じように分かってくれると思ってしゃべるのです。

 


文章を書いている時も、気をつけなければならないのは実にここで、

相手の立場に立っていないことが多いのです。

読み直してみると、自分しか分からないことを

書いてしまっていることに気付きます。

何度も推敲が必要なのは、

相手の立場に立って書き直さねばならないからです。

・スッと理解できるだろうか

・読みづらくないだろうか

・理由を提示せずに断言していないだろうか

・前の文との流れはスムーズだろうか

常に相手のことを考えながら、読み直します。

 


また様々な読者を想定して、自分の文章を読み返すのも

勉強になります。

ボーッと読み流す人になってみたり、

ケチをつけようと思って読んでみたり、

この人ならどう読むだろうと、想定して読んでみたりします。

こういうことを重ねて気付くのは、

いかに自分の文章が自己本位で子供っぽい文章か、ということです。

 


もう一つ、相手を配慮できない子供のエピソードを一つ。

夏休みにお祖母ちゃんの家に、孫の6歳の子供が

一週間遊びに来た時のこと。

その家には失業中の叔父さんも一緒に住んでいるのですが、

夕食の団欒時の

「ねえ、おじちゃんは何で昼間からいつも家にいるの」

という子供の一言が「その場を凍らせた」そうです。

こんな時、言ってはいけない言葉は何なのか、

相手の気持ちを考えて選別するということも、子供はできません。

 


文章執筆でもまた同じです。

こういうことを書けば、読む人はどんな気持ちになるか、

常に読者の心を意識して書かねばならないのですが、

なかなかこれもできていないことが知らされます。

 


文章に関する本を読むと、どの人も共通して強調しているのは、

「相手の立場に立つ」ことの重要性です。

文章技術の向上と聞くと、

「語彙を増やす」とか「流麗な文学表現」とかを学ぶのか

と思いきや、そんなことよりもずっと大事なのが、

「相手の立場に立つ」ことだと知らされます。

 

 

 

貧困世代を甘えと評する高齢者

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【布施(2)】

 

「おれはやってきたゾ。何でお前はできないんだ」

とつい私たちは思ってしまいますが、

相手の置かれている環境は、自分の時とは大きく違うのですから、

相手の立場をよく知った上でのアドバイス、対処法を

一緒に考えなければなりません。

今日はその一例として「貧困世代」についてお話しいたします。

 


いまの日本の若者は、現在、そして将来も大変な貧困に

陥らざるをえない「貧困世代」であると、

警鐘を鳴らす人が増えてきました。

気付かない間に、あるいは生まれた時からすでに

「窮屈さ」を宿命づけられている世代だと評されます。

 


親世帯の収入が20年前と比べて20%下落するなか、

学費は高騰しています。

1990年代半ばでは、学生の6割以上が

月に10万円の仕送りをもらっていましたが、

今、10万円以上は3割以下で、

5万円未満の学生がどんどん増えています。

そうした中で、学費や生活費をまかなうために

奨学金を借りる学生は51%になっています。

彼らは社会に出る前に300万~800万円という

巨額の負債を背負わされるのです。

 


それでも社会人になり、安定した収入があり、

給料も年々アップし、ボーナスもきちんと支給されれば

返済できるのでしょうが、

非正規社員の割合が高くなり、

残業手当も出ないブラック企業もはびこり、

現在の若者の給与は20年前と比較しても、

格段に安くなっています。

 


若者の実家暮らしが増えているのは、

一人暮らしの家賃が払えないからであり、

「結婚や子育てはぜいたくだ」

「新車なんか想像もできない」

という実態です。

 


それら若者の現状に対して典型的な高齢者(政治家含む)は

「自分たちは何もない中、何とか工夫努力して這い上がってきた。

裕福な時代に生きている今の若者は、当時に比べれば、

大変ではないだろう」と語ります。

そして「若いうちの苦労は買ってでもしろ」と

若いうちに努力して成功体験のある彼らは、

どこかうれしそうにアドバイスします。

 


しかしそれらの高齢者(政治家含む)の意見に、

切実な若者の現状を知るソーシャルワーカーたちは、

「古き良き時代に生きてきたとしかいいようがない」と

憤りを覚えて言います。

確かに昔は貧乏で、物質的に恵まれない時代だったかもしれません。

しかし周囲の人々も同じような環境であり、

近所のおじさんおばさんも若い人の困り事に対応してくれ、

安い下宿先を紹介してくれました。

いずれこの若者たちが社会を支えていくんだと

期待感を持って接してくれていました。

また事実、賃金も上昇していき、

家庭も家も車も持てるようになっていったので、

苦しいけどもがんばろうと思えました。

 


今はどうか。

正社員と非正規社員かで分断され、連帯できる仲間意識もなく、

彼らは孤独です。

家族にも理解してもらえていません。

ある者は奨学金で借金漬けになり、

ある者はブラック企業で身体を壊し、

ある者は不安定な雇用から家賃滞納で住む家を失っています。

それが何か特別に「失敗」をしたわけでもない若者たちの惨状です。

 


日本社会において、経済的にも、人口でも大きな影響力を

持っている高齢者が、これら若者の現状を

「甘え」だとか「軟弱」だとかいう言葉で片付けようとせず、

相手の立場に立って考えていくべき日本全体の問題でしょう。

カディケット『平時のアフター・ユー、有事のフォロー・ミー』

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【布施(1)】

 


仏教で『布施』とは「与えること」です。

今日の言葉でいうと「親切」です。

とかく他人のものを奪ったり、他人を動かして

自分の得になることばかり考えがちの私たちですが、

その発想を180度転換して、

「相手の立場に立って、与えることを考えなさい」

とお釈迦さまは仰です。

特に人の上に立つ人が、心得なければならないこと、

といえましょう。

 


アメリカの陸軍士官学校で、学生の必読書とされている

『カディケット』という「士官候補生心得」の大著には、

紳士たるべき軍人の心得として、

【平時のアフター・ユー、有事のフォロー・ミー

ということが教えられています。

「アフター・ユー」とは「お先にどうぞ」ということ。

平時においては目上の人を敬い、弱者を助け、

謙虚に相手の立場を尊重し、

道を譲るのが洗練された紳士の嗜み。

一方、有事には先頭に立ち、部下を率いる勇敢な指揮官の

フォロー・ミー」(ついてこい)の精神が必要である。

と説いています。

 

後楽園球場の「後楽園」の名前の由来も

指揮官の心得を説いた中国の格言が由来になっています。

「天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」

という格言です。即ち

「天下を治める者は、人々が心配する前から物事を憂い、

 人々が楽しむのを見届けた後に、自身が楽しむ」

という意味を示します。

 

平時は「オレが、オレが」で、人を掻き分けて先頭に立ちたがる

フォロー・ミー」なのに、

何か嫌なこと、危ないこと、難しいことが起こると身を引いて、

秘書や誰かに「アフター・ユー」と

責任を擦り付けるような政治家は、指揮官としては失格です。

 

失ったときに初めて有り難みが分かる

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心施(1)】


富山は稲刈りがすっかり終わり、

涼しい風が少し肌寒く感じられるようになってきました。

やがて木々が紅葉し、それが散る頃にはいよいよ景色は色彩を失い、

雨が多くなり、雷が鳴り、その雨が雪に変わる頃には

一面、墨絵のような風景になります。

それから春までは、うんざりするほどの長い曇天、

あるいは雪の日が続きます。

 


そんな富山の人が年末年始に東京に帰省すると、

寒さは厳しくも、関東特有の乾いたカラッとした晴天に感動して

「冬なのに晴れてる!東京はいいなあ」と何度も口にします。

東京に住んでいるときは私も、

富山の友人がそう口にする気持ちは分かりませんでしたが、

富山に住むようになり、よーーく分かるようになりました。

長靴で雪をかき分け、駐車場の車の雪を落とし、

身を縮めながら傘さして雪道を歩いている日が毎日続くと、

だんだん滅入ってきます。

朝から雲一つない冬の東京の晴天が懐かしくなります。

 


ところがこの思いも、東京に住んでしばらくすれば、

またそれが最初から当たり前に思えて、

晴天の有り難みを忘れてしまうのでしょうね。

 


人間の感謝の気持ちというのは、続かないものです。

○仕事がある。

○「おかえり」と出迎えてくれる人がいる。

○健康で、身体に不自由ない。

これら全て感謝しなければならないことなのですが、

当たり前にしがちです。

失ったときに初めて有り難みが分かるようでは後悔しますので、

今から感謝の気持ちを持って、

またそれを言葉でも表していきたいなと思います。

 

最近の政局に「花いちもんめ」を思い出す

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【願心(1)】


希望の党に公認候補として選出されるか排除されるかで、

民進党の議員が右往左往している最近の政局に、

「あの子がほしい あの子じゃわからん 

相談しましょ、そーしましょ」

の歌を思い出します。

 


子供の時、この「はないちもんめ」で、

小さな胸を痛めた人は多かったと思います。

「○○ちゃんがほしい」と人気者は何度も両陣営から呼ばれ、

目立たない子、嫌われてる子は全然呼ばれない。

一方の陣営が最後の一人になるまでこの遊びが続くとしたら、

残された一人はどんな気持ちになるか、

明らかないじめになる遊びだったと今にして思います。

 


しかしある意味、大人になっても、こういうことは続きます。

就活でも「あの子がほしい」と、複数の会社から

内定を取る学生もあれば、内定通知メールが一通も来ない

という学生もいる。

適齢期になれば、「あの子がほしい」と、

何人からもプロポーズを受ける人もあれば、

まったくないという人もある。

会社でも上司から引き立てられる人もあれば、

相手にされない人もある。

年を取ってから、子や孫から慕われる人もあれば、

孤独死する人もあります。

どこへ行っても、こういう残酷な事態はあることです。

 

 

どうせ自分なんかどこへ行っても、いつになっても、

いてもいなくても同じような存在だから、と

残酷な仕打ちに耐えられず、自ら死を選ぶ人もあります。

 


親鸞聖人はそんな孤独な心を抱えている私たちに寄り添って、

仏法を伝え続けられました。

「そんなあなたを目当てにずっと念じ続けてくださる

仏の救いがあるんだよ」と

生涯かけて教え続けられた方でした。

 

 

 

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