親鸞に学ぶ幸福論

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客は料理の味だけを求めて食堂に行くのではないのだ

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【瞋恚(1)】

 


まだ私が大学生だったときのことです。

学生街の、とある食堂で食事していると、

厨房から、店の主人が誰か従業員に

激しく怒りをぶつけている声が聞えてきまして、

いたたまれない気持ちになったことがあります。

それ以来、その店には行かなくなってしまったのですが、

行かなくなったのは、味というより、

その店の主人への不快感からでした。

 


その店の主人は、指導していたんだと

弁明するかもしれませんが、

主人の言い方や言葉遣いは、

感情をぶつけているとしか思えなかったですし、

百歩譲って指導だったとしても、

客のいないところですべきでしょう。

客に不快な気持ちを抱かせることが、

その店の責任者なのに、分からんとはどういうことだと

思ってしまいます。

少なくとも、あの時、その主人は怒鳴ったことで、

常連客を一人失ったのです。

 


決して客は、料理の味だけを求めているのではない、

心地よいひとときを求めて、お金を払ってその場にいることを

心に留めなければならないと思います。

店の主人ならそういうことはよく分かっているはずです。

だからこそ観葉植物を置いたり、

BGMを気遣ったりしているのでしょうし。

分かっていても頭に血が上ると、

周りが見えなくなってしまうのかも知れません。

 


これは職場でも同じで、怒っている人がいると、

職場全体の空気が固く、ぎこちなく、暗くよどみます。

家庭だともっと悪影響です。

両親が悪態をつき、怒鳴っているのを、

子供はどんな気持ちで聞くか、

子供の気持ちを考えたらできないことが

様々な家庭で見受けられます。

 


怒っていいことは一つもありません。

怒ったあとは自分自身、嫌な気持ちになりますし、

周囲の人を不快にさせ、暗くさせます。

お釈迦様が『瞋恚(怒り)』を

三大煩悩の一つに数えられているのもよくわかります。

 


怒りがムラムラとわいてきて、

言葉や顔や態度に出てしまいそうになるときは

周りの人を苦しませることになると思い留め、

律していきたく思います。

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人間関係で悶々とするときに思い出したい視点とは

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【出世本懐(1)】


ロサンゼルスで布教していたとき、

UCLA(ロサンゼルスの大学)に通う日本人の女子学生で、

仏法の話を聞きたいという方があり、

毎週一時間、個人的に話しをしていました。

今は帰国して外資系の会社で活躍しています。

 


その彼女は、アメリカに来て最初の二年間、

日本人の留学生を多く斡旋している短大

(コミュニティカレッジ)で学んだそうですが、

あえて日本人留学生の輪に加わらず、

現地の人や外国人留学生に積極的に話しかけ、

日本語を使わない環境に挑んだそうです。

「留学先では分からないことが多く、日本人に聞くのが

楽だとわかっていながら、そうしないのは大変だった」

と笑っていましたが、さぞ大変だったと思います。

 


その努力が実り、やがて現地の学生、外国人の留学生とも打ち解け、

UCLAに進学できる学力もついたのですが、

彼女の態度を快く思わない日本人留学生もあったそうです。

「一緒に行動するカルチャーは日本人独特で、

そうしない人への目線が厳しい」のだとか。

 


一方で彼女は、外国人のカルチャーも受け入れられない面も多く、

「私は日本人だなあ」と改めて感じたそうです。

外国人は自己主張が強く、相手の考えを理解できないとき

ストレートに否定するので、

打ち解けたと思っていた外国人の友人の言動で

傷つくこと、イライラすることがしょっちゅうだったそうです。

 


それである時期から肩の力を抜いて、

最初は頑なに遠ざけていた日本語で日本人と話すことをするようになり、

ストレスから抜け出すことができたとのこと。

その時に彼女が付き合っていた日本人の一人が、今のご主人です。

 


外国生活で学んだことは

「自分が何をしたいのか、目標は何なのか、常に確認し、

目先の人間関係に振り回されないこと」

と言っていました。

そういう視点で物事を見つめるようになってから、

哲学や宗教に関心が出てきたそうです。

しっかり学べる環境を求めていたとのことで、

私とのご縁もできたと言っていました。

 


人間関係の悩みに卒業はないので、

悶々とするときはどんな人にでもありますが、

そんな時は

「自分は何のために生きているのか」

常に原点を確認することが大事なのでしょう。

難しいことを難しく話すのは易しく、難しい話を易しく話すのが難しい

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【説法(2)】


図書館で親鸞聖人に関する本をひらくと

浄土真宗、仏教の専門用語ばかりが書き連ねられていて

「これは本当に一般の人に親鸞聖人の教えを伝えたいという

気持ちがあって書いているんだろうか」

と首をかしげたくなるような本がたくさんあります。

真宗学の専門書ならそういう書き方も分かりますが、

表紙を見ると、一般の人向けに書いているはずなのに、

その本の中身は

「分かってもらいたいという思いはないんだろうか」

と腹立たしい気さえする内容です。

おそらく「それってわかりやすく言うと、どういうこと?」

と尋ねたら、筆者はきちんと答えられないのではと思います。

自分がよく分かって、その内容の素晴らしさを知っていたら、

「わかってほしい」と心から思いますから、

そんな読んで分からない者が勉強不足だと言わんばかりの

突き放した書き方にはならないはずです。

こう言ったら言いすぎかもしれませんが、

書かなければならないから書いているというか、

ただ原稿埋めるために書いたのかと邪推してしまいます。

 


池上彰は「週刊こどもニュース」を製作していく中で

「子供たちに本当に勉強させてもらった」と書いていました。

大人向けに伝えたニュース原稿を子供向けに書き直し、

子供に読ませ、分からないといわれたら、

分かるまで書き直すそうです。

いわゆる、子供からのダメ出しです。

子供の素朴な疑問は、往々にして本質を突いていた

と池上氏は言います。

 

 

「難しいことを難しく話すのは易しく、

難しいことを易しく話すのが難しい」のです。

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政治家は言葉が命、仏教講師もそう

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【説法(1)】


都知事選、都議選を圧勝に導いた小池旋風、

国政でも吹くか、と注目された衆院選は、

蓋を開けてみれば自民の大勝でした。

一時は希望の党が自民党を脅かす議席を獲得するのでは

という見方もありましたが、

やがて「希望、苦戦」との報道が大方になり、

「野党第一党にもなれない」と予想され、

このたびの惨敗となりました。

 


潮目が変わったのは「排除」という言葉でした。

小池代表は敗戦の弁で

「自分の言動で不快な思いを抱かせたことは申し訳ない」

とそれを陳謝しました。

 

 

今回のことで「政治家は言葉が命だなぁ」と

つくづく感じさせられました。

失言により、辞任することもあれば、

今回のように世論の不興を買う事態もあるのですから。

 


他人事で語っているのではありません。

仏法を伝える立場にある者も「言葉が命」です。

どんな言葉が人を不快にさせるのか、

よくよく反省し、学ばなければなりません。

 


さらには、どういう言葉を使えば、

深い仏法の教えを分かってもらえるだろうか、

という悩みも片時も忘れてはならないことです。

 


親鸞聖人は一字一句にも細心の注意を払ってご執筆されたのは、

その遺された著作からも窺えます。

たとえば、他力によってたまわる幸福も、

「獲る」と「得る」と、言葉を厳密に使い分けされています。

生きている時に獲た利益は「獲」という字を使われました。

「必ず“大会衆の数に入る(絶対の幸福)”ことを獲る」

「必ず現生に十種の益を獲る」

一方、死後、浄土で得る利益は「得」という字を使われています。

「蓮華蔵世界(弥陀の浄土)に至ることを得る」

 


親鸞聖人がこのように漢字一字一字にまで

こだわって執筆されたのは、

「どうすればこの筆舌尽くせぬよろこびを

一人でも多くの人にわかってもらえるだろうか」

という聖人の果てしなき悩みからでした。

 

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「上見て暮らすな、下見て暮らせ」の幸福観でいいのか

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【相対の幸福(3)】


「相対の幸福」とは、比較する幸福です。

比較して幸・不幸を感じるのが、私たちですから

「相対の幸福」とは、人間のわかる幸福、といってもいいでしょう。

相対の智恵しか持たない私たちは

そういう幸福しか分からないのです。

 


一本の棒だけでは、「長い」とも「短い」とも言えません。

違う棒と比較対照して、長い棒だ、短い棒だと判断できます。

軽重、長短、高低、遅速、すべて比較しないと判断できません。

幸福感も同じです。

幸・不幸は比べて、感じるものなのです。

 


昔から「上見て暮らすな 下見て暮らせ」といわれますが、

幸福が相対的だからこその教訓です。

幸せそうな人を見ると、自分の境遇が惨めで寂しくなり、

おもしろくない心が出てきます。

「みんな幸せになってもらいたい」という理念を

政治家も、教育者も、経営者もこぞって口にしますが、

その理念と反する心が自分の中に見え隠れしているのは、

真面目な人なら、ひそかに気付いているでしょう。

 


同期の友人が出世すると、どんな気持ちになるでしょう。

同級生にどんどん抜かされて、

それでいて友人の幸福を喜べるでしょうか。

口では「良かったなあ」と友人を祝福しますが、

腹底ではそう思えない心がうごめいています。

 


幸福そうな人を見ると、複雑な気持ちになり、

その醜い心を見せつけられ、自己嫌悪に陥ることも多々あります。

だからそんなマイナスな心にならないよう

「上見て暮らすな」という教訓があるのでしょう。

 


逆に人の災難、不幸を見ると、どうでしょう。

「まだ自分はましだな」「感謝しなければならないな」と

どこかホッとしている心が出てきます。

「毎日不満ばかり口から発していたけれど、

感謝の日々を過ごさねばと思いました」

と前向きな意見が聞かれるのは、そんな時です。

 


銃乱射も、北朝鮮のミサイルも、凶悪犯罪も、

眉をひそめて、ひどいねと口々に言いながら、

それが自分に降りかかることのない惨劇であった場合、

刺激的な娯楽として、楽しんでしまう心があります。

みっともないスキャンダルであればあるほど、

面白がってのぞきに行く、記事をあさりにいく心があります。

「大衆は悲劇やスキャンダルを消費する存在」であり、

「飽きられる前に次の悲劇を供給しなければならない

のがマスコミの使命だ」

という毒舌も、笑い飛ばせません。

 


比較する相対の幸福しか知らないのが、

赤裸々な私たちの実態です。

そういう幸福しか知らない人たちに

絶対の幸福を教えられたのが親鸞聖人です。

相対の幸福しか分からない私たちには、

想像もできない幸福ですから、

「そんな幸福があるはずがない」

「生きている間になれるはずがない」

という者ばかりです。

相対の智恵しか持たぬ私たちには、

想像もできず、説いて分かる幸福ではありませんから、

親鸞聖人は絶対の幸福を

「不可称・不可説・不可思議の信楽」と教えられています。

 


聖人ご自身が絶対の幸福になられた喜びを

「不可称・不可説・不可思議の功徳は行者の身にみてり」

“筆舌尽くせぬよろこびが、悪に染まった親鸞に、

常にからだ一杯あふれている”

と合掌しておられます。

 

 

 

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幸せとは何か、仏教の衝撃的な考察とは

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【相対の幸福(2)】

 


歴史には、さぞ本人は無念だったろう、悔しかったろう、

というエピソードが多々あります。

主君の命で妻子を人質に差し出すとか、

親友と信じて打ち明けた情報を利用され、殺されるとか、

断腸の思いで我が子に切腹を命じるとか、

責任を負わされ、自害するとか、と、壮絶です。

それでも毅然としてその運命を受け入れていく人物の心情を、

その葛藤や後悔、忍耐や意地などを描写されると、

「おれの苦難など、まだまだだな」

「ずっとましだな、自分の境遇の方が」

と、今の境遇に感謝しなければならない気持ちにさせられます。

 


「苦難の人を見て、自分の今を感謝する」

というと聞こえがいいですが、言い方を変えれば

「不幸な人と比較して、幸福を感じる」ということです。

幸せそうな人を見ては憂鬱になり、元気がなくなる、

逆に人の不幸を見聞きし、安心する、

そんな幸福を「相対の幸福」といいます。

比較相対して幸・不幸を感じる、

そういう幸福しか私たちは知りません。

 


しかしこの幸福は、どこまで行っても、

【劣等感】と【優越感】の間を振子のように揺れ動くばかりで、

心が落ち着くことはありません。

そんな私たちに「一人居て一人喜べる法」絶対の幸福があることを

教えられたのが、仏教です。

 

 

 

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環境を変えずに、幸福感を得る方法とは

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【相対の幸福(1)】

 

田舎の高校から東京へ皆で集団就職した昭和30~40年代は

日本全体が貧乏な時代でした。

カレーライスがたまに食べるご馳走だったと聞きますと、

確かに今は贅沢な時代だなと思います。

 


しかし見方を変えれば、経済格差が広がった現代の方が、

お金による苦しみは深刻になっているといえます。

あの頃は皆同じようなカレーライスを食べていたのに対して、

今は有機野菜や国産肉を使った本格的なカレーを

当たり前に子供に食べさせる家と、

食費をうかすために安い市販のカレールーで

作り置きして食べる家と分かれてきています。

水にしても、野菜にしても、

身体にいいものを口に入れようと思ったら、

やはりお金が要ります。

経済格差があらわに食生活の差になっている、

世知辛い時代だといえましょう。

 


食生活だけでなく、経済格差は

子供の教育格差にも現れます。

有名大学の進学率と親の収入は高い相関関係が見られます。

 


老後の生活への格差も指摘されます。

夫婦で海外旅行を楽しむ老後を過ごす人もあれば、

家でテレビを見るだけの年金暮らしという人もあり、

今後その差はますます大きくなっていくといわれます。

 


格差による「羨望」「嫉妬」「屈辱」など、

お金によって感じる不幸は

集団就職の時代より高まっているといえましょう。

 


これはある歴史学者が言っていたことですが、

科学が今後ますます発展して、あらゆる病気の治療法が確立され、

効果的なアンチエイジングや再生医療を可能にし、

いつまでも若くいられるようになる時代が到来したら、

「おそらくかつてないほどの怒りと不満を

人々は持つことになるだろう」

と予測しています。

新たな奇跡の治療法を受ける経済的な余裕のない人、

つまり人類の大部分は怒りに我を忘れるだろう、と言います。

その怒りとは

「貧しい俺たちは自分は死を免れないのに、

金持ちは永遠に若くて、美しい」

というもの。

どんなに食べるものや住むところが違っても、

若さや健康や寿命だけは貧富の差別なく、平等だと

自分を慰めていたのに、

その唯一平等なものまで貧富の差により差が出てくることに、

人々は不幸を感じるだろうとの指摘です。

科学の進歩は人間を豊かに、便利にしていきますが、

それがそのまま「人類の幸福」につながるとはいえないという

これも一つの例です。

 


ではなぜ科学や経済が発展しても人間は幸福になれないのでしょう。

その答えを仏教では、

「人間の感じる幸福は比較する“相対の幸福”だからだ」と説かれます。

比較の対象によって「まだましだ」と安心したり、感謝したり、

逆に「何で自分はこんな目に」と惨めに思ったり、

屈辱を感じたりする、それが人間の幸福感なのです。

 


だからどれだけ社会が豊かになっても、医療や科学が発達しても、

その社会で周りの人と比較して不満やイライラを募らせるのですから、

真の幸福、真の心の平安は得られないのです。

 


相対の幸福しか知らない私たちに、

絶対の幸福の厳存を示されたのが、親鸞聖人の教えです。

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