親鸞に学ぶ幸福論

「そんなにしてまでなぜ生きねばならないのか」はっきり示した、メールdeで学ぶ仏教教室です。無料メール講座が好評です。受講者4000人。

老人性うつが蔓延している

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【常行大悲(1)】


東京で仏教講座をしていたとき、70歳を過ぎた年配の方が、

「カネがどんどん減っていき、不安で仕方がない」

「予期せぬ出費で悠々自適の老後にはほど遠い」

と不安を訴えてこられたことがありました。

医療費、介護費など出費がかさみ、

貯金が底をつくのではと心配になるそうです。

このままでは心の健康にもよくないと思われ、

何か生きる希望がほしいと、仏教講座に来られた方でした。

 


こういった悩みを抱えている方は、多くなっているように感じます。

それでもまだ夫婦二人で支え合い、励まし合っているうちはいいですが、

これが連れ合いをなくせば、ますます孤独になり、

身体も弱れば、今後、家族や他人に迷惑を掛けるのではと

憂鬱な思いは増します。

家族や社会からないがしろにされる寂しさから、

「今の日本があるのは、ワシらが働いてきたからなのに」

と愚痴も多くなり、余計人から煙たがれるようになります。

不安と寂しさから、老人性うつになったり、

認知症を発症する人もあると聞きます。

 


趣味を持ちましょう、生きがいを持ってがんばりましょう、

と最近、行政もさかんに呼びかけ、

認知症にならないための運動など、地域ぐるみで行っていますが、

今後、超高齢化が進む日本で、この問題は

ますます深刻化することは避けられません。

 


たとえ歳を取り、若いときのように身体を動かせなくても、

精神が元気ならばいいのですが、

人間は歳を取ると、青年の時のような志や気概は薄れ、

保身を第一に考えるようになり、

新しいことをしないようになり、

事なかれ主義になっていくものです。

「もうこの年だし」「今さらこんなことをやっても」

と心中、躊躇する心が何かと出てくるのでしょう。

 


そこへいくと、親鸞聖人という方の、高齢になられてからの、

あのバイタリティーあふれる活躍には、目を見張ります。

還暦過ぎられ、関東から京都に帰られた親鸞聖人は、

以後、多くの時間を著作にあてられます。

七十歳を超えられてから、さらにその勢いは増します。

すでにご高齢であった聖人にとって、

過酷な精神労働である文章執筆は大変であったに違いないのですが、

その中、執筆なされたお聖教を、年を追ってみてみよう。

『浄土和讃』『高僧和讃』(76歳)

『唯信鈔文意』(78歳)

『浄土文類聚鈔』『愚禿鈔』『一念多念文意』(83歳)

『往相廻向還相廻向文類』『西方指南鈔』(84歳)

『浄土三経往生文類』『正像末和讃』(85歳)

『尊号真像銘文』(86歳)

『弥陀如来名号徳』(88歳)

ご著書のほとんどを、この時期に執筆なされたといっていいです。

中でも、親鸞聖人の教えのすべてが著された『 教行信証』は、

聖人が常陸の国・稲田の草庵で大綱をまとめられ、

帰京後、お亡くなりになるまで加筆修正を重ねられています。

 


90歳で亡くなられる際には、

聖人がおられなくなったら私たちはどうしたらいいのかと

悲しみ嘆く人たちに

「一度は弥陀の浄土へ還るけれども、

寄せては返す波のように、すぐに戻ってくるからな。

一人いるときは二人、二人の時は三人と思ってくだされ。

うれしい時も悲しい時も、決してあなたは、一人ではないのだよ。

いつもそばに親鸞がいるからね」

と励まされて、亡くなっておられます。

 


「未来に生きるのが青年、過去に生きるのが老人」といわれます。

未来とは夢であり、理想です。

寄せては返す無窮の波のように、

迷い苦しむすべての人に仏法を伝え続けられた親鸞聖人は、

永遠の青年でした。

 

「青鬼」「青龍」とは、仏教では何を指しているのか、

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【仏願(3)】


『仏願(ぶつがん)』とは「仏の願い」です。

仏の願いは、私たち人間の願いとは違います。

どう違うのでしょうか。

 


人間の願いは

「カネがあれば、あの車買えるのに」

「かわいかったら、あの人も振り向いてくれるのに」(

「才能があったら、馬鹿にされないのに」

という願いで、仏教では『五欲 』といわれるものです。

『五欲』とは、欲の中でも特に大きいものの5つで

【食欲】とは、食べたい、飲みたい

財欲】とは、カネが欲しい、

色欲】とは、もてたい、

名誉欲 】とは、ほめられたい、

【睡眠欲】とは、寝たい、楽したい、という欲です。

これらやりたいことができないから不幸なんだ、

とみんな思っています。

「やりたいことがやりたいようにできれば幸せなんだ」

と信じて疑いません。

 


ところが仏教では、これら五欲は「一時の快」はもたらしても、

「本当の快」は得られないと教えられます。

その理由は欲の心は底なしに深く、どれだけ満たしてもキリがないからです。

仏教ではたびたび煩悩を「龍」や「鬼」に譬えられますが、

三大煩悩の一つである『欲』は「青龍」「青鬼」として登場します。

欲の心が青色に譬えられるのは、海の青さを表しています。

海の色は深さを増すほどに青みを増します。

浅瀬はまだ透明だったり、薄い水色ですが、

沖に行くにしたがい濃い青になります。

青は深さを表しており、欲が青に譬えられるのは、

欲の心がどこどこまでも深いからです。

 


無ければ無いで欲しい、欲しいと渇し、

手に入れればもっと欲しい、もっと欲しいと際限なく深いのが欲の実態です。

国会議員になりたい、なったら今度は大臣になりたい、

大臣になれば首相になりたい、

首相になれば、法を改定してでも任期をもっと伸ばしたい、

と欲は満足を知りません。

ゴールなき競争に安心も満足も訪れません。

 


では際限のない五欲 から、私たちは離れることはできるのでしょうか。

親鸞聖人は私たちの実態を「煩悩具足の凡夫 」と喝破されています。

「煩悩の塊」「五欲を求める心しかないのが人間」と言われています。

五欲を満たすのを願う心しかない者に、

五欲を離れた悟りの境地を求めよというのは、

魚に水を離れて生きよ、と言うに等しいことになります。

 


果てしない欲に苦しまされ、悩まされ続け、

際限なく迷いを重ねる私たちだからこそ、

何とか助けてやりたいと願いと建てられたのが『仏願』なのです。

 

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願いがかなったのに、なぜ心はこんなにも寂しいのか

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【仏願(2)】


「人間は自分の願いがかなっても、幸福になれない存在だ」

と、驚くべきことを釈迦が説き明かされていることを、

過去3回にわたって述べてきました。

「願い」とは「将来の夢」であり「目指す目標」です。

夢や目標を持つことが大事だとみな常識のようにいいますし、

それを実現した人のサクセスストーリーにみな憧れるのですから、

「たとえユメかなって成功できても、イコール幸福とはならない」

と説く釈迦の教えを非常識であり、

「厭世的だ」「暗い」「やる気を損なわせる思想だ」と

思われる方も多いでしょう。

しかし反面、うすうす感ずいていることを言葉にされたと

受け止める人もいるのではないでしょうか。

 


毒舌家で知られるバーナード・ショーは、

「人生には二つの悲劇がある。

一つは願いが達せられないこと。もう一つはそれが達せられること」

と言っています。

これも人生に対してネガティブな主張だと思う人もあるでしょうが、

彼の言うことが毒舌と評されるのは、

人はそこに一面の真理を感じ取るからでしょう。

 


では、なぜ願いをかなえても幸福になれないのでしょうか。

親鸞聖人にお訊きすると

「それは火宅無常の世界に私たちが住まいしているからだよ」

と教えられます。

「火宅無常の世界」とは、

いつ何が起きるか分からない不安な世の中ということです。

 


常に世の中は移ろい変わっています。

たとえ景気が良くなって商売繁盛しても、

いつまた景気が悪くなるか分かりませんし、

どんな事故や事件が起きるとも限りません。

縁談が進み、ステキな人と結婚できても、

その後、病や事故で死に別れもあれば、

どちらかの心が冷めて離婚、という憂き目にあうこともあります。

 


たとえ願いがかなっても、その満足は一時的で、

またいつどうなるか分からない不安が胸に迫ります。

なまじ苦労の末、大きな願いをかなえた人は、

失いたくないと思うあまり、

第三者には分からぬ不安に苛まされることもあります。

こんなに不安になるくらいなら、

手にしなければ良かったとさえ思うこともあるのです。

 


いつ何が起きるか分からぬ火宅無常の世界に住まいしているから、

願い通りに何を手に入れても、

いつまで続くだろうかとの不安に怯え、苦しみが絶えることはないと

親鸞聖人は喝破されました。

ではそんな私たちが幸せになるにはどうしたらいいのか。

仏の本願、仏の願いによるしかないと教えられています。

それが他力本願の教えです。

 

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熱心に神社に詣っているのに、幸せになれない理由とは

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【仏願(1)】


『仏願(ぶつがん)』とは「仏の願い」のことです。

仏の願いを私たちの上に満たすことを目的に

釈迦が説かれた教えが仏教です。

仏教は、私たち衆生の願いを満たすための教えではありません。

それは衆生の願いをかなえても、衆生は幸せになれないからです。

 


みな願いがかなったら幸福だと信じて、追いかけていますので、

「願いをかなえても、幸せになれない」と説く仏教は

簡単に受け入れられないでしょう。

卑近なわかりやすい例かなと思い、先回と先々回、

『ドラえもん』を切り口に話したのも、

「衆生の願いをかなえても、衆生は幸せになれない」

という仏教のメッセージを知っていただきたいためでした。

ところが多くの人は、それはのび太が愚かだったからで、

オレがドラえもんのあの道具を使えば幸せになれると、

思ってしまうのでしょう。

 


「人間の願いは、たとえかなったとしても、幸福になれない」

と説くのは真実の仏教の大きな特徴です。

世間に多くの宗教がありますが、手を合わせ、拝む目的は

「衆生の願いを満たす」ことにあります。

もう40日も過ぎればまた初詣で、日本全国の神社が賑わいます。

「どうか今年は~~でありますように」と賽銭投げて

祀られている神にお願いするのですが、

その「~~」の願いの内容は

「商売繁盛」「息災延命」「合格祈願」「縁結び」「安産祈願」

「家内安全」「交通安全」「必勝祈願」等々、これらすべて人間の願いです。

 


たとえ元日に詣ってお願いしても、商売が上手くいかなかったり、

病気になったり、不合格になったり、結婚できなかったりしますので、

なかなか「満願成就」も大変です。

さらにいえば、たとえ私たちの願い望んでいることが成就したとしても、

それで幸福になれるものではないのです。

なぜなのでしょうか。

 


それは私たちの住む世は「火宅無常の世界」であり、

私たちは「煩悩具足の凡夫 」だからです。

どういうことなのか、長くなりますので、次回、お話しいたします。

 

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ドラえもんがいたって、幸福になれるかというと、話は別だ

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【流転輪廻(1)】


先回『ドラえもん』が訴えかけているのは、

「人間の願いはたとえかなっても、幸せにはなれない」

という、哲学的なテーマだと話しをしました。

「あんなこといいな、できたらいいな♪」の、

のび太の、まことにわがままな願いを、

ドラえもんは妥協なく、完全にかなえてくれます。

のび太の場合、子供の一地域社会のかわいらしい願いですが、

私たちも会社や家庭など、それぞれの世界で大同小異、

のび太のような願望を持っています。

(大人の願望はもっとブラックでアダルトかもしれませんが)

 


その願いはそう簡単にかなえられず、

妥協を重ね、あきらめるのが世の常なのに、

それをドラえもんは道具一つで即座に実現させてくれるのですから、

舞い上がるような幸せを感じて当然なのですが、

ご存じの通り、そのオチ(結末)は、

「のび太はその道具では幸せになれなかった」

でした。

 


ドラえもんが始まってすでに50年近く経つので、

ドラえもんの道具ですでに実現化したものはたくさんあり、

「糸なし糸電話」などまさに携帯電話ですし、

他にも「エアコンスーツ」「絵本入り込みぐつ」

「ほんやくコンニャク」「そっくり銅像キット」など、

もう何十個も実現しているそうです。

 


しかし、科学が進歩し、どれだけ願望がかなっても

一向に幸せになれていないのは、

ニュースで報道される、目を覆うような事件の数々からもそれは知られます。

 


マルチな才能で活躍しているリリーフランキーがこう言っていました。

「能力があれば成功はできるが、

幸福になれるかどうかとなると、話は別だ。

そんなことを思い始めたら、もう終わりだ。

日進月歩、道具は発明され、延命の術は見つかり、

私たちは過去の人類からは想像もできないような「素敵な生活」をしている。

しかし、数千年前の思想家や哲学科が残した言葉、

大昔の人間が感じた「感情」や「幸福」に関する言葉や価値は、

今でも笑えるくらいに、何にも変わっていない」

 


どんなに科学によって世の中が便利になり、

経済が繁栄して豊かな生活を送れたとしても、

なお安心できず、満足を知らず、

生きる喜びを感じられない原因が他にあることを

突き止められたのが、2600年前の釈迦の教えです。

 

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ドラえもんによって心の深部に潜む醜いものが暴露されてしまう

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意業(1)】


「あんなこといいな、できたらいいな♪」の歌で始まる『ドラえもん』。

のび太の願いをドラえもんが次々と

未来の道具でかなえてくれるストーリーですが、

その結末は「たとえ願いが満たされても幸せにはなれない」

という、とても哲学的な示唆が含まれているものでした。

 


ドラえもんの道具に「さとりヘルメット」があります。

これをかぶると、テレパシーで人の心を読み取れるようになる、というもの。

これは欲しいという人は多いのではないでしょうか。

「相手の心の中を知りたい」という

私たちの願望をかなえてくれる、まさに「夢の道具」です。

 


ところがそのストーリーは、

ジャイアンが「さとりヘルメット」をかぶったところ、

自分のリサイタル(独唱会)に対するみんなの正直な気持ちを知ってしまい、

ひどく落ち込むという内容でした。

人の心を知れば恋愛も商売も上手くいき、

人間関係で優位に立つことができ、失敗もなくなり、

幸せになれると思いがちですが、

決してそうではないことを教えてくれるものでした。

 


他人の心の中など、知らなくていいことがたくさんあります。

想像したくないものは想像しなくていい、

わかりたくないことはわからないままでいた方がいい、

それなのに一瞬のうちに想像し、わかり、願ってしまう、としたら、

それはどんなに恐ろしいことか。。。

 


人の心の中は分かりませんが、

自分の心の中は、仏教という法の鏡に映し出される時があります。

親鸞聖人は法鏡によってご自分の心の中をハッキリ知らされた時、

「私の心は蛇やサソリのようだ」と慄然とされ

「恥ずべし 傷むべし」と述懐されました。

 


「恥」という字は、「耳」の横に「心」と書き、

「心に耳を押し当てなさい、耳に堪えないことばかり」

という意味になります。

人に言えない、耳に堪えない、誰にも知られたくない

恐ろしく醜い心いっぱいの自己の心に絶望され、

親鸞聖人が修行の山、比叡山を下山されたのは、29歳の御時でした。

 

 

 

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歴史を学べ。どこへ行っても、何をするときでも。

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【出世本懐(1)】


「ビジネスマンは『社史』を学べ」といわれます。

なぜ自分の会社について学ぶことが大事なのでしょうか。

 


今度の会議をいかに乗り切るか、とか、

同期で誰が最初に課長になるか、とか、

とかく目先のことにムキになってしまうのが私たちですが、

「社史」を学び、数十年前に働いていた人たちについて知ると、

創業の苦労に感謝の気持ちを抱きますし、

自分を取り巻く視点が、より大所、高所からのものになり

自分の役割の重要性をも、認識することになります。

「社史」には、仕事に前向きになれるのはもちろん、

仕事で成功するためのヒントもたくさん詰まっているのです。

 


私は仏教講師として、20代の頃、

島根県で親鸞聖人の教えを伝えていた時期があります。

島根県は江戸時代、出雲藩と石見藩に分かれており、

旧石見藩の地域は浄土真宗が多く、

旧出雲藩だった地域は浄土真宗は多くありません。

また山間の村でも、とても浄土真宗が熱心な村もあれば、

そうでないところもあり、なんでだろうと興味がわき、

図書館で郷土の浄土真宗の歴史を調べたことがあります。

興味深い史実が多々ありました。

安芸藩からきた布教使が川沿いに伝え、

禅宗の村が真宗の村になったとか、

滋賀県の商人が立ち寄った宿のある漁港で、

親鸞聖人の教えを伝えたので寺が建った、など書かれてありました。

 


それを読みながら、現代、私が島根で仏教を伝えるのも、

この地で親鸞聖人の教えを伝えた先輩諸氏の連綿たる流れの中で、

新たな一ページを加えることになるのだと

意気に燃えたのを思い出します。

 


会社の歴史、真宗の歴史、郷土の歴史、家族の歴史、

学ぶべき歴史は人によっていろいろ違いましょうが、

歴史を学ぶのは、大きな時代のうねりの中で、

自分はなぜここに、このように居るのか、

そして今何をすべきか、

己の使命を自覚する視点の一つとなりえましょう。

 

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