親鸞に学ぶ幸福論

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現代人が陥るフランクルの全体主義。生きる目的はいずこに。

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このたびの雪もすごいですが、先回の交通障害の教訓もあってか、

除雪がしっかりしていて、今のところ、このあたりには混乱はありません。

 


【今日の仏語】は『出世本懐』の1回目です。


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先月「やりたいことが見つからない」という

10代の若者の声をテーマに書きましたが、

それを読んだ高校生の読者さんから感想をいただきました。

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いつも楽しく読ませてもらっています。
今回のメルマガは驚きました。
「やりたいことが見つからない」とはまさに自分のことだと。
でもちょっとほっとしました。
じっくり見つけられたらいいなと思いました。
これからもよろしくおねがいします。
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高校生でこのメルマガを読み、問題意識を持ち、

感想までくれる積極性があるのですから、

きっといつかしっかりと自分の人生の目的を見つけられることと思います。

 


人生の目的を考えたことなど一度もない、という人も少なくないようです。

中学生、高校生なら、「まずは大学へ」で済ましているのかもしれません。

小学生の頃から塾に通い、中高一貫の進学校へ行けば、

そこでは誰もが「いい大学に入れば幸せになれる」と信じてしのぎを削っていますから、

負けじと勉強に明け暮れ、「いい大学」を目指します。

 


大学に入ったら、楽に単位をくれる「いい先生」を探して、4年間をこなします。

就活でも周りに負けじと、「いい会社」を目指すのに一生懸命です。

仕事につけばついたで、周りに負けじと「いい評価」を目指し、

適齢期になれば、周りに負けじと「いい相手」を目指します。

 


精神科医フランクルは、人生の目的を見失っている現代人を評して

「ほかの人たちがしていることを自分もし、

ほかの人が自分に期待することをする全体主義」

と定義しました。

 


「自分は何をしたいのか、何をすべきなのか」

という迷いは、決して若者だけの悩みではありません。

定年退職や子育てが一区切りついたときなど、

人生の節目を迎えたときにその悩みが起きてくる人もあれば、

死期を覚悟した病床で迷い悩む人もあるでしょう。

 


いずれにせよ、この悩みは人生を真摯に受け止めた時におきる疑問なのです。

 

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死んだら無になるだけなら、なぜ死が怖いのか

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【後生の一大事(1)】


現代の日本では、死後の世界を信じている人は多くはありません。

最近でもネット上で人気の僧侶がこう主張していました。

「生まれた物は皆、土へ還る。

痛みや苦しみから解放されて土に還っていく。

遅かれ早かれ皆同じだ。そうして命は巡っている」

こんな話しに多くの人が慰められ、癒やされ、共感し、

「感動した、よかった」と賛同している現状からも

「死んだら無だ」という見解が一般的なのは、よくわかります。

死後の世界をまじめに語っている人があれば、異端視されるか、

そうまではいかなくても、「マイノリティ」扱いは否めません。

 


ところがおかしなことに、その同じ現代日本の日常会話に

「今度生まれ変わるとしたら」と口にしたり、

「死んだ父が見守ってくれる」と言ったり、

「今頃あの世で再会して」と弔辞を述べるといった、

死後の世界を認めていなければいえない会話がここかしこでなされ、

それを耳にする人も、違和感なくそれらの言葉を受け入れています。

 


さらに行動を見ても、冥福を祈ったり、戦没者の慰霊祭をしたり、

墓に個人の好きなものを供えたり、仏壇の位牌に語りかけたり、

ふだん「死んだら無」と言ってはばからない人が、

それらの行動を冗談半分でなく、社交辞令でもなく、

結構まじめに行っています。

 


もし「死んだら無だ」とはっきりしているのなら、

それらの人間の言動がナンセンスなものとして、

現代社会から消滅しているはずですが、

何千年前から今も変わらない人間の行動です。

 


さらにいえば、「死ねばなくなる」と人が本当には思っていないことの何よりの証拠は、

圧倒的な「死」への恐怖があるという、まさにそのことです。

 


以下は癌にかかって亡くなったある30代の漫画家が、

生前つぶやいていたツイッターの文章です。

ーーーーーーーーー
何だか最近情緒不安定でよく泣くようになってしまった。
薬が効いてるのかもわからないしもうすぐ余命宣告された半年が経つ。
怖い。
ーーーーーーーーー
ああ、怖いな。最近本当に情緒不安定だ。
怖い。生きてくのが怖い。死ぬのも怖い。もう嫌だ。
ーーーーーーーーー
主治医との面談が終わった。また一つ薬が減った。
残念ながら終わりが見えてきてしまった
辛い……。一年持たないのかもしれない。嫌だ死にたくない。
怖い、辛い、誰か助けてくれ……
ーーーーーーーーー

 


死ねば無になるのなら、なぜ死ぬのが怖いのでしょう。

怖がるも何も「痛みや苦しみから解放されて土に還っていく」のなら、

怖いということもないはずです。

 


実は人間は「無になる」ことを恐れているのではなく、

「わからない」ことを恐れているのです。

死んだらどうなるかわからない、本当はこのことが怖いのです。

この「死んだらどうなるかわからない心」を仏教では

「無明の闇」といいます。

 

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番付によって格差がすごい。相撲界の厳しさを知った

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【生死の苦海(1)】


幕下力士と十両以上の力士とはすごい違いがあります。

十両力士
・月給約100万円
・個室が与えられる
・所帯を持てる
・2~3人の付き人が付く
・大銀杏(おおいちょう)の髷が結える

幕下力士
・月給約10万円
・大部屋で寝泊まりする
・十両以上の力士の付き人をする

 


十両力士になると、付き人に鞄持ってもらい、マッサージをしてもらい、

個室で過ごすことができ、所帯も持てます。

それが負け越して幕下力士になってしまうと、

今度は鞄を持ち、マッサージする立場になり、

大部屋住まいだそうです。

 


先輩、後輩の差は関係なく、勝ち星がすべての世界だとのこと。

昨年は鞄を持たせて、マッサージさせていた後輩に、

今年からは付き人として仕え、鞄持ちやマッサージしなければならないこともあるのです。

幕下力士は、何が何でも十両に上がりたいと思いますし、

十両以上の力士は、どんなことをしてもこの座から落ちたくないと思うでしょう。

この相撲界の厳しさがハングリー精神を培い、相撲界を支えてきたと言われます。

一方で、勝ち星欲しさのあまり、八百長してでも、という問題も起きています。

 


十両になれる確率は、相撲部屋に入門した力士の中の10人に1人とのこと。

入門力士のあこがれの的が十両です。

ましてや関脇だ、大関だとなれば、雲の上の人のように思うでしょう。

 


しかし関脇、大関といえども、安心していられません。

関脇でも負け越せばすぐ番付が落ちて、それが数場所も続けば、

また大部屋住まいの鞄持ちです。

大関といえど負け越せば「角番大関」となり、

その場所で負け越せば大関陥落です。

 


では、番付が落ちることがない立場、横綱になれば安心でしょうか。

それは「とんでもない」とのこと。

横綱は頂上ですが、「崖っぷち」だからです。

負け越しは許されず、そんなことがあれば引退勧告です。

また横綱は品格が厳しく見られますから、

言動によっては、やはり引退勧告です。

 


どこまでいっても安心、満足できる立場はないようです。

これは相撲界だけではありません。

会社でも、家庭でも、この立場だけは安らげる、

このポストだけは満ち足りている、というところはありません。

端から見ると、「ああなれば安心だろうな、満足だろうな」と思いますが、

その本人はみな不安と不満の中で暮らし、

私たちと同じように、違う人をうらやんでいるのです。

 


親鸞聖人はそれを「生死の苦海ほとりなし」と説かれました。

人生は、死ぬまで苦しみの波がやってくる海のようなものだ、ということ。

この方角だけは波がない、というところがないので「ほとりなし」です。

360度水平線が果てしなく広がっている海の真ん中にいるようなものが人生だ、

と説かれています。

 

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加害者の心理から、いじめの原因を語る高橋みなみ

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【愚痴(2)】

 


ある中学2年生のクラスの授業。

教師が「理想のクラスを漢字ひと文字で表すと」と課題を出しました。

生徒たちが書いてきたのは、『笑』『明』『楽』などの字でした。

 


次に教師は

「今度は、無視、いたずら、悪口など、いじめをする人の気持ちを想像して、

そういう人の気持ちを漢字一字で表してみてください」

という課題を出しました。

教師の課題に生徒からあがってきたのは『怒』『悪』『嫌』などでした。

案の定、暗いイメージの漢字が並びました。

 


ところが中に『笑』『楽』という字があったのです。

この字は、理想のクラスのイメージとしても出た言葉です。

書いた生徒のわけをこうでした。

「ほかの人をいじめるときに、ストレス解消というか、

『ハハッ』とあざ笑うという意味で書きました。

ぼくも小学校のころいじめられてた。

いじめられてるときに笑われたんですよ、ぼく」。

 


Eテレ(NHK)でこの授業の様子は紹介され、

いじめを「楽」と書いたこの生徒の言葉に反応したのが、

元AKBの高橋みなみさんでした。

彼女もこの教師の出した“いじめたくなるときの人の気持ち”の課題に

ぱっと浮かんだ漢字が「楽」だったそうです。

「いじめている人というのは、一瞬楽しむ傾向がある。

人にいじめを言うことが楽しくなったりとか、

自分が上に立つことが楽しくなったりとか…」(高橋さん)。

 


いじめは人間の持つ三毒の煩悩の一つ、『愚痴』から発します。

愚痴とは、ねたみ、そねみ、憎しみの心をいいますが、

人の不幸をクスクス笑うのも、愚痴の心です。

苦しんでいる人を見て面白がり、

狼狽していたり、困っている姿を見て楽しむ心です。

 


上履きを隠されておろおろしている人、

教室で無視されて顔を青くしている人を見て、

含み笑いをしているのは、愚痴の醜い心に他なりません。

高橋みなみさんや一部の生徒が、

いじめをする人の気持ちとしてあげた『笑』『楽』は、

まさに愚痴の心のことであり、

その心の醜さに敏感に気づいている人の回答だと思います。

 


楽しむ方法はいろいろ世の中にあり、

笑顔になれる場もいろいろあります。

何も人をいじめて笑ったり、楽しんだりすることはない。

スポーツで勝利した笑顔、試験に合格した笑顔、

子供の顔を見たときの笑顔

読書や音楽や映画の楽しみ、身体を動かす楽しみ、

好きな人と一緒にいるときの楽しみ、

『笑』『楽』はいろいろあります。

 


人を困らせ、人を苦しませて笑ったり、楽しむのは

醜く、最低の『笑』『楽』です。

そんなことで笑顔になり、楽しむのは、

とても恥ずかしい、みっともないことなのです。

 

 

 

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三毒の煩悩とは、汚い心、恐ろしい心、醜い心

 

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【三毒の煩悩(1)】

 

仏教に「三毒の煩悩 」という言葉があります。

全部で108ある煩悩の中でも、

特に私たちを苦しませ悩ませる三つの大きなものが「三毒の煩悩」です。

その三つとは、【欲】【怒り】【愚痴】の三つです。

 


三毒の煩悩をそれぞれ形容詞で表すと、

【欲】は「汚い心」。

【怒り】は「恐ろしい心」。

【愚痴】は「醜い心」です。

 


まず【欲】が「汚い心」といわれるのは、なぜでしょうか。

【欲】とは、金がほしい、ほめられたい、好かれたい、という心です。

それを得るためには人はどうなってもいい、

自分さえ儲かればいい、自分さえ認められたらいい、という心です。

その欲の本性である、我利我利亡者、エゴ、自己中、が「汚い心」といわれる所以です。

 


自らの私利私欲のために、人を押しのけたり、だましたりする人は、

「あいつのやり口は汚い」「汚い人だ」と言われます。

また自分のもうけや評価でしか動かない人を「意地汚い奴」と言ったりもします。

けちで、がめつく、人にために使うお金を極度に出し惜しみする人を「金に汚い人」ともいいます。

【欲】は「汚い心」という表現がピタッときます。

 


次に【怒り】が「恐ろしい心」と言われるのは、

人間は腹が立つと、言ってはいけないことを言い、

やってはいけないことをしてしまうからです。

冷静な時は、こんなことを言ったら相手との関係が壊れる、

こんなことをしたら相手から嫌われる、と慎んでいますが、

腹が立つと自制心を失ってしまうと、

言ってはいけないことを言う、

やってはいけないことをする、

その結果、人生を台無しにしてしまうのです。

一瞬の怒りで、会社を首になる、家庭が崩壊する、といった事態が引き起こりますから、

実に恐ろしい心です

 


三番目の【愚痴】が「醜い心」だと言われるのはなぜでしょうか。

【愚痴】とは、うらみ、ねたみ、そねみ、憎しみの心です。

幸せそうな人を見るとおもしろくなく、ねたましくなってくる心です。

成功して意気揚々としている人を見て、苦々しく思う心です。

 


同期の友達が先に出世すると、どうでしょう。

友達なのですから、一緒に喜んであげればいいのに、素直に喜べない心が起きてきます。

「なんでこんな心が自分にはあるんだろう」と我ながら醜い心が嫌になります。

「よかったなあ、おめでとう」と口では言いながら、

心の中に渦巻いている醜い心が表情に現れて笑顔が固くなっていないだろうか、と気にしています。

自分でもねたみの醜さが分かるから、人には知られないよう、隠そう隠そうとするのです。

 


「どうしてもほしい」と自分の欲の心を口にしたり、

「腹が立って仕方ない」と怒りの心を訴えたりすることはあっても、

「あいつがねたましい」「嫉妬している」とは、そうそう口にしません。

そんな心は全くないように振る舞うのは、

私たちもこの心の醜さを自覚しているからでしょう。

 


また【愚痴】とは、人の不幸をクスクス笑う心でもあります。

人が失敗して狼狽している姿を見てひそかにおもしろがる心です。

不幸な人を見て「かわいそうに」と口では言いながら、

心では何か愉快な気持ちがこみあげてきます。

人の幸福をねたむ心も醜いですが、

人の不幸をおもしろがる心はもっと醜く感じます。

 


ある女性誌で「彼氏にすることは絶対ない男ランキング」の一つに

「他人の不幸をメシウマと感じる人」というのがありました。

メシウマとは「飯がうまい」の略で、人の不幸を楽しむ場合にいわれる言葉です。

「そんな人は単に人間的にありえない」とのコメントもついていました。

確かにどんなにイケメンでも、人の不幸をクスクス笑う人だと知れば、

百年の恋も冷めるというか、その人に嫌な感じを持ってしまうでしょう。

 


人の幸福をねたみ、人の不幸を喜ぶ【愚痴】は、まさに「醜い心」です。

 


四六時中、汚い欲と、恐ろしい怒りと、醜い愚痴で心の中は一杯で、

死ぬまでその心が変わらない私たち人間の実態を、親鸞聖人は

「欲も多く、怒り腹立ち、そねみねたむ心多く、ひまなくして

臨終の一念にいたるまで、とどまらず、消えず、絶えず」

と書かれています。 

 

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「だからあなたも生き抜いて」を仏教の視点で語る

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【人身受け難し(1)】


長引く平成不況に団塊の世代の自殺が相次ぎ、

自殺防止対策が論じられ始めた2000年に

「だからあなたも生き抜いて」という本が

260万部を超えるミリオンセラーとなりました。

 


著者は大平光代さん。

本の内容は、いじめ→自殺未遂→暴走族→暴力団

→組長との結婚と離婚→クラブのホステス

→司法試験合格→弁護士としての活躍、と

波乱の半生を描いた自伝です。

 


どんな苦しい状況でも乗り越えられるよ、だからあなたも生き抜いて、

という著者のメッセージは、多くの人の心を揺さぶりました。

「こんな辛い苦しみを乗り越えて成功をつかんでいる、自分の苦労などまだまだだな」

と励まされた人も多かったでしょうし、

自殺を思い詰めている家族や友人に読んでもらいたい

と思った人も多かったと思います。

 


しかし誤解を恐れず言いますが

「それはあなただったからできたこと、

私はあなたと同じようにはできません。

そんな私でも生き抜かなければならない理由はあるの?」

と思ってしまう人もあるはずです。

 


人生には次々と苦しみが押し寄せます。

それを乗り越えようと懸命に取り組み、

それで乗り越えることができる人もあります。

それはそれで立派なことですが、

中には才能や環境や病気や性格などの事情で、

苦しみを乗り越えられない人もあります。

そのあげく、もう生きるのが嫌になってしまったのが、

ネット上でも飛び交っている「死にたい」の声です。

 


どうにもならない苦しみを前に、あきらめとむなしさを深めている人に

「私は乗り越えた。だからあなたも生き抜いて」の声は

ときに余計追い詰めてしまうことにもなります。  

 


さらにいえば、です。

一つの苦しみを乗り越えても、人生にはまた次の苦しみがくるのです。

成功はできても、イコール幸福ではありません。

成功者と言われる人にも、容赦なく、苦しみはやってきます。

一つの苦しみを乗り越えたと思ったら、またすぐに次の苦しみ、

苦は色変わり、次から次へとやってくる、これはすべての人の実態です。

「生きる」とは不断の苦しみの戦いであり、しかもそれは死ぬまで続くのです。

 


ならばなぜ私たちは死ぬまで苦しみを乗り越え続けねばならないのでしょうか。

「どんなに苦しくても生きねばならない理由は何か」

「必ず死ぬのに、なぜ生きねばならないのか」

この根本の生きる目的を論ぜず、

「苦しみを乗り越え、頑張れ、頑張れ」と言い続けるのは、

ゴールのないランナーに「走れ、走れ」と連呼するのと同じになってしまいます。

 


「どんな人も本当の幸福になれる、だから生きる意味がある」

と目的を明示してこそ、

「だからあなたも生き抜いて」と心底から言えるのではないでしょうか。

 

 

 

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人類が最も恐れねばならない最大の敵とは

 

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【意業(1)】

 


かつて人間は、ジャングルの闇から聞こえてくる獣の咆哮に

身を寄せ合って震える、か弱い存在でした。

それが火を扱うようになり、武器を手に入れ、獣を退治する方法を覚え、

やがてその脅威を克服していきました。

 


また、幽霊や悪魔や妖怪にもおびえていましたが、

学問や科学が発達し、それらが「張り子の虎」だったことを暴き、

その恐怖を乗り越えていきました。

 


それらに代わって最近よく言われるのが「一番怖いのは人間だよ」との意見です。

確かに悪意を持った人間には、何をしでかすかわからない恐怖があります。

最近でも、ライバルのアスリートに禁止薬物を混入し、

失格に陥れようとしたという事件がありました。

あんな事件がおきると、

「獣よりも、幽霊よりも、やっぱり怖いのは人間だよな」

との言葉に説得力を感じます。

 


禁止薬物混入の事件が報道されたとき、

意見を求められた元女子プロゴルファーは

「考えられないことをする人間は存在するので、自己防衛の意識を高めねばならない」

と言っていました。

彼女も現役の時は、ふたが開いたドリンクは勧められても飲まない、

食事中、席を外すときは信頼できる人に見張っていてもらう、

など危機管理を徹底していたそうです。

 


自分を憎み、うらんでいる人は、

どんな攻撃をしてくるかわかりませんし、

今や見ず知らずでも、面白半分、興味半分に、

何をしてくるかわからない世の中ですから、
 
防犯意識も高め、セキュリティの管理も厳重にし、

身を守っていかねばならないと思い知らされます。

 


ところが仏教では、その「悪意ある人間」よりも、

もっと恐ろしい存在があると教えられています。

それは何でしょうか。

 


お釈迦様はこう説かれています。

「憎む人が憎む人にたいし、怨む人が怨む人にたいして、

どのようなことをしようとも、

邪なことをめざしている心は、それよりもひどいことをする」

自分を憎み、怨み、攻撃してくる外敵よりもっと恐ろしいのは、

「自分自身の邪な心」だと釈迦は教えられているのです。

己にとって最大の敵は「我が心」だと教えるのが、仏教です。

 


では、最大の味方は何でしょうか。

これについても釈迦は「我が心だ」と言われています。

「最大の敵は心であり、最強の味方も心である」

と説かれているのが、仏教の教えです。

 

 

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PS 仏教講座の案内

北陸に住んで3年半、今までいろいろあって

招待されても断るしかなかったのですが、

2月は仏教講座に2回、立ちたいと思っています。

 


【富山】
3日(土)14時~16時
【サンフォルテ富山 302会議室】
タイトル:100万部突破のベストセラー「君たちはどう生きるか」と仏教の深い関係とは


【金沢】
10日(土)10時~11時40分
【金沢歌劇座 第10会議室】
タイトル:仏教に説かれた本当の幸福とは何か、正信偈からひもとく

 


北陸にいられるのも、あとどれくらいか分かりませんし、

人生とて、いつ終わるかもしれません。

「一期一会」の精神を忘れず、

一回一回の出会いを疎かにしないよう、

努めていきたいと思っています。

会場でお会いしましょう。

 


参加ご希望の方は、富山か金沢か記載の上、

こちらまでメールください。

kikutani@waseda.ne.jp

詳細をお知らせいたします。

お待ちしています。

 

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