親鸞に学ぶ幸福論

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西郷が語る「国家の大事を成し遂げる人物」とは

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【出世本概(1)】

 


「命もいらぬ、名もいらぬ、官位も金もいらぬという人は、始末に負えない。

またそんな者でなければ、国家の大事を成し遂げることはできない」

西郷隆盛の言葉です。

 


体制や権力、大企業と果敢に戦ってきた人が、

目の前に積まれたカネで節を曲げてしまうことが過去の歴史でどれだけあっただろう。

どれだけの人が「官位」という餌をぶら下げられ、

しっぷを振って従順になってしまったか。

「やめないとお前の醜聞を世間に流すぞ」と脅され、

引き下がった人が何人いたことか、

「これ以上その道を行くようなら、命の保証はないぞ、殺すぞ」

とすごまれ、断念してしまう人がどれだけいたことか。

 


そんな人ばかりなら、体制側の権力者は安心しておれます。

権力と財力にものをいわせて、

反対するものはカネか官位で釣るか、

醜聞や殺害で脅せばいいのですから。

 


権力者が恐れるのは、いかなる手段を用いようが、志を曲げない者です。

西郷隆盛の言う「手に負えない恐ろしい者」です。

なんとかその男の前進を阻もうとして、

どんな大金を積んでも「要らん。どけ」、

どんな役職をちらつかされても「うるさい、どけ」、

そのためにどんな誹謗中傷を受けようとも「かまわん」

殺されても「そうなってもいい」と突き進む者です。

 


過去の歴史をひもとけば、そんな者の手によって、歴史は動いてきました。

西郷が言った通り「そんな者でなければ、天下を動かす大事をなすことはできない」からです。

 

 

 

 

 

 

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人間関係で悩まない人と、いつも悩んでいる人とでは、考え方に大きな違いがある

 

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【御同行(1)】


もう20年前のことですが、アメリカ滞在中、近くにベトナム料理店があり、

よくフォー(米麺)を食べたのですが、パクチーが入っていました。

まだ多くの日本人がパクチーを知らない時代です。

これがない方がおいしいのにな、と思って食べていたのですが、

周りのベトナム人はさらにパクチーをどっさり入れて食べています。

当初は味覚が日本人と違うんだろうなと思っていたのですが、

その店に通って一年も経つ頃には、パクチーが少ないと物足りず、

どっさり入れるベトナム人の気持ちが分かるようになりました。

 


郷に入ったら郷に従え、で、あえてその国の食文化に従って挑戦してみると、

新たなおいしさを発見できるという経験はその後もいろいろ学びました。

 


これは食事だけではなく、会話やマナー、仕事の進め方やものの考え方なども、

違う価値観を持つ人と接すると、多くの気づき、学びがあります。

 


もちろん違う価値観の人と接すると、いろいろな場面でストレスを感じます。

しかしそれが嫌で、同じ価値観を共有する人だけで固まり、

他の価値観を排斥するのは、学びのチャンスを自ら放棄したことになりますし、

さらに言えば、嫌いな人、敵を自分で作ってしまうのです。

 


同じ価値観を持つ人だけで集まっても、

やがてその集まりの中でも価値観が合わない人が現れますので、

そのコミュニティー内でも、また嫌いな人、敵を作ることになります。

そのうち職場でも、家庭でも、趣味のサークルでも、

何かと摩擦が絶えなくなり、気苦労の多い人生を送ることになってしまうでしょう。

「なぜ私はどこにいっても嫌いな人が現れるのか」

「いつも敵がいて疲れてしまう。どうしてだろう」

という人は、このあたりに原因があるのかも知れません。

 


慶応大学大学院の前野教授が、人間関係の幸福に関する研究で、

友人関係の多様性が幸福に影響する、という研究結果を発表しました。

異なる職業、国籍、性別を持つ多様な友達を持っている人の方が幸せである傾向があったのです。

そしてその相関は、友達の数と幸せの相関よりも強いことがわかりました。

 


異なる職業、国籍、性別を持つ人を遠ざけず、嫌いにならず、

むしろ大いに学ぼうと、心を開いていく人の方が、

周りからも好かれ、慕われ、世界観も広がり、幸せになっていくのでしょう。

 

 

 

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ハムレットの苦悩は実に本質的だ

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【無明の闇(1)】


シェークスピア『ハムレット』の

「生きるべきか、死すべきか、それが問題だ」のセリフは有名です。

しかしその先に続く言葉を知る人は、そんなに多くありません。

ハムレットの台詞はこう続きます。

「もし、死後の不安がこころを惑わせなければ、

誰がこの嫌な世に汗を流してうめきながら、

このような重荷を忍んでいようか。

だが、死の国は、まだ誰も還ってきた者のない、見も知らぬ国だ。

その不安があればこそ、知らない国へ行くよりは、

現在の苦難を忍ぶ方を選んでしまうのだ」

 


屈辱に耐えても生き続けるべきか、それとも戦って死ぬべきか、

煩悶するハムレットでしたが、問題の核心は死後の不安だと口にするのです。

 


自死をまじめに考えた人の中で、このハムレットと同じ疑問にぶつかる人はあります。

「自殺した人の魂は暗いところに彷徨うという人もいるが、どうなんだろう」

死んだら無になって今の苦しみから解放される、と思っているが、本当に無なんだろうか」

 


私が、仏教に教えられている「無明の闇(死後の分からない不安)」を話しをすると、

「自殺を考えたときに、このことはよく考えました」

と言われる方が今までも何人もありました。

 


中東で自爆テロで死ぬイスラム信者は

「聖戦(ジハード)で死ねば、天国に行ける」と思えばこそ、

爆弾を抱えて、ああいう死に方ができるのですが、

あの人たちに問い質したいのは

「もし行けなかったら、と考えたことはないですか」ということです。

そんなことを訊いても認めないだろうし、

激高するかも知れませんが、

内心深く、そういう疑問・不安があるに決まっています。

その不安に素直に向き合えば、仏縁を結ぶ機縁になるかもしれません。

 


ネット上ではちょっと知られた僧侶がこう主張していました。

「生まれた物は皆、土へ還る。

痛みや苦しみから解放されて土に還っていく。

遅かれ早かれ皆同じだ。そうして命は巡っている。

そう受け入れればいい」

 


これもその僧侶に訊きたいのは、

「『私の肉体』はあなたの言う通り、

火葬場の煙となり、やがて土に帰るのはわかるが、

『私』がそうかとなると話は別だと思うが、

なんで「無」だと断言できる?」

ということです。

 


死後は無だ、などと言われていない釈迦の教えに奉じる僧侶なら、

なおさら聞き質したいですね。

 


死んだら無 になるのだったら、

「生きたい人は生きたらいいし、死にたい人は死んだらいいのが人生」

という結論になり、

何かに命を散らすのも、さして問題にすることもなくなります。

人生が苦しくて仕方ないなら、そんな堪え忍ばなくても、

さっさと終わりにして無になればいいとなります。

無になれば苦しみはなくなるのですから。

 


もし死んで天国に行けるのなら、なおのこと、自殺は賢い選択になります。

この世でつらい思いをしなくても、

早く、その楽しい天国とやらに行けばいいのですから。

 


なぜ人は死を恐れ、死をできる限り遠ざけようと懸命なのでしょうか。

それは人類が心の底で、死んだらどうなるかわからぬ底知れない不安におびえているからです。

この不安を仏教では『無明の闇』といい、

生全体に暗い影を落としている元凶だと、釈迦は説かれています。

 

 

 

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歎異抄に魅了された司馬遼太郎と西田幾多郎

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仏教書の中で最も多くの人に読まれてきたのが『歎異抄』です。

その流れるような文章の美しさから

『徒然草』『方丈記』と並び、「日本三大古典」に数えられます。

その衝撃的な内容、哲学的な深遠さは、読む人を魅了してやみません。

 


魅了されている一人が国民的歴史作家、司馬遼太郎氏です。

歎異抄について、かって氏が講演で述べている箇所がありました。

ーーーーーーー

私は兵隊に行くときにショックを受けました。

まず何のために死ぬのかと思ったら、腹が立ちました。

いくら考えても、自分がいま急に引きずり出され、 

死ぬことがよくわからなかった。

自分は死にたくないのです。

ところが国家は「死ね」という。

死んだらどうなる かが、分かりませんでした。

人に聞いてもよく分かりません。

仕方がないので本屋に行きまして、 

親鸞聖人の話を弟子がまとめた『歎異抄』を買いました。

非常にわかりやすい文章で、読んでみると真実のにおいがするのですね。

人の話でも本を読んでも、空気が漏れているような感じがして、

何かうそだなと思うことがあります。

『歎異抄』にはそれがありませんでした

ーーーーーーー


時代考証、現地の歴史を調べ上げて、

徹底したリアリズムを追求する司馬遼太郎なればこそ、

多くの書に「空気が漏れているような感じがして、何かうそだなと思う」

と敏感に察知するのでしょう。

 


毎年流行っては廃っていく「○○心理学」や「○○の思想」などを読んで、

「空気が漏れているような感じがして、何かうそだなと思う」

と感じられる人は案外多いと思うのですが、

そんな思いを持っている方が歎異抄を読まれると、司馬遼太郎のように

「『歎異抄』にはそれがない」「真実のにおいがする」

と感じられるのではないかと思います。

 


歎異抄には親鸞聖人の言行が生き生きと活写されています。

歎異抄を読む人は、常識を覆す親鸞聖人の言葉の数々に惹きつけられ、時に身震いさえ感じます。

きっと司馬遼太郎氏はそうだったのでしょう、こうも書き残してます。

「鎌倉時代というのは、 一人の親鸞を生んだだけでも偉大だった」

鎌倉時代に起こったあらゆる事件、そこにまつわる様々な人物に精通し、

日本史上における鎌倉時代の位置づけなど多角的に論じられる氏が一言で

「鎌倉時代は偉大な時代だった」と断じている。

しかもその理由が「だって親鸞を生んだ時代じゃないか」と言っているのです。

 


さらに氏は言います。

「無人島に一冊の本を持っていくとしたら『歎異抄』だ」

 


司馬氏と同じようなことを日本三大哲学者の一人、西田幾多郎も言っています。

第二次世界大戦末期、空襲の火災を前に言った言葉です。

「いっさいの書物を焼失しても、『歎異抄』が残れば我慢できる」

 


では「歎異抄」にはどんなことが説かれているのか、

その核心をひもとく記念講演が5月に予定されています。

歎異抄に魅了され、その神髄を知りたいと志す人が、

日本中はおろか、世界中から集う講演で、

約1万人の来場者が予定されています。

私も指折り数えてその日を待ち望んでいます。

どなたでも聞ける講演です。

どんな講演か、詳しく知りたい方は、私のメールアドレスまで『講演希望』との題名で送ってください。

kikutani@waseda.ne.jp

詳細をお知らせいたします。

何かでごまかさなくては生きていけない虚しさの正体とは

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【無明の闇(1)】


「人間から気晴らしを除いたら、不安と倦怠だけになる」

とはパスカルの言葉です。

テレビも、ゲームも、読書も、おしゃべりも、

何かしていないと虚しく、退屈で、不安でやりきれないからしているだけの、

気晴らしの一種だと言っています。

 


駅のキヨスクで雑誌が売れたり、プラットフォームでスマホゲームにいそしむのも、

ほんの電車を待つ数分の手持ちぶさたに耐えられないから、ともいえます。

「つまんねえ」「なんかいいことない」という若者の声は

この不安、退屈から助けてくれ、とのうめきです。

 


これをB・ラッセルは

「趣味や娯楽は、たいていの場合、根本的な幸福の源ではなく、むしろ現実からの逃避となっている」

と言いました。

 


鋭敏な哲学者たちがぼんやりと気付いている、これら「人生の虚しさ」「漠然とした不安」を

仏教では「無明の闇」といわれます。

 


仏教では、趣味や娯楽だけでなく、

政治・経済・科学・医学・芸術・文学・宗教・法律・スポーツなど、

人間の一切の営みは、この人生の虚しさをごまかす努力だ、と説かれます。

国会で論じていることも、ノーベル賞級の研究も、ルーブル美術館の作品も、

世界中の宗教儀式も、オリンピックも、宇宙旅行も、国家間の戦争も、

あれら全部、人生の虚しさをいかに目を背けるか、のために存在している、だなんて。。。

身もフタもない、衝撃的な釈迦の教えだと思われませんか。

 


漢の武帝が「歓楽極まりて哀情多し」と詠んだのも、人生の虚しさを感じてのことでした。

苦労してようやく手にした歓び、楽しみなのに、

この虚しさは何だろうと、自己の胸の内を告白しています。

 


ビートルズのジョン・レノンはこのように言っています。

「ビートルズは、欲しいだけの金を儲け、好きなだけの名声を得て、そして何も無いことを知った」

 


夏目漱石も死の前年、こう記しています。

「今まで書いた事が全く無意味のように思われ出した」

 


どれだけのことを成し遂げても埋めることのできない、この得体の知れない虚しさを

どうすれば晴らすことができるのか。

仏教の目的はそこにあります。

 

 

 

 

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『六識』を通してブッダが教えられたかったこととは

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【六識(1)】


仏教に「六識」という言葉があります。

「識」とは「心」という意味で、

仏教に説かれている六つの心のことを「六識」といいます。、

眼識(げんしき)・耳識(にしき)・鼻識(びしき)

・舌識(ぜっしき)・身識(しんしき)・意識(いしき)の六つです。

 


およそ人間の楽しみは、この六識の楽しみに収まります。

見る楽しみ、聞く楽しみ、嗅ぐ楽しみ、

食べる楽しみ、触る楽しみ、知る楽しみ、です。

美しい自然の景色を観光したり、素敵な芸術作品を観賞して楽しむのは

「眼識」の楽しみを味わっていること。

歌手やオーケストラのコンサートに行くのは、

「耳識」の楽しみを求めてのこと。

アロマを炊いたり、すがすがしい自然の空気を吸い込むのは、

「鼻識」の楽しみです。

グルメや料理の追求は、

「舌識」を楽しませようとする努力であり、

肌触りのいいシーツやマッサージの気持ちよさは

「身識」の楽しみです。

読書や人の話を聞き、新しい知識に胸躍るのは

「意識」の楽しみを満足させている姿です。

人間の営みはこの六つの楽しみの追求です。

 


しかし、これら六識の楽しみは、いずれも「続かない」という欠点があります。

どんな絶景も、その感動はやがて冷めてしまいます。

どんな好きな音楽でもずっと聞いていると、飽きてきます。

どんな芳香も、次第に慣れ、感じなくなってきます。

どんなおいしい食事も満腹すれば、楽しみは終わります。

背中を掻いて気持ちよくても、ずっと続ければ痛くなってきます。

どんな知的満足も続かず、色あせてきます。

 


人間は日々の生活の中で、

見るか、聞くか、嗅ぐか、食べるか、触るか、知るかして、

なんとかいろいろな楽しみを獲得しようと努めていますが、

これら六つの楽しみはことごとく、はかなく、短命です。

仏教の「六識」の教えは、人間のはかない幸福の実態を教えられたものなのです。

 


この「六識」の楽しみしか知らない私たちに、

お釈迦様は「六識」の楽しみを超えた本当の幸福のあることを明快に説かれています。

 

 

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自利利他のブッダの教えを実行してみたところ・・・

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【自利利他(2)】


アメリカの研究チームが、大学のキャンパスである実験をしました。

学生に20ドルの現金を渡し、今日中に使ってほしいと頼むのです。

グループAには自分のために使うこと、

グループBには人のために使うことと条件をつけました。

 


自分のために使うことを指示されたグループAの学生は、

化粧品やアクセサリー、食べ物などに使いました。

一方、人のために使うことを指示されたグループBの学生は、

友人のため、あるいはいつもお世話になっている人のために使いました。

幼い兄弟におもちゃを買ってあげたという人もいました。

 


さてこの日 幸福を感じたのはどちらのグループだったでしょうか。

調査の結果は著しいものでした。

自分のために使った学生よりも、人のためにお金を使った学生の方が

はるかに幸福度が高くなっていることが分かったのです。

 


これは裕福な国の若者だったから、という理由はあてはまりません。

生活水準が低いアフリカの発展途上国で行われた同様の実験においても

同じようなデータ結果が見られました。

 


【人に幸せを与えようとする人が、幸せになれる】

この真理を、釈迦は『自利利他』と説かれています。

利益(幸福)を他人に与える人が、自らも利益(幸福)を得るのです。

与える人が、与えられる人になります。

与えない人は、人からも与えられません。

だから幸せになりたかったら、幸せを与える人になることです。

幸せを与える人は、その心の向きと行動自体が自ずとその人を幸せにさせますし、

さらにまた、やがて思いがけないほど、その人に幸せが返ってきます。

 


本当かなと思う人もあるかもしれませんが、

釈迦は「実行すれば分かるよ」と言われています。

 

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