親鸞に学ぶ幸福論

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今、あなたは自分の仕事に熱中しているか

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精進(1)】


「これで映画の企画が通りやすくなる」

『万引き家族』でカンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞した是枝監督の、

受賞記者会見の言葉です。

これを聞いて、根っから映画を作りたい人なんだな、と感銘を受けました。

 


フランスの映画監督ジャン・ピエール・ジュネは、こう言っています。

「よく“映画監督になりたい”という人がいるが、その考え方は間違っている。

何かになりたいという考え方は、

有名になりたいとか、人から認められたいという気持ちの表れにすぎない。

大事なのは“映画を作りたい”と心から願うことだ」

この言葉もジュネの映画監督としての矜持を感じます。

 


「一番偉い」「女優にもてる」「がっぽり儲かる」

こんな動機で映画監督を目指す人は、

おそらく映画監督にはなれません。

それは「こんな映画を作りたい」という情熱で、

映画監督を目指している人に勝てないからです。

 


歌手でも一緒です。

「歌手になりたい」と語るその人の動機が、

「テレビに出れる」「儲かる」「もてる」ことへのあこがれであった場合、

根っから歌が好きで、歌っているときが一番楽しくて、

「みんなにも歌を聞いてもらいたい」という情熱に動かされて歌う人に勝てません。

「歌手になりたい」人は、売れないと失望して、嫌になってきますが、

「歌いたい」人は、例え売れていなくても、目の前の一人の人に精魂込めて歌えるからです。

 


これは仕事すべてに通じることです。

収入や名声という結果にあこがれ、仕事している人は、

仕事そのものを愛し、熱中している人には勝てない、ということです。

仕事の質、量ともに、月日と共に、圧倒的に引き離されてしまうからです。

 


自分の仕事を愛し、熱中するようにすること。

それが、成功の秘訣です。

 

 

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空事・たわごと・真実あることなき世にあって、正しい信心を説かれた親鸞聖人

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【正信偈(3)】


正信偈について話を続けます。

親鸞聖人が正しい信心を歌で教えられたのが正信偈です。

「正しい信心?そんなの、どうでもいいよ。オレには信心なんか要らない」

という声を聞きますが、

「信心」は特定の宗教を信じる人だけの言葉ではありません。

すべての人は何らかの信心を持って生きていることは

先回、様々な例を通してお話ししました。

 


もちろん何を命と信じるかは、一人一人違います。

しかしみな、何らかの信心を持って生きているのだから、

信心が要るとか要らないの問題ではない。

「生きる」とは「何かを信じている」状態に他なりません。

 


そこで問題にすべきは、何を信じて生きるかです。

何を信じようが、どうでもいい、というわけにはいかないでしょう。

なぜなら私たちは信じているものに裏切られた時に苦しみ、悩むからです。

 


病気の苦しみは、健康に裏切られたから。

ガンで余命幾ばくと宣告されたら、

「なんでこの若さで」「まさかこんな目にあうなんて」と

夜も眠れないほどショックを受けて苦しみますが、

それはまだまだ健康でおれると、

カンカンに信じていた信心が崩れて苦しんでいる姿といえます。

 


子供に虐待されて苦しんでいるのは、

「この子のためなら」と信じてきたのに、その子に裏切られたからです。

 


しかも皮肉なことに、信じ込みが強ければ強いほど、

裏切られた悲しみや怒りは大きくなるのです。

「この子のため」「この子のため」と子供を命としてきた親にとって、

その子供から虐待されたり、事故で失ったりすることほど辛いことはありません。

 


私たちは、決して苦しんだり悲しんだりするために、

生まれたのでもなければ、生きているのではない、

本当の幸福を求めて、生きているのです。

それは誰しも異存ないでしょう。

 


では自身の胸に手を当てて考えてみてください。

あなたは本当に裏切らないものを信じて、生きているでしょうか。

これらの中に「これだけは裏切らない」というものがあるでしょうか。

 


仏教は「何もない」と説かれます。

一切は「諸行無常」。

「諸行」とはすべてのもの、「無常」とは続かないということ。

世の中の一切は続かない、やがて滅びゆくもの。

私たちが信じているものの一切も例外はありません。

すべて「無常」のものばかりですから、

何を信じても、やがては裏切る、と説かれています。

 


静かに今までを振り返ってみれば、

どれだけ信じていたものに裏切られ、

辛く苦しい思いをしてきたことか、

何かを信じなければ生きてはいけないので、

様々なものを信じて生きてきましたが、

そのいずれも「諸行無常」。

今、自分が手にしているものも、

いつ自分を裏切るか、いつ自分の手から離れていくか、

一寸先は闇です。

だから一時として、心からの安心も満足もないのです。

 


では私たちはどうしたら心から安心できる幸せになれるのでしょうか。

親鸞聖人は

「本当の幸福になりたければ、絶対に裏切ることのない正しい信心を持ちなさいよ」

と教えられています。

諸行無常の世にあって、絶対に裏切ることのない「正しい信心」。

それは、いったいどんなものなのか。

その正しい信心を親鸞聖人が明らかになされたのが『正信偈』なのです。

正しい信心、本当の幸福とは何か、はっきり知りたければ、

その答えは『正信偈』にすべて明示されています。

 

 

 

 

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何かを信じなければ、一時として生きておれないのが人間

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【正信偈(2)】

 


正信偈』について話を続けます。

親鸞聖人が「正しい信心」を、

親しみやすい歌の形で教えられたのが『正信偈』です。

 


先回お話ししたように、すべての人は何かしらの信心を持っています。

何の信心も持っていない人は、ありえません。

ちょっと考えれば分かります。

たとえば(男性限定のたとえになってしまいますが)、

床屋でひげを剃ってもらう時のことを考えてみてください。

床屋はこのとき、カミソリを用いますが、

T型カミソリでなくて、あの本格的なカミソリをのど元やあごの下にあてて、

ひげをそっていきます。

もし床屋が変な気をおこして、このカミソリを横にサーッとひいたらどうなるか。

首には脳に血液を送る太い頚動脈がありますが、

これが切られたら、一気に出血多量で死にます。

そんな頚動脈のある首筋にかみそりを当てるのですから、

赤の他人に命預けているようなものなんですが、

自分自身振り返ってみても、ドキドキもハラハラもしない、

気持ちよくて、どうにも睡魔が襲ってくる。

いや、自分だけではない、

ほとんどの客は寝ているし、中にはいびきかいている者までいます。

なぜそんな平気でおれるのか。

それは「まさか床屋が変な気を起こすこともないだろう」

と床屋を信じているから、です。

 


今まで私は何度か、夜中に高速道路を友人と交代で運転して、

遠距離移動したことがありますが、

あれも考えてみれば、運転手のハンドルに命あずけているようなものですよね。

もし夜中に運転手が居眠りでもして追突したら、

急ブレーキ音で眠りから起こされた瞬間、

激突の衝撃と共に身体が前のめりになり、

フロントガラスに頭を強打し、そのまま即死です。

「まさかそんなめったなことはなかろう、

夜中の間、自分は眠りこけても、運転手が寝るはずがない」

と、その運転手を信じ込んで、寝てしまうのですから。

 


医者から薬をもらえば、どんな成分が入っているかいちいち調べてから、

問題ないと確認してから飲むという人はまずいないでしょう。

医者がくれたものに間違いなかろうと、口の中にほおり込んでいます。

医者を信じて生きているということです。

 


そもそも「明日はこうして、来月はああして、来年にはああなって」と様々な計画を立てているのは、

自分の命を信じて生きているからではありませんか。

ひょっとしたら何か事故か事件に巻き込まれて、今晩限りの命かもしれないのに、

まさかそんなはずがなかろう、と手帳に予定を書き込んでいます。

これは「まだまだ死なない」と自分の命を信じて生きている姿です。

 


何の信心も持っていない人があれば、

その人は床屋にも、病院にも行けず、タクシーにも乗れず、手帳に予定も書けません。

 


それでもなお「世の中には信じられるものなんて何もない」

と強弁する者、もしあらば

「ではあなたは、“世の中には信じられることなど、一つもない”

という思想を信じているんですね」

と切り返されるだけでしょう。

 


人間は何かを信じなければ、

一時として生きていくことはできない存在なのです。

 

 

 

 

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正信偈で親鸞聖人が伝えようとされたことは何だったのか

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【正信偈(1)】


親鸞聖人の書かれた『正信偈』は、

今も葬式や法事の際に読まれるので、多くの人に知られています。

「正信偈?聞いたことないぞ」という方でも

冒頭の「きみょう~むりょう~じゅ~にょ~らい~」と聞かれれば、

「あー、あれが正信偈か」と分かられる方もあるのではないでしょうか。

 


漢字ばかりで書かれているので「お経」だと思っている人が多いですが、

『正信偈』はお経ではありません。

お経は、釈迦のお言葉を書き残したものですが、

『正信偈』は親鸞聖人の書かれたものですから、お経とは違います。

 


わずか1行7文字で120行、全部で840字の『正信偈』に、

親鸞聖人の教えのすべてが収まっています。

だから『正信偈』の意味が分かれば、親鸞聖人の教えのすべてが分かります。

 


このたび何回かに分けてお話ししたいのは、『正信偈』という題名についてです。

親鸞聖人はなぜご自身の教えを簡潔・明快に教えられたこの文章を

『正信偈』と名付けられたのか。

そこにどんな意味が込められているのか、お話ししてまいります。

 


『正信偈』の「偈」とは「うた」。

聞かれたことがある方はご存じのように、「うた」ですから、独特の節があります。

『正信』は「正しい信心」。

よって『正信偈』とは、正しい信心の歌、ということです。

親鸞聖人が「正しい信心」を、親しみやすい歌の形で教えられたのが『正信偈』なのです。

 


「正しい信心も何も、そもそも信心なんか関係ない」と、

自分とは何の関係のないタイトルのように思われる方もあるかも知れません。

ふつう「信心」と言えば、何かの神や仏を信ずることだと思っています。

「あなたは何を信心していますか」

「私は観音さんを信心してます」というように、

何か特定の宗教を信じている人に用事のある言葉であり、

無宗教の自分に「信心」の話は関係ないと思うのでしょう。

 


しかしよく考えてみてください。

「信心」とは、「心で何かを信じる」ことですから、

何も神や仏に限ったことではありません。

何かを信じていれば、それはその人の信心です。

 


信じるとは、あて力にする、たよりにする、支えにする、

と言い換えても同じことです。

私たちは、何かを信じなければ生きてはいけません。

夫は妻を信じ、妻は夫を信じています。

子供は親を信じて生きています。

親は子供を信じて生きています。

金があるから大丈夫と、貯金額をたよりにしている人は「金信心」ですし、

知識を力にする学者は「知識信心」です。

健康を自負するのは「健康信心」でしょう。

共産主義者は、共産主義という思想を信じている人たちです。

「科学が人類を幸福にする、宗教は要らない」と言っているのは、科学信心の人です。

神や仏を信じるだけが信心ではありません。

何かを信じておれば、それはその人の信心です。

 


その人が命として信じているものは、

それこそその人が、我が生きる目的、と思っていることであり、

その人の信心は、その人の人生そのものなのです。

 

 

 

 

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成功した人の言動は学びの宝庫

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【因果の道理(2)】


成功者をねたむ人はどこにでもあります。

「なんであいつばかり」

「うまくやりやがって」と、

たいていは、成功者にあらわれた結果だけを見て、ねたむものです。

 


しかしその人に現れた「成功」という結果には、

必ずそうなるにいたった原因がその人にあったからこそ、おきた結果なのです。

まかぬ種は生えません。

その人のまいた種が、その人にあらわれたのです。

これは仏教の教えの根幹であり、これを「因果の道理」と言います。

 


成功した人の言動は学びの宝庫です。

ねたんだりしている場合ではない、

その人から学ばなければ、もったいない限りです。

 


最近は日本人の読書離れが進んだせいか、

学者の書いた中身の濃い、根拠もしっかりしている良著は

大衆には読まれず、

内容的には二番煎じであっても、

やわらかい言葉で、ふわふわと表現した本がベストセラーになり、

マスコミにも取り上げられ、やがてその本を書いた人は

その道の大家のように認知されていきます。

 


その風潮は学者としたら面白くないだろうし、

エンターテイメント性の強いそのベストセラー作品を

けなしたくなる気持ちは分からないこともないですが、

少なくとも、一般大衆を惹きつけ、最後まで読ませる力量においては

負けているのですから、そこはよくよく自覚しなければなりません。

 


芸能界のヒットメーカーである秋元康氏は

ベストセラーになった本は必ず読むそうです。

その理由をこう語っています。

「ベストセラーには、売れた理由が必ずあるからです。

そして、それは自分に無かったものが多い。

自分に無かったものを素直に認めることが、

次のステップに繋がるのです」

 


成功した人を見て、ねたんで批判するか、

それともその人を成功に導いた原因はどこにあったんだろうと、

その人から学ぼうとするか、

この違いで、その人がどこまで成長できる人か、が決まるのです。

 

 

 

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タイムスリップしなくても過去を変えることができる

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【因果の道理(1)】


「過去にまいた種が、現在、実を結んだのであり、

現在まく種が、未来に実を結ぶのだ」

と仏教は教えます。

過去の行いが、現在の運命を生み出したのであり、

現在の行いが、未来の運命を生み出すのです。

この『因果の道理』を徹底して説かれているのが仏教です。

キリスト教やイスラム教の教義とは、ここは大きく異なります。

 


過去を悔やみ、嘆いている人の前に神が現れ、

「もう一度人生をやり直せ」と奇跡を起こし、

過去にタイムスリップするというストーリーはよくあります。

 


仏はそういった奇跡は起こしません。

仏法者は、過去を悔やむ人を前にこう説きます。

「過去を変えることはできない。

しかし過去が持つ意味は変わるんだよ。

あなたの今からの心がけ次第でね。

どんな結果が現れようと、すべては己のまいた種。

人のせいにせず、懺悔して、最善を尽くしなさい。

そうすればきっと過去の全てが、

本当の幸せになるのに必要だったことが分かるだろう。

流した涙も、辛かった日々も、

全てが真珠の玉となってあなたのその手に返るんだよ。

過去を不幸のままで終わらせるか、

それとも意味あるものに変えられるか、

それはあなた次第なのだよ」

 


このように説かれる釈迦の智恵により、

人生を明るく切り開いていった人が過去多くあり、

それらの人たちが仏教を胸から胸へ伝え、

インドから世界中へと伝来していったのです。

 

 

 

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おもしろい!仏教の説く幸福観は他とはずいぶん違う

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【絶対の幸福(1)】

 

外資系投資銀行のロンドンオフィスに勤務するA氏の年収は

50万ドル(約4000万円)でした。

彼は周りの友人よりも年収が少ないことを気にし、

正当な評価を受けていない自己の境遇に不満を抱いていました。

 


これを聞いた多くの読者の皆さんは

「何言ってんだ。年収が4000万円もありながら」

と金持ちの贅沢な悩みに憤慨されるかもしれません。

 


では次の例はどうでしょう。

埼玉県に住む派遣社員のB氏は、収入が周りよりも少なかったので、

自分は不幸だと感じていました。

ちなみにB氏の年収は200万円でした。

こちらの方は納得されるかもしれません。

「200万ではちょっとね・・」と。

 


しかしこちらの例も、飢餓と疫病で苦しむアフリカの途上国の人から見たらどうでしょう。

先ほどの例と同様、金持ち日本人の贅沢な悩みだと思うのではと思います。

 


このように人間は、自分が幸福かどうか、比較して判断してしまうのです。

自分が周りの同僚や友人よりも何かが劣っていると感じると、

元気がなくなり、みじめになります。

その優劣を決めている「何か」とは、

「財産」「名誉」「家族」「美貌」「才能」など、

その人が重い価値をおいているものです。

逆に、人はその「何か」が、周りより自分の方が勝っていると感じると、

元気になり、気分がよくなります。

 


他人を評価するときも、そうです。

その人の「何か」が自分の周りより勝っていると幸福な人だと評価し、

自分の周りより劣っていると、不幸な人だと勝手にレッテルを貼ります。

 


たとえばお金に重い価値を置いている人ならば、

収入の低い人を「不幸な人だ」と思い込み、

収入の高い人を「幸福な人だ」と決めつけてしまうようなものです。

 


周りよりも「何か」が優れているか、劣っているか

勝っているか、負けているかに一喜一憂している幸福観は、不安定です。

その幸せは長くは続きません。

いつ抜かされるか分かりませんし、

自分の信じた価値観とて、あてにならないからです。

これを仏教では「相対の幸福」といいます。

相対の幸福をどれだけかき集めても、心に真の平安は訪れません。

 


仏教には、相対の幸福ではない、もう一つの幸福、

人と比較せずとも喜べる、絶対の幸福が説かれています。

 

 

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