親鸞に学ぶ幸福論

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親鸞聖人が『教行信証』を執筆された目的とは

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【疑謗(1)】


私は、不特定多数の人に情報発信している以上、

ましてその内容が宗教思想に関することですから、

批判のメールを受けることは覚悟しています。

直接私にメッセージを送ってくる人もあれば、

自分のサイトで茶化したり、中傷したりする人もあります。

 


そんなメールにブログを始めた最初こそ

「わからん者が無責任な批判するんじゃねえ」

と不快になったりもしましたが、最近は穏やかに読んでいます。

もう長いこと情報発信しているので、

耐性もついてきたのかもしれません。

批判的なメールよりも、

ずっと多い感謝や共感のメールをいただいているからかもしれません。

 


ほとんどの批判は「よく読んでください、そんなつもりはありません」で済むものですが、

中に傾聴に値するような意見もいただきますし、

少なくとも誤解を招くような言い方をしてしまったことはこちらに非がありますので、

ご意見、ご批判は、いつも自分の糧となっています。

 


また思うのは、たとえそれが根も葉もない的違いの非難中傷であっても、

毎日流れる圧倒的な情報洪水のインターネットの世界で、

なぜかその方は仏教の教えを記した私の文章が目にとまり、

何かしらその人の心に影響を与えたからこそ、

そういうコメントをしたくなったのですから、

これもその人の仏縁であり、

私とも何らかのご縁がある人なんだろうな、と思うのです。

 

親鸞聖人の教えを話しをすると、

出てくる質問、反発は、だいたい同じようなものです。

「人生の目的なんかない」

「変わらない幸福なんてなれるはずない」

というのは、よくあります。

世間の常識がそうですから、

私がホームページやメルマガで

「人生の目的がある」「変わらない幸福になれる」

と書くのはとても受け入れられないのでしょうが、

受け入れられようが、受け入れられまいが、

それこそが生涯かけて親鸞聖人の教えられたことですから。

 


私は親鸞聖人の教えを伝える講師ですから、

「人生の目的がある」

「変わらない幸福になれる」

と今までも、これからも、様々な角度から言い続けるだけです。

 


親鸞聖人は主著『 教行信証』のあとがきに

--------------
(原文)
もしこの書を見聞せん者は

信順(しんじゅん)を因となし 

疑謗(ぎほう)を縁となし

信楽(しんぎょう)を願力(がんりき)に顕(あらわ)し

妙果(みょうか)を安養(あんにょう)に彰(あらわ)さん

--------------
(意訳)
この教行信証を読む人の中には

信ずる人もあろう、謗る人もあるだろう

いずれもそれを因とし、縁として

弥陀の救いに遇い、永遠の幸福を獲得してもらいたい)

--------------

と書き遺されています。

 


『教行信証』を読むと、その内容は

「人生の目的がある」「変わらない幸福になれる」

とそればかり徹底して書かれています。

 


「いや、ここまで重ねて書かれているのは、やはりそういう世界があるのだろう。

そうでなければここまではっきり書けないだろう。

どんな幸福なのか知りたい」

そういう気持ちを起こして教行信証を読む人は

「信順(しんじゅん)を因」とする人です。

 


「馬鹿言え、人生の目的なんてあるはずない、人間が変わらない幸福なんかなれるものか」

と頑なに反発して、どこか間違いはないかと教行信証を読む人は、

「疑謗(ぎほう)を縁」とする人です。

 


いずれも、いずれも、この教行信証を読むことを因縁とし、本当の幸福になってほしい、

と親鸞聖人が念じられて、教行信証の末尾に書き遺されたのが、この一節です。

 

 

 

 

 

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腹が立つ元は、“~してあげている”との慢心。だからこそ三輪空に心がけよと説かれる仏教

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【三輪空(1)】

 

腹が立つ元は、“~してあげている”との慢心です。

だから釈迦は私たちに「三輪空(さんりんくう)に心がけなさい」と勧められました。

「三輪空」とは、布施(親切)をした時、

○私が、○誰々に、○何々を、してあげた、という三つを忘れなさい、

との仏教の教えです。

 


三輪空に関して過去のメルマガで書いた際、

読まれた方から、

「今朝、出かけに妻との会話を思い出し絶句してしまいました」

との感想をいただきました。

その方が奧さんの言動に思いあまって玄関先でこう言われたそうです。

「いつも自分のことは自分でしている。

 食事・食器の後片付け。部屋の掃除。

 よかったら洗濯も自分でするからいい。

 だから別居しよう」

すると奧さん、すかさずこう言い返してきたとのこと。

「あなたは親らしいことしていない。

 自分の意見を押し付けたいだけでしょう。

 これだけ私が我慢してあげていたのに…」

 


会話は平行線で折り合いがつかない状態のまま、家を出て、

その直後に三輪空に関するメルマガが届き、

まさに三輪空ができていないのが自分たちだ、と思われ、

感想のメールを送ってこられたのでした。

 


三輪空は、言うは易く行うは難し、で

実行しようとしてみて難しさが知らされますが、

この方のように「自分はできていないな」との日々の気づきが大事です。

 


今日はマンガを通して「三輪空」を学んでみましょう。

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こんなやりとりあったなあ、と思い出します。
家族だったり、職場仲間だったりすると、お互い支え合う場面が多いので、つい相手がしてくれないと「いつも~してあげているのに、私には何もしてくれないなんて勝手だ!」と怒りに転じる場面が多くなります。

 

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弟さんは、お姉さんが困っているんだろうなと思って、雨の中、忙しいのに傘を届けに行ったんでしょうね。
お姉さんを想う気持ちがなければできないことです。

 

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お姉さんもよく宿題を教えてあげているんでしょうね。
弟思いのいいお姉さんです。

 

大切な人だからこそ支えている、それがゆえに時に腹が立ってくる。
赤の他人には腹が立たないものです。

 

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相手が自分に向けて怒りをぶつけるのも、その多くは、その人が自分を支えようといろいろしてくれているからです。
その人にとって大切な人だからです。

 

 

 

 

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カジノのギャンブルで貪欲があおられ、身を滅ぼす

 

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【貪欲(1)】


私は大学生の時、友人に誘われて初めてパチンコ屋に行き、

つきあい程度に1000円分だけ玉を買い、やってみたのですが、

ものの5分ほどで持ち玉がなくなってしまったことに、

「あれ、もう終わりなん?」と唖然とした経験があります。

肉体労働のバイト約1時間分のお金が、

わずか5分も経たないうちに無くなってしまったことに

「これ、何が楽しいんだろ?オレの一時間分を返せ」

と腹立たしい気持ちになりました。

以来パチンコは二度とやっていません。

 


しかしこの時、もし私が大当たりでもして、

1000円があっという間に5万円くらいになってしまったら、

どうなっていただろうと思うのです。

もしかしたら「バイトなんかするよりパチンコを極めた方がいいやないか」

と、病みつきになったかも知れませんよね。

 


大王製紙の元会長は、カジノの借金で会社の金に手をつけ、

辞任に追い込まれ、懲役4年の実刑判決を受けました。

彼がその当時の心境を、新聞の手記に載せていたのですが、

欲の恐ろしさ、人間の弱さを知らされる内容でした。

 


彼は初めてカジノをした豪州で、用意した100万円が、

一夜で2000万円になったそうです。

カジノに魅せられた日であり、

同時に転落の始まりとなった日でした。

 


お金を稼ぐのは並大抵ではなく、

地道に、忍耐強く、頭と身体に汗かいて、

コツコツと手に入れていくものですが、

カジノでは、100万円が一夜にして2000万円になってしまうのですから、

舞い上がるのもわかります。

カジノ場が宝の山のように見えてもおかしくありません。

 


カジノにはまって、やがて借金がかさんでいきました。

会社から10億円近い借入金をバカラにつぎ込み、

手持ちが1500万円に減ってから逆転、

23億円になったこともあった、とか。

しかしそれも勝負を続けてすぐに消えていったのでした。

 


「ギャンブルでの負けはあまり記憶に残らない。

 勝ったことばかりが記憶に残るんです」

と彼は言います。

1500万円が23億円になった経験は記憶に焼き付くが、

23億円がなくなっていった過程はあまり記憶に残らない、とのこと、

これも恐ろしいなと思いました。

 


やがて借金が膨大な金額まで積み上がると、

地道に返そうとすると長い時間がかかってしまうため、

一発逆転できないかと考えてしまうそうです。

しかし借金返済をギャンブルで一発逆転を狙うのは

「ポジティブ」ではなく、ただの「無謀」です。

「思っていることが現実になる」とは、

よくスピリチュアル系の人が口にしますが、

少なくともギャンブルの場合、この考えは危険です。

「あたる」「あたる」「強く思い込め」と自己に言い聞かせるのは、

苦しいときの神頼みの心境と同じです。

 


いわば「一攫千金の大勝負」とは、

借金を招いたダメな自己に向き合うことが怖く、

長い間倹約をし、地道に借金返済する生活も嫌な人が、

その暗い部分を見ないようにする逃げ道となりやすいのです。

 


やがてギャンブルの負けを取り戻すのは、

ギャンブルしかなくなってしまい、

返済日が迫り、尻に火がついてくると、

大勝負をやらざるを得なくなり、

さらに借金を招き、

坂道を転がるように破滅に向かっていくのです。

 


「ギャンブルでもうけるのは、幻想だと思った方が身のためです」

と手記は締めくくられていました。

 


欲を起こし、欲に振り回され、やがて欲のために身を滅ぼす、

人間の実態が顕著に表われるのがギャンブルだと感じさせられる手記でした。

 

 

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キリスト教の信者勧誘で使われる鉄板トークの一例を紹介

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【人身受け難し(1)】

 

キリスト教、イスラム教、ユダヤ教は、

いずれもユダヤ民族の神話と歴史の書である「旧約聖書」をルーツとしており、

唯一神にして万物の創造主とされる「ヤハウェ」を拝するのも一緒で、

ひっくるめて「アブラハムの宗教」と称されます。

今日、アブラハムの宗教の信者は、世界の過半数を占め、世界最大の思想宗教です。

 


アブラハムの宗教では「人間は神によって造られた被造物である」と断定します。

その根拠は「この宇宙と人間という存在が、偶然の産物であるはずがない」であり、

いかに宇宙が緻密で精巧かを、様々な事例で力説し、

「どう?これが偶然なんてある?」と迫ります。

 


そしてまたこう言います。

「神は、意図があって人間を造った。

神の被造物である人間の生まれてきた目的は、

神が人間を造った意図を知って、初めて判明する」

これは、造られた人間の生きる目的を知っているのは造った神のみだ、という論理です。

この論理の補強材料として、キリスト教を説く者がよく使う例は、

「時計は時間を知るためにあり、

 車は人や物を運ぶためにある。

 作られたものには必ず、

 それを作った人の目的があるでしょ」

というもの。

 


そしてここから、自殺者や殺人の多い暗い世相をクローズアップし、

「神を否定したから、生きる意味が感じられず、自殺したり、人を殺したりするんだ」

と、「神を信じない」悲劇を力説します。

ここでも「人間が偶然の産物なら、存在の意味とか目的を問うことはできないよね」と、

神を信じるか、唯物論か、二者択一の思想しなかいかのように話しを持っていきます。

 


今私が話したことは、キリスト教を語る人が、

かなり鉄板にしている話しの進め方ですから、

キリスト教の話に触れた経験があれば、

この展開の話はご存じの方も多いと思いますが、

随所に突っ込みどころ満載です。

 


ちなみに仏教では、創造主を持ち出さず、すべては偶然の産物とも言わず、

なおそれでいて揺るぎなき「生きる意味」があることを明かします。

まるで創造主の神か、一切は偶然の唯物論か、

二元論に帰結しようとしていた人も、

仏教を知られると、こんな物の見方があるのか、と

きっと新鮮に感じられるのではないかと思います。

 

 

 

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マンガでわかる仏教『卑下慢』

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【卑下慢(1)】


仏教で『六大煩悩』の一つに数えられるのが『慢』です。

『慢』とは、慢心、自惚れ、欲目のことです。

『慢』により、私たちは横柄になり、人を見下すようになり、

言ってはならないことを言い、やってはならないことをやり、

恨みを買い、やがてその報いを一身に受けていかねばならなくなる。

『慢』が、私たちを煩わせ、悩ませる108の煩悩の中でも、

特に大きな六大煩悩の一つに数えられるのも頷けます。

 


日本レスリング協会から始まって、日大アメフト部、アマチュアボクシングと、

最近世を騒がせている指導者の醜態を見ても、

いずれの場合も、成功を収めたことで慢心が増大し、

あれだけのことを暴露されても謝罪もまともにできないほど、

自己を省みることができなくなってしまっていることにあきれるばかりです。

慢心におぼれる者の末路をまざまざと見せつけられる思いがいたします。

 


これは今に始まった話ではなく、

古来から自惚れ、慢心を戒めることわざ、格言も数知れず、

古今東西、おびただしい人が慢心に足をすくわれてきたことが知らされます。

『口自慢の仕事下手』

『高慢は出世の行き止まり』

『我が子自慢は親の常』

と日本のことわざにもあり、

『勝って兜の緒を締めよ』とも諭されてもいる。

シェイクスピアは『慢心は人間の最大の敵だ』と語り、

平家物語は『驕れる平家は久しからず』と述べる。

株投資の世界でも『慢は損を招き、謙は益を招く』と言われ、

イソップ童話では『自惚れは自滅を招く』とある。

 

しかしどれだけ「自惚れるなよ、自惚れるなよ」と戒めようとしても、

もう私たちから離れないのが「慢」なのです。

こんな時でも自惚れるのか、とあきれる思いにさせられるのが

お釈迦さまの教えられた「卑下慢」です。

 


「卑下慢」とは、卑下しながら自惚れることです。

私ほど頭の低いものはおらんだろう、とニンマリする心です。

謙虚にふるまって、自己反省の深さを誇示している心です。

「自分は人より深く反省している人間なんだ」

とひそかに自負する心が絶えず動いています。

 


「卑下慢」の一例をマンガで描いてみました。

といっても原作が私、描いてくださったのはメルマガ読者さんです。

https://siawasenatta.com/?p=432

どんな人でも、自分の欠点は分からないと説く仏教

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【法鏡(1)】


私たちは(これはどんな人でも例外なくそうですが)、

人の欠点はよくわかっても、自分のこととなるとわからないものです。

自分のやっていることは、もう悪いことだとは思えません。

むしろ世のため、人のためになっている、と思い込んでしまっているものです。

 


もし自分が人にやってきたことが

「悪いことだった」と気付くときがあるとすれば、

それは自分が人から同じことをされて、嫌な思いをしたときです。

「こんな嫌なことを自分は人にしてきたのか」と

自分が人からされて嫌な思いをして、初めて気付くのです。

 


人から「それは悪いことだ」と注意されて気付けばいいのですが、

私たちはどうもそんな賢くないようで、

自分が痛い目に遭わなければ、

自己の言動が人を苦しませているのを気付かない、お粗末な存在です。

 


大量の添加物で数々の食品を開発してきた食品会社の敏腕社員が、

仕事を辞めたときのエピソードが心に残りました。

 


彼が奧さんと6歳になる娘さんと食事をしていたときのこと。

娘さんが好物だという、食卓のミートボールを口に入れたとたん、彼はぎょっとした。

それは自分が開発したミートボールの味だったのです。

「とにかくこれは食べちゃいかん」

あわてて皿を取り上げ、説明にはならない説明をしながら、

こんなものを我が子が食べていたことに、胸がつぶれる思いだったそうです。

 


その出来事が起きるまでは、そのミートボールは彼の誇りでした。

廃鶏(卵を産まなくなった安いニワトリ)のミンチ肉に

大豆たんぱくを加え歯ごたえを出し、

ビーフエキス化学調味料を大量投入して味をつけ、

ラードや加工でんぷんで歯触りを滑らかにし、

色を良くするための着色料、長持ちするための保存料、

色褪せを防ぐための酸化防止剤、これら添加物の大量投入で、

本来なら産業廃棄物となるべきくず肉が商品のミートボールに大変身。

発売を開始するやたちまち大ヒット商品、

笑いが止まらないほど売れ行きとなりました。

まずくて食べられない肉が、添加物を駆使すれば、

魔法のように子供の大好きな味に変身したのを

「美味しいだろう。この味は俺にしか出せない。他のメーカーじゃちょっと真似できない味だから」

「1円でも安いものを求める主婦にとっては救いの神だ」

と彼は得意満面だったのです。

 


ところがそのドロドロくず肉に添加物をじゃぶじゃぶ投入したミートボールを

わが子が大喜びで食べていたという現実に、彼の思いは一変します。

「今はっきり分かったことがある。このミートボールは自分の子供達には食べて欲しくないものだった」

彼はこの出来事を機に自分の仕事を悩むようになり、やがて辞表を出すのでした。

 


あの製造過程を見れば、まともな神経を持つ人間ならとても口にできない。

そう知っていながら、その事実に目をつぶり、

営業成績が伸びるのをゲームのように感じ、

自分の仕事が人のためになっているとさえ思っていた、という彼の告白は、

因果応報の悪い報いで痛い目に遭わないと、

自己の言動を反省できない私たちの実態をあらわしています。

 


上司を陰で罵っていた自己の言動を悔やむのは、

自分が上司になり、部下から陰で同じように罵られていることを知ったとき。

 


親をないがしろにし、邪魔者扱いしてきた過去の自己の言動を悔やむのは、

自分が我が子から足蹴にされる立場になったときです。

 


自分に悪報が来ないと気付かないのは哀しいことですが、

人間とはそういうものなのでしょう。

 

 

  

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「多忙な人は例外なくみじめである」と断ずるセネカの悲哀とは

 

 

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【出世本慨(1)】


「お忙しいんですね」と言われると、

目尻が下がり、機嫌がよくなる人があります。

「休日がなくって」「時間がなくって」と、

忙しさ自慢をはじめる人もあります。

おそらくそういう人は、

「忙しい=評価されている」という思い込みがあるのでしょう。

 


ところが古代ローマ帝国の政治家であり、哲学者のセネカは、

「忙しい人」に対して全く逆な見解だったようで、

「誰彼を問わず、多忙な人はみじめである」との言葉を遺してます。

 


このセネカの言葉は、

手帳が予定で埋まり、頻繁に電話やメールがあるのが、

充実した人生だと信じ込んでいる人には、

受け入れがたい言葉かと思います。

 


さらに引き続きセネカは、こう続けます。

「中でもみじめなのは、

 自分自身の用事でもないことに苦労したり、

 他人の眠りに合わせて眠ったり、

 他人の歩調に合わせて歩き回ったり、

 何よりもいちばん自由であるべき愛と憎悪とを

 命令されて行う者たちである」

 


人の顔色をうかがっては、神経をすり減らし、

そのために時間に追われている人生を、

「最もみじめだ」と彼は言います。

どうしても成し遂げたい志があって、

人生においてこれだけは果たさねばならないという目的があって、

そこに向かって邁進している人ならば、どんなに忙しくてもいい、

ところがほとんどの人はどうだ、

自分自身の用事でもなければ、やりたいことでもない、

さして意味があることとも思えないことばかりに

貴重な人生の時間を使ってクタクタになっているではないか、

と辛辣です。

 


しかしセネカの生涯を知る人ならば、

この彼の言葉に、他者に向けられた批判、というよりも、

自嘲めいた響きを感じ取ることでしょう。

 


セネカはローマ皇帝最強の暴君、ネロの側近の一人として、長く仕えました。

ネロの逆鱗に触れ、死刑、毒殺された者は数知れず、

それは家族や側近も例外ではありませんでした。

政治権力の中枢で繰り広げられる、

さまざまな陰謀や謀略をくぐり抜けながら

ネロの側近として長年仕え続けたセネカの心労はいかばかりだったか、

まさに

「他人の眠りに合わせて眠ったり、他人の歩調に合わせて歩き回ったり」

の日々だったに違いありません。

 


セネカが、「中でもみじめな者」として書いている

「何よりもいちばん自由であるべき愛と憎悪とを、命令されて行う者たちである」

という言葉にも、自己の境遇への深い嘆きがあったと思います。

誰を愛し、何を守り、どんなものを求めるか、

もっとも自由であるべき心の中まで、

「あれを好きになれ、そして守れ」

「これを憎め、そして殺せ」と、強制される苦々しさは

彼にとって耐えがたいものがあったのでしょう。

 


晩年、セネカは、ローマ帝国から得た財産をすべてネロ帝に返還し、

政治の世界から退こうと画策しますが、

そのことがかえってネロ帝に謀反を疑われることとなり、

最後はあえなく自殺させられます。

 


政治の力関係に頭悩ませ、様々な調整をし、

時に陰険な謀略に手を染め、

一時として気を許せぬ多忙な日々は、

ただみじめなだけだった・・・・・・

自殺するときのセネカの胸に去来したものは、いったい何だったのでしょう。

 


何のために生まれてきたのか

何のために生きるのか

しっかり見据え、そこに向かって進める人生は、幸せなことです。

セネカの遺した言葉から、しみじみと思い知らされます。

 


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ばたばたして案内が遅れました。

今度8月9日~11日、久しぶりに大阪と京都に行きます。

急きょの案内ですが、公開講座も設けました。

 

大阪と京都の講座の案内です。

10日(金)は大阪で、仕事帰りでも参加できるよう、夜7時半からです。
https://www.kokuchpro.com/event/ec62f0b51d1f7adabae1a5e38923bd4e/

11日(土)は京都です。
https://www.kokuchpro.com/event/7e9b228b49e9b031345450bb2940aa1c/

前後の時間帯は、希望される方があれば、

特に講座に参加できないけれども話を聞きたいという方にお会いして、

お話しできればとも思っています。

よろしくお願いいたします^^

 

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