親鸞に学ぶ幸福論

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人生100年時代の大いなる錯覚

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【人身受け難し(1)】


最近よく「人生100年時代」という言葉をよく聞くようになりました。

今年の流行語ワードに選ばれるのではないか、という勢いですが、

つい2,3年前にはこんな言葉は聞かなかったように思い、

いつ頃から言われるようになったか調べてみました。

するときっかけは、2016年発刊の「LIFE SHIFT ――100年時代の人生戦略」(リンダ・グラットン)という本でした。

リンダ・グラットンというイギリスの女性の教授の書いた本で、

欧米でベストセラーになり、日本でも広く知られるようになりました。

さらに厚労省が昨年9月に「人生100年時代構想会議」を発足したのが、

「人生100年時代」という言葉が認知される決め手となりました。

それから新聞でもニュースでも頻繁に

「人生100年時代に向けての貯蓄」とか

「人生100年時代に合わせて70歳まで雇用」など語られるようになりました。

 

さてこのように「人生100年時代」という言葉が普及すると、

まるで誰も彼もが100歳まで生きられるかのような錯覚に陥りますが、

実際には、現在の日本人の平均男性の平均寿命は81歳です。

しかも81歳の平均寿命まで生きられる人は37%だそうです。

ということは過半数の人は平均寿命を待たずして死んでいく人ということになります。

 

西城秀樹も60代で亡くなり、

ちびまる子ちゃんの作者、さくらももこさんも50代で亡くなり、

元横綱の輪島も70歳になったばかりで亡くなっていきました。

今年を振り返っただけでも、遠く平均寿命に及ばぬ歳で亡くなる人が多くおられるのがわかります。

 

「人生100年時代」を視野に入れて貯蓄の計算するのも大事ですが、

不測の事態で50代、60代で死ぬ事態があることも十分視野に入れて、

「今しなければならないことは何か」

よくよく考えての人生設計をしなければならないのではないでしょうか。

 

 

 

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「悪人になるな、善人になれよ」と勧める教育の問題点とは

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【たわごと(1)】

 

親も、教師も、政治家も、聖職者も口をそろえて

「悪人になってはいけませんよ。善人になりなさいよ」

と教えます。

ところが問題は、その主張の前提となるべき善悪の基準が、

その人その人の主義主張、イデオロギーによって大きく変わる、ということです。

 

第二次大戦時のこと。

イギリスはナチスドイツの暗号の解読に成功し、

ドイツ空軍がコベントリーという25万人の住む都市を11月14日に空襲する

との情報を得ました。

さっそくその情報はチャーチル首相に伝えられましたが、

彼はこの情報を無視します。

コベントリーは無防備のまま空襲を受け、街は壊滅的な被害を受けました。

このときチャーチルは、コベントリーを失うことよりも、

イギリスの暗号解読能力をナチスに知られることを恐れたのです。

 

敵を欺き勝利を得るためにチャーチルがした難しい政治的決断を、

後に彼自身が『第2次世界大戦回顧録』で告白しました。

『回顧録』はノーベル文学賞を受賞し、

思慮深き勇断であった、と評価されています。

しかし25万の同朋を見殺しにしたことに違いはなく、

コベントリーの市民は今もその時の空襲を忘れてはならない、と

壊れた町の一部を今に遺しています。

 

旧ソ連時代、ときの首相スターリンは、

スターリングラードに殺到するドイツの大群を前に

ソ連軍60万を素手で突撃させ、非道な最期を強いました。

食糧難と弾丸の消費を図るためだったといいます。

やがて対ナチスの戦争に勝利したスターリンは

第二次大戦の英雄として確固たる地位を築きましたが、

60万の自国民を殺したのは明白です。

 

1人殺せば殺人者、

5人殺せば殺人鬼、

100万人殺せば征服者。

全人類を殺したら神。

 

これでは「悪人になってはいけませんよ。善人になりなさいよ」

の言葉も空々しく聞こえてきます。

親鸞聖人は「萬のこと・皆もって、空言・たわごと・真実あることなし」と言われています。

 

 

 

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胸を打つ親鸞聖人の断言

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【教行信証(1)】

 


親鸞聖人の著作を読む人がまず心を打たれることは、

簡潔で、明快なその文体の迫力です。

単刀直入に言い切られる断言の数々に、

その一言一言にどれだけの熱い思いと深い学問が込められているのか、

素人目であってもひしひしと感じられるものがあり、

読む人を惹きつけてやみません。

 

私は仏教講座で親鸞聖人の書き遺されたお言葉を出して、

その意味を話をしますが、

以前来られた方が言われたことが心に残っています。

大学で教鞭を執り、論文を書き、

世間に発表する仕事をしている方でした。

「論文は通常、序文に他人の論説を引用しながら注意深く仮説を立て、

それを著者がどう実証したかを詳細に述べたあと、

最後に力を注いで結論を書きます。

ここで、自分の意見をどれほど力説できるかが、論文の質を決めます。

しかし、疑いなく言い切れることはなく、

総合的に考えて

“このような可能性が、極めて高い”

“こう言えるだろう”

といったトーンにするのが常識です。

100パーセントこうだと書くと、

学会内で角が立ち、

それを反証する者が現れた時、学者生命を絶たれかねません」

という内容でした。

 

学者の論文の厳しい世界を知らされますが、

鎌倉時代当時、仏教の書を著すことも、

今日の学者の論文に勝るとも劣らぬ、真剣勝負でした。

どちらが本当の釈迦の教えか、を論じる法論(宗派間での論争)も、

破れた者は宗旨替えを迫られていますし、

信長が設けたことで有名な「安土宗論」という法論では、

破れた日蓮宗の僧が斬首されています。

 

仏教の教えを絶対に曲げてはならない、

との強い責任を持って、仏教の本を著す時代であり、

今日のように著者の思いが自由奔放に語られる時代とは違います。

 

そんな時代にあって親鸞聖人は、

「釈迦の教えはこれ一つですよ」とスパッと断言されています。

その断言の数々は、一切経を全部読んで、

その内容をよくわかられた方でなければ、

とても言えることではありません。

もし誰かが

「おまえはこれ一つだ、と書いているが、この経のこの部分はどうなんだ」

と、反証となる経典の一部を示してきたら、

その質問にはっきりと答えなければ、

ウソを書いた、ことになってしまい、

前言撤回し、あの本の内容は誤りでした、と謝罪しなければならなくなります。

 

だからあの断言の数々は、

「文句があるなら親鸞に言え、ちゃんと答えるから」

との満々たる自信がなければ、

とても言えることではありません。

 

教行信証の、あの簡潔で明快な断言の数々は、

親鸞聖人のはっきりとした確信と、

それを裏付ける深遠な学問上の根拠があってのことなのです。

 

 

 

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そもそも自殺は愚かな行為なのか

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【無明の闇(2)】

 

自殺を思い詰めている人があれば

「そんな馬鹿なことを考えるものではない」

と周りは止めます。

しかし自殺はなぜ「そんな馬鹿なこと」なのでしょう。

『自殺行為=馬鹿なこと』の方程式は、どういう理由で成り立つのでしょうか。

 

動物が自殺するとは聞かないので、

自殺は高等な頭脳を持つ人間ならではの行動と言えます。

けんかしたり、恋愛したり、派閥を作るのは、

人間同様、さまざまな動物もすることですが、自殺はしません。

人間だけです。

となれば自殺とは、「人間らしい行動」といえるかと思います。

 

愚かかどうかは置いといても、

少なくとも自殺する人は、不真面目な人ではありません。

生真面目だからこそ、現実とかけ離れている現状に絶望するのです。

行き当たりばったりの生き方をし、

明日は明日の風が吹く、何をしたって生きていけるさ、と思える人なら、

自殺は思い詰めません。

むしろ真面目で、責任を感じ、逃げることもできず、抱え込んでしまう人が、

これから先の苦しい事態も予想してしまい、

死にたくなってしまうのです。

 

過去自殺していった人を見ても、

決して愚かな人だから自殺したとは思えません。

芥川龍之介とか、太宰治とか、ヘミングウェイとか

頭脳明晰で優秀だった人たちが自ら命を絶っています。

彼らは先が見えすぎて、人生の無意味さを敏感に感じ取っていたからこそ、

自殺したのではなかったか、とさえ思えてきます。

自殺もせずに生きていられるのは、ある種の鈍感さ故といえるかもしれません。

 

さてここまで自殺は愚かな行動といえるのか、問題提起をしてまいりました。

その上で言います。

仏教を説かれた釈迦は自殺の是非をどう教えられているでしょうか。

ズバリ自殺は「愚か」であると、言いきられているのです。

 

キリスト教では自殺は「罪悪」だといいます。

神が与えた命を自ら捨てるのは、神への冒涜だから、おそろしい罪だと言います。

一方、仏教は自殺を「罪悪」とは言いません。

「愚かだ」と教えられています。

 

ではなぜお釈迦さまは自殺を愚かだと説かれたのか、

釈迦ご在世中のこんなエピソードから知っていただけるのではと思います。

http://ur0.link/MXZU

死んだらどうなるか、はっきりしないのに、

「天国だ」「無になる」「神社で祀られる」「風になる」「生まれ変われる」など、

根拠なき勝手な結論付けをし、死の淵に飛び込もうとしているのは

「無知だからだよ」とお釈迦さまはこのエピソードで言われているのです。

 

 

 

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人は死んだらどこへ行くのか。仏教の視点

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【無明の闇(1)】

 


ある僧侶がブログで

「生まれた物は皆、土へ還る。

痛みや苦しみから解放されて土に還っていく。

遅かれ早かれ皆同じだ。そうして命は巡っている。

そう受け入れればいい」

と書いたところ、

その文章が多くの人の賛同を呼び、

ネット上で広く拡散されました。

 

この一事からわかるのは、今日の日本では、

「死んだら無だ」という見解が一般的だということです。

 

この僧侶の言葉に心惹かれる理由は私もわかります。

人生には苦しいことも多い、

嫌なこともいっぱいある、

だけどあなたも周りの人もやがて死に、一切は霧散するのだから、

今の人生の現実とて、一種の夢幻だ、

夢幻の人生で、たとえ嫌なことがあっても、

そんなにクヨクヨしなくていいんだよ、一切が泡沫の夢なんだから、

と言われると、「苦しみ」も「私」も

客観的に感じられ、心が軽くなるのでしょう。

 

しかしよく考えてください。

この僧侶の言う「皆、土へ還る」との主張、

「私の肉体」はその通りだとわかります。

やがて土に還り、草木の栄養となり、

それを食べる動物がいて、命は巡っていく。

それが「私の肉体」のことなら、その通りですが、

「私」がそうかとなると、話は別でしょう。

 

「私の肉体」=「私」だと、現代科学が証明したわけではありません。

「私の肉体」=「私」とも、

「私の肉体」≠「私」とも判断し得ず、

「わからない」という見解です。

何を根拠にこの僧侶は「私の肉体」=「私」と断定するのか、

この僧侶に問い質したいところですね。

僧侶を自認するのだったら、

自分のふと感じた思いで勝手なことを言ってもらいたくないですから、なおさらです。

 

もし死んだら無になるのなら、

自殺も「痛みや苦しみからの解放」ですから

悪いものではないことになります。

何も苦しい人生をずっと耐え続けて生きなくても

「死にたければ死ねばいい」も一論であり、

死の痛みを感じさせない安楽死が奨励されることとなります。

 

もっと極端なことを言えば、

「死んだら無」とはっきりしたなら

肉体的苦痛さえなくぽっくり死ねるなら、いつ死んでもいいよ、

となります。

二度と大切な人と会えない寂しさはあるかもしれませんが、

それもよく考えてみれば、

別れた後、寂しいと苦しむ自分もすでにいないのですから、

大切な人の腕枕で死ねればそれで寂しくない、ことになります。

 

死んだら無になるのがはっきりしているのなら、

「死ぬまで自分のやりたいことを、

やりたいだけやり尽くして、

捕まる前に安楽死しよう」

と考える人がいても、おかしくありません。

 

「何やっても死んだらチャラなんだから、エエやん」と、

今までは世間体や警察や刑務所が怖くてやらなかったことも、

好きなだけやりまくれ、という発想を起こす人もあるでしょう。

いや、現にアメリカで銃を乱射して最後自殺する若者の姿は、

そういう発想に近いものがあります。

 

こう言うと、

「いや、自分は死んで無になるからといって、

自ら命を絶ったり、犯罪を犯さないのは、

残された家族や友人を苦しめ、辱めることになってしまうから、

できないでしょう?」

という人もあるかもしれません。

これは、心の優しい、思いやりのある人の主張であり、

真っ当な意見です。

 

では地球滅亡一日前となったらどうでしょうか。

自分だけでなく、周りもどうせ終わるんだから何をしてもいい、となり、

その時こそ、一切の秩序が崩壊してしまうかもしれません。

ゲームでいうなら、リセットボタンをしてやり直そうとなったら、

「このゲームの中の世界、どうせ終わるんだから、何をしてもいい」

となるようなものです。

 

今回「死んだら無になるとはっきりしているのなら」

という切り口からいろいろ話してきましたが、

実際の私たちは、死んだら無になるとはっきりしていないので、

「死」に際して、得体の知れぬ不安が呼び起こされます。

死を前にした人の心の底に

「残された人生、何をすべきか」

「悔いなく生きるとはどういうことか」

「必ず死ぬのに、なぜ生きるのか」

と真剣な問いが発せられるのも、そのためです。

一片の知性は「死んだら無」と肯定しても

私たちの深い人間性は死後どうなるかわからない不安を恐れているのです。

この不安を仏教では『無明の闇』といいます。

(無明の闇の意味はこちらから→ http://ur0.link/MY1q

 

 

 

 

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怒りの心があなたの心身をむしばむ

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【瞋恚(1)】

 


人体には病気から身体を守る免疫力が本来備わっており、

その免疫力が低下すると、

肩こりや腰痛、冷え、アレルギー症状などがでて、

さらに進行すると肝炎やがんを発症します。

 

このたびノーベル賞を取った本庶教授は

免疫力を活性化してがん細胞を死滅させる画期的ながん克服法を示し、受賞につながりました。

人体に強力な異物を入れる放射線治療や抗がん剤使用は、

副作用がひどく、闘病生活で心身ともにまいってしまうことがあります。

その点、免疫力でのがん克服法は副作用がなく、

2人に1人、がんで死亡する現代における希望の光として

世界は大きな期待を寄せています。

 

このたびのノーベル賞受賞のニュースを見て、

私自身、いかに人体の持つ免疫力が大事か、再認識しました。

 

では免疫力が低下する原因は何かと調べてみると、

「加齢」と「生活習慣」でした。

加齢はいかんともしがたいですが、

ジャンクフードや炭酸飲料の食生活を改めたり、

睡眠不足などの習慣の改善で免疫力は高まるそうです。

 

さらにこの加齢、生活習慣と共に、

大きな免疫力低下の要因とされるのが「怒り」だったのです。

 

免疫力は自律神経と深い関連性があり、

リラックスして副交感神経が優位に働くと免疫力はアップします。

逆に、ふだんから怒ってばかりいる人は

交感神経が優位になり、免疫力が落ちるのです。

 

あなたは一日で何回くらいイラッとしたり、カチンときたりするでしょうか。

あなたの体はそのたびに、確実にダメージを負っています。

日々、誰かにイライラしたり、ムカムカしているままが

ジャンクフードや炭酸飲料を口に詰め込んでいるようなものなのです。

 

お釈迦さまは、怒りの害毒をいろいろな例を通して教えられ、

108ある煩悩の中でも、特に私たちを苦しませる3つの大きな煩悩の一つが

『瞋恚(怒りの心)』だと説かれています。

少しでも怒りのない生活をしたいものですね。

 


PS.怒りをおだやかにする仏教の智恵を動画でお話ししています。

怒りはどこから出てくるか、わかられれば

今日からでも心がどんなに楽になることかと思います。

この仏の智慧は速攻で効果を発揮しますよ、きっと。

こちらからどうぞ。
怒りの原因

 

 

 

 

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「善人なおもて往生を遂ぐ。いわんや悪人をや」歎異抄の意味とは

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【歎異抄(1)】

 


歎異抄に魅了された」というアメリカに住む作家は

歎異抄のどこに感動したのか、問われてこう答えました。

ーーーーーーーー

“善人より悪人が助かる”

なぜそんな衝撃的なことを親鸞聖人は断言できたのか、

西洋文化の中で育ってきた者には、全く青天の霹靂なのです。

悪人より善人が助かる、に決まってるはず。

ところが親鸞聖人はそんな常識をまるでひっくり返されている。

こうした謎めいたところに西洋の我々は惹きつけられるのです

ーーーーーーーー


西洋の人だけではありません。

私も歴史の教科書の資料集で、

この親鸞聖人のお言葉を初めて目にしたとき、

「善人よりも悪人が救われる、って何だろう?」

と心に残りました。

 

どの書物にもないこの強烈な言葉は、

「人間とは何か」を知りたい人々の心を掴んで離しません。

日本思想史上最も有名な言葉、と評した人もあります。

 

これがどこぞの酔っ払いの言葉なら、

「善人より悪人が助かる?何を馬鹿げたことを」

と一蹴されましょうが、

今日でも多くの人から尊敬されている親鸞聖人の言われた言葉となると、

これは何か自分にはわからないだけで、

何か底知れない深い意味があるのでは、と惹きつけられます。

自己の罪に落ち込む時には、

底なしの慈悲のお言葉にも思えてきます。

しかしやはりどう理解したらいいかがわかりません。

 

人智を尽くした解説を聞き

「納得した」と思った瞬間、

すでに謬見に陥っている、そんな言葉です。

 

「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや」

この言葉の本当の意味がわかった時が

絶対の幸福」がはっきりした時です。

 

 

 

 

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仏教に説かれている「絶対の幸福」をわかりやすく、
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