親鸞に学ぶ幸福論

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仕事を好きになればいい、という人生観

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仕事について2回分書いてきましたが、読者の方からこんな感想(反論?)をいただきました。

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ちょっと違和感を感じたので発言させていただきます。
「仕事は嫌なものだ」という決めつけが、心を狭くしているのではないかと感じました。
自分の仕事を好きになり、職場を成長の場とすれば、「なんで生きねばならないのか」なんて考えなくなるのではないでしょうか。
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この方の仰るとおり、仕事が好きで充実していれば、「なぜ生きる」と考え込むことはないでしょう。

過去二回で話してきた内容は簡単にいってしまえば、

「仕事は嫌だ」

「なぜ嫌なのに仕事するのか」

「仕事しないと生きられないから」

「じゃ、なぜ生きるの?」

との流れで話をしましたので。

 

そもそも人間が「なんで○○するのか」と考えるのは、○○するのが辛い時です。

○○するのがその人にとって楽しいことなら、

「なんで○○するのか」の問いには、即答で「楽しいから」です。

たとえば大好きな彼女とディズニーランドでデートする人が

「なぜオレはこの人とディズニーランドでデートしなければならないのか」

と考え込むことはないです。

楽しいから、そんなことは考えません。

これが、彼女との仲がすでに冷え込んでしまっており、一緒にいるのが苦痛だとすれば

「なぜオレは貴重な休日を、この人とデートしなければならないのか」

と疑問が出てくるでしょう。

苦しいことをしていると「なぜこんなことをしているのか」と思うのが私たちなのです。

 

だからこの方の言われるとおり、「自分の仕事が好き」ならば、

私が問題提起したような「なぜ働いて、食べて、生きるのか」という問いは

問題にはなりません。

 

私が二回、「なぜ仕事しなければならないのか」をテーマに話をしてきたのは、

仕事は嫌だな、辛いな、辞めたいな、と思っている人に一石を投じる内容をと思って書いたメッセージです。

そんな人は思いのほか、多いと私は思っています。

(実はほとんどだと思っています)

口では「仕事は楽しい」と言っていても、それは表向きの発言です。

その言葉だけでは、本音はわかりません。

企業が就活生に配布する会社紹介用パンフレットにある社員の声や笑顔が本当でないように、

マルチ商法のセミナーの勧誘員が「めちゃ今の仕事、充実している」と発言するのも本当でないように、

言葉だけはなんとでも飾ることはできます。

 

仕事にほとんどの人生の時間を使っているのが私たちですから、

仕事を楽しいものにすれば、とは、みな考えることですが、

好きな仕事、理想の仕事に就ける人はほんの一握りです。

皆どこかで妥協して働いています。

 

たとえその一握りの、好きな仕事に就けたとしても、

今度は、いつまでその仕事をし続けることができるか、という不安が襲います。

またいくら好きなことでも毎日続けているとどうなるか、

好きだったことも当たり前になり、やがて苦痛に変じることだってあります。

さらには仕事である以上、生活がかかっているので、気楽な気持ちではできません。

 

以下のブログは、好きな仕事で成功している人は幸福かどうか、論じたものです。

好きなことを仕事にできたら幸福だと思っている人の見落としていることとは何か

 

やはり、「何のために働いているんだろう。なぜ生きねばならないんだろう」というモヤモヤした問いは

どんな仕事についても払拭できず、

人生のあらゆる場面で胸について出てくる疑問だといえます。

 

 

 

 

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仕事するのは何のため、って何言ってんだよ

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【なぜ生きる(2)】

 


人は一日の大半を仕事に費やします。

日々どうしたら仕事がうまくいくか、

頭の中は仕事のことでいっぱいです。

少々体がつらくても「仕事だから」の一言でがんばって働きに出かけます。

世間も、きちんと仕事をし、収入を得て生活している人を、「一人前」と評価します。

家族や友人との約束も、急な仕事が入れば「仕事なら仕方ないよね」と皆あきらめます。

自分も周りも、何より仕事最優先です。

 

「では仕事をするために、あなたは生まれてきたのですか」と訊くと、

「そうだよ」と胸張って言う人も少ないように思います。

基本的に仕事は、嫌で面倒なものなのだからです。

 

連休明けの駅のプラットフォームには、

「あ~あ、今日からまた仕事かぁ」

とため息つく人で満ちています。

どれだけこなしても、

次から次へとやらねばならないのが仕事ですから、

キリがなく、これで終わったということはもうありません。

こんな繰り返しをするためにこの世に生まれてきたのか、

これではまるで苦しむために生まれてきたようなものでないか・・・・・・

ふと疑問に駆られることもあります。

 

一方でこうも思います。

なぜ働くか、だって?そんな青臭いこと言っている暇はないんだよ、こっちは。働かなければ生きていけないんだよ」

これもその通り。

しかし問題はまさにそこにあります。

「働かなければ生きていけない」

には違いないのですが、

じゃあ働いてさえいれば、いつまでも生きておれるのでしょうか。

答えは明らかで、いくら働いていても死ぬんです。

だとすればやはり「なぜ働いて生きるのか?」の問いが胸をついて出てきます。

 

仕事さえしていれば、いつまでも生きられるのではありません。

やがて老い、病気になり、仕事もできなくなり、いつか死ぬのです。

それはちょうど大海の真ん中で方角知らずに、

泳ぎ方ばかりに没頭した挙げ句、

土左衛門になっていくようなものです。

「一生懸命働かないと生きていけないんだ」の主張は、

大海原に遭難した人が

「一生懸命泳がないとおぼれてしまう」

と言っているようなものです。

 

果てしない人生の海に遭難する全人類に、

もっとも肝心な

『どこへ向かって泳ぐのか』

『なぜ生きねばならないのか』

を問題提起し、

その上で救助の大船の厳存と方角を示したのが仏教です。

 

 

 

 

 

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「忙しい」とは「心を亡くす」と読む

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【なぜ生きる(1)】


「人間は呼吸するために生きているのではない。何かをするために生きているのだ」

とは、フランスの思想家ルソーの言葉です。

この言葉に、そりゃそうだろう、と誰しも思います。

呼吸するために生きている、なんて思っている人は誰もいない、

「何か」をするために生きている、には違いないのですが、

問題は、その「何か」とは何だろうか、ということです。

その「何か」の違いが、各人の人生観の違いと言えます。

 

私たちは日々、何をするために生きているのか、考えてみますと、

一日のほとんどの時間、仕事をするために使っている、といえます。

朝6時半に起きて、8時頃家を出るまでの1時間半は

洗顔して、朝食取って、仕事のための服を着て、身だしなみを整え、化粧し、

いってみれば「仕事の準備」です。

一日の仕事を終え、電車に揺られ、帰宅すると9時、

仕事で疲れた心身をしばし休息させ、

明日の仕事の段取りを確認して、

夜更かしすると明日の仕事に響くので、12時頃床につく、

振り返ってみると、朝から晩まで、仕事をしているか、仕事の準備をしているか、

だと思う人は多いのではないでしょうか。

となれば、ルソーの言う「何か」をするために生きているその「何か」とは、

多くの人の場合、「仕事」といえるかと思います。

 

では、私たちが一生の大半を使う「仕事」とは、

何のためにするものでしょうか。

「仕事するのは何のためだって?何のためも何も、そもそも仕事をしなければ食べていけないではないか」

と返ってきそうです。

「食べていくためには仕事しなきゃ」

と仕事に精を出します。

仕事をするのは食べるため、生活のため、

仕事をしなければやっていけなくなる、生きていけない。

だから仕事をしている、というのがほとんどです。

 

では「何のために食べるの」と訊けば、

「食べるもの食べんと明日からしっかり働けないだろ」と返ってきます。

確かに身体に悪いものばかり食べていると、働けなくなってしまいますから、

ちゃんと食べなきゃなりません。

となれば「食べるのは働くため」となります。

 

働くのは何のためか。「食べるため」。

食べるのは何のためか。「働くため」。

働くのは食べるため。

食べるのは働くため。

では「働いて食べているのは何のため?」と聞くと、

とたんに答えに戸惑う。

多くの人が、働いて食べる、この繰り返しの日々に

「忙しい、忙しい」と走り回っている有様です。

忙しいとは「心を亡くす」と書きます。

「何のために生きるのか」人間らしい心を失っている状態を指す言葉が「忙」という言葉なのです。

 

忙しい日々に一呼吸置いて、

いったい私は何のために働いて 、食べて、生きているのか。

自問自答してみるのも、有意義な年始のスタートとなることでしょう。

 

 

 

 

 

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「最近の若い者は」と言わないようにしよう

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悪口(1)】


健康寿命が延びたことで、

「定年70歳」「生涯現役」といわれる時代になり、

最近では同じ職場で20代から70代まで働いているそうで、

世代間のカルチャーの違いに戸惑う場面が多くなっているようです。

 

そんな時代だからこそ、年長者の立場で特に気をつけたいのが

「最近の若い者は~」「おれたちの頃は~」

という言葉です。

年長者が若者と一緒に何かすると、

必ずと言っていいほど出てくるぼやきが

「おれたちの頃は~」の苦労談であり、

「最近の若い者は~」の批判です。

 

勤務経験が豊富な年長者から見れば、

若者に足りないところがあるのは当然です。

そこをアドバイスしたり、フォローするのは大事なことですが、

「子供叱るな、来た道じゃ」とことわざにもあります。

「あまり叱るな、お前も通った道じゃないか、いや、もっとひどかったじゃないか」

との反省を忘れてはなりません。

 

また経験しているからといって自分の主張が、必ずしも正しいとも限りません。

時代が相当、自分が経験した当時とは変わっているからです。

どうしても私たちは、自分の培ってきた文化、ものの考え方が正しくて、

向こうは間違いだとしか思えず、

若者に意見を押しつけてしまいがちなので、

これも気をつけなければなりません。

 

さらに言えば、自分より若い人の方が

世相に敏感で、IT技術も長け、柔軟な発想もでき、行動力もあり、

自分にはない良いものをたくさん持っているのを自覚しなければなりません。

大いに学ばなければならないことが、若い世代にはたくさんあります。

 

そういう自己反省を忘れている時に出てくる言葉が

「おれたちの頃は~」であり、

「最近の若い者は~」との批判なのです。

 

約4800年前のアッシリアの石碑にも、

「未来は明るくない。最近の人々の有様は目に余る」

と世を嘆く言葉が刻まれているそうで、

いつの時代でも、こうぼやきたくなるのが、

人間の性(さが)なのでしょう。

 

ホンダ自動車を創業した本田宗一郎は、

生涯現役で経営に当たった人でしたが、

そういう本性を律していたのか、こんな言葉を残しています。

「定年の必要は実際のところ、年老いたということではない。

おもな理由は、若者たちに道をあけなければならないということである。

もし年寄りが経営者であり続けるなら

せめて若い人の悪口を言わないという保障をしてほしい。

もう一つの注文は、時代の変化を勉強することだ」

 

 

 

 

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「私が父親を嫌いになった理由」と観音菩薩

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【布施(1)】


ツイッターで、あるハッシュタグが注目を集めています。

それは「私が父親を嫌いになった理由」。

大人になった女性たちが、

子どものころに父親を嫌いになったきっかけを続々と投稿しているのです。

結婚して実家を離れた今も、

「しゃべらない。孫が生まれたら、絶対に会わせないです」

との投稿もあり、娘を持つ父親なら青ざめる投稿の数々がそこには並んでいます。

 

末永く娘と仲良くするには、どうしたらいいのか、

これは世の父親の変わらぬ悩みです。

その解決法のヒントとなる調査結果があります。

20代の男女1000人に実施した調査です。

調査によれば「お父さんと洗濯物は別に洗って」という女性は全体の12%でした。

ところがある特徴のお父さんに限ると、38%に跳ね上がります。

さて、どんな特徴を持ったお父さんだったのか。

それは「話を全く聞かない父親」だったのです。

 

このデータからわかるのは、信頼関係が築けていない父親は嫌われやすい、ということです。

裏を返せば、話をちゃんと聞いて関係が築けていれば、

多少のことがあっても受け流せるということですね。

 

仕事で疲れて帰ってきて、また家で子供の話を聞くのは大変なのはよくわかります。

つい「へー」「ふーん」といい加減な返事で受け流し、

目はテレビ追っている、となりがちですが、

そういった言動の積み重ねの代償は大きく、

やがて「お父さん嫌い」になっていくのですから恐ろしいです。

 

嫌いな理由に、

「頭ごなしに却下されたり、指図された」というのも結構あったので、

「ちゃんと聞く」のは大事ですが、

決して「自分の話を娘に聞かせる」ことではないようですね。

 

これは娘だけでなく、

息子にも、妻にも、

さらには上司や部下との関係にも、通ずるものがありそうです。

 

阿弥陀仏の脇士であり、慈悲の象徴である観音菩薩は、

「音を観る」菩薩と書きます。

音とは「衆生の愁嘆の声」。

「観る」とはここでは「聞く」という意味ですから、

人々の憂い嘆きの声をひたすら聞く、という意味です。

 

人々の困っていること、悩んでいること、を親身に聞き、

共に悩み苦しむのは、「慈悲」がなければできません。

そうした「慈悲」のある人が慕われ、愛され、尊敬されるのは、

いつの世でも一緒です。

 

 

 

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人生行路の行く先を問う仏教

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【火宅無常の世界(2)】

 

お釈迦様は人生を旅に、

そして人間を旅人に喩えられています。

旅をしていれば、思わぬ絶景に息をのむこともあれば

うっそうとした森におびえることもあります。

荒野をさまよい、のど渇きに苦しむ時もあれば、

そのさなかに冷たいわき水を発見して喜ぶ時もあります。

旅には悲喜こもごもあるように

人生にも順境あり、逆境あり、

だから釈迦は人生を「旅」に喩えられたのです。

 

今までの人生を振り返ってみてください。

「死んだ方がましだ」と思い詰めることもあったでしょう。

「生きててよかった」としみじみ幸せを実感したこともあったでしょう。

好きな人との出会いに心弾んだり、別れに悲嘆したり、

嫌いな人との出会いにうんざりしたり、別れに清々したり、

浮いたり、沈んだりの連続で人生は進んでいきます。

 

現在(いま)だって、「明日は会議だ」と憂鬱になったり、

「まもなく連休だ」と心が浮き立ったり、

「月末なのにまだノルマが未達成だ」と不安になったり、

「ようやく一件成約にこぎつけた」とほっとしたり、

まさに水戸黄門の「人生楽ありゃ苦もあるさ」の歌の如し。

楽になったと思ったら、すぐ苦がやって来て、

苦にどうしようとあくせくしていると、思わぬ楽が訪れたり、

浮き沈みを繰り返して、人生行路を進んでいます。

 

「あのときはあんなに幸せだったのに、今は何も残っていない、あれは本当にあったんだろうか」

と過ぎ去った「楽」の日々に感傷的になることもあれば、

「あんなに苦しかったあの日のことも、今となっては何だったのか」

と過ぎ去った「苦」の日々も、夢幻のように思えてくることもある。

まさに先回お話ししたとおり『胡蝶の夢』です。

 

楽も苦も、過ぎ去っていきました。

今感じている幸せも不幸も、過ぎ去っていき、やがては遠い過去となっていきます。

ただ間違いない現実は一つだけ。

それは何か。

「瞬時も止まることなく、どこかに向かって進んでいる」という事実です。

 

お釈迦さまが人生を旅に例えられた真意は、

山あり、谷あり、浮き沈みの人生行路の行く先はどうなっているのか、

その旅はいったいどこに続いている旅なのか、その行く先でした。

 

 

 

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胡蝶の夢と化す無常の世界

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【火宅無常の世界(1)】

 


「胡蝶の夢」といわれる故事があります。

「胡蝶」とは蝶々のことで、

中国の思想家・荘子が蝶(ちょう)になった夢を見た、という話です。

花から花へひらひらと楽しんでいたが、急にハッと目が覚めた。

そこにはいつもの部屋、いつもの布団に人間である自分がいる。

荘子はあまりにリアルな夢に、

「あれは夢だったのだろうか」

「いや、この人間の姿をしている今が、夢なのではなかろうか」

としばし戸惑った、という話です。

 

私も悪夢と言うほどでもないですが、

何か大きな失敗をしでかして狼狽する夢を見て、

ハッと目が覚めた時、

「あ~、夢でよかった」

と胸をなで下ろすことがあります。

ところがあまりに深刻な夢の内容に

「あれ、夢だったんだよな」としばし自問した経験もあるので、

『胡蝶の夢』の故事には共感するものがあります。

 

先日、仏教の勉強会に来られた40代の男性の方の話にも、

『胡蝶の夢』を思い出しました。

その方は奧さんを亡くされ、5年経つというのですが、

今なお奧さんと交わした会話をふと思い出されるそうです。

そういえばあいつ、あんなこと言っていたなあ、もう5年も経つのに、

と思われるとのこと。

二人で言い合った冗談や、

些細なことでケンカしたこと。

しかしその記憶も

「あれって、本当にあったことなんだろうか」

と自信がなくなってくる。

なぜなら、確かにそういうことあったね、と

その時のことを証明してくれる人が、

もうこの世にいないのだから。

自分のぼんやりした記憶の中にあるだけのこと、

本当にあったんだろうか、

ふとすると夢の中での出来事のようにも思えてくる、

と言われていました。

夫婦で心を通わせた日々も、

胡蝶の夢と化してしまった、ということでしょう。

 

今年ももうすぐ終わります。

平成もあと数ヶ月で終わろうとしています。

今年あったことも、

平成時代に経験したことも、

いつの日か胡蝶の夢と化すのでしょうか。

 

 

 

 

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