親鸞に学ぶ幸福論

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カエサルの洞察に人間の普遍性を見る

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【凡夫(1)】


人の上に立つ者は、「人」とはどんなものか、よく熟知していなければなりません。

「人」を知らずして、人を動かすことはできません。

 

カエサルは、ローマ軍を自らの手足のようにあやつり、

ガリア、ゲルマンの部族を次々と屈服させた希代の英雄ですが、

なぜローマの男たちはカエサルに命をあずけたのか。

なぜ彼はそれだけの人の心をつかみ、動かすことができたのか、

その理由をさぐるとき、カエサルの冷徹ともいえる人間洞察があったことが、

彼の遺した言葉の数々からうかがえます。

いくつか紹介しましょう。

 

○人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない

○苦境は、友を敵に変える。

○人は感情が支配するようになれば、決定を下すのは感性で、理性のたち入るすきはなくなる

○始めたときは、それがどれほど善意から発したことであったとしても、時が経てば、そうではなくなる。

○人間とは噂の奴隷であり、しかもそれを、自分で望ましいと思う色をつけた形で信じてしまう。

○あせれば人は、ごく自然に以前の成功例にすがりつくようになるものである。

 

情熱的で、快活で、冗談も多く、

その磊落さで接する者は男でも女でも虜にしたといわれるカエサルですが、

その笑顔の奥には、客観的な冷めた目で周りを観察しているもう一つの面があったようです。

 

カエサルの時代から2000年以上経ち、科学が発展し、社会は激変していますが、

人間の本質的な部分は少しも変わっていないことが

彼の人間洞察の言葉の数々からも知られます。

 

 

 

 

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諸行無常の冷厳な事実と、それに気付かぬ人間の迷い

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【諸行無常(1)】

 


仏教に『諸行無常』という言葉があります。

『諸行』とは、「すべてのもの」。

「行」という字が使われているので「すべてのもの」という意味だと思われないかもしれませんが、

この「諸行」は、そういう意味です。

「無常」とは「常がない」「続かない」ということ。

この世でずっと続くものは何もない、

世の中の一切のものは移ろい変わっていく、

一つとしてずっと変わらないものは何もない、

と説かれているお釈迦様の教えを『諸行無常』というのです。

 

この『諸行無常』の教えは、仏教の三法印の一つです。

三法印とは、他の宗教にはない仏教ならではの教え、仏教の特色といえる三つの教えのことです。

その一つが『諸行無常』の教えですから、極めて大事な内容です。

 

一切のものは続かない、ということは、

あなたの今触れているスマホやパソコンもいつか壊れるということであり、

今おられる部屋もいつか崩れる、ということです。

大地震で一気に部屋が崩壊することもあるかもしれませんし、

そうでなくても、少しづつ変わっています。

だんだん壁はくすんできて、窓は汚れ、じゅうたんはシミがつき、といったように、

昨日の部屋と今日の部屋は変わっています。

今おられる部屋も私たちの目からは、昨日と今日とで何も変わった気はしないですが、

それはただそう見えるということで、実際は、刻一刻と変わり続けています。

 

20年後、30年後に久しぶりにこの部屋に入ってみたらどうでしょう。

「これ、あの部屋?なつかしいなあ、こんなに古びてしまって」と感嘆するぐらいに変わってます。

毎日見てるので私たちの思いでは変わっていないように見えても、

実際は変わっているのです。

 

太陽だって無常です。

いつまでも続くものはありません。

あと約60億年で寿命を迎えるといわれています。

そういえば昨日の太陽と比べると、今日の太陽、少し老化したような・・・

とは思いませんが、これも思わないだけです。

昨日の太陽と今日の太陽では、何も変わってない気がするだけで

実際には変化しています。

 

人間もそうですね。

同窓会なんかで20年ぶりに出会った友人に「変わったな」「老けたな」「太ったな」と思います。

もちろんそんなこと言わずに、「変わってないね」と言うのですが。

容姿も変わりますが、場合によってはそれ以上に考え方、物腰、振る舞いなど、いろいろ変わります。

家族のように毎日接している人からすれば、

だんだん変わっていくので

「うわっ、変わったなぁ」という驚きはないですが、

それは毎日見てるから変わってないように思えるだけであって、

実際は毎日毎日刻々と変わってるのです。

 


健康も無常です。

50代からがん検診が勧められるのも、がんにかかる年齢だからです。

歳を取るとだんだんと体の臓器も古く、弱くなり、免疫力も落ちていきます。

ある日、突然人間ドックで再検査の通知が来て、「悪性腫瘍です」と宣告されるので、

突然がんになった、としか私たちは思えませんが、

実は人体の中でがん細胞は毎日発生しており、免疫細胞とのせめぎ合いをしています。

それが加齢で免疫細胞が弱くなると、がん細胞に負け始め、

がんは人体を浸食するようになり、

やがて発見できる大きさになって検査で発見される、ということです。

 


諸行無常の真実を忘れ、「常がある」これは変わらない、と思い込み、

ある日突然、その思いが間違いだったことを知らされ、

「まさか」とうろたえる、それが私たちの実態です。

 

 

 

 

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人生の正念場に最大限の力を発揮せよ

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【出世本懐(1)】


田中将大選手が破格の年棒でヤンキースと契約しました。

年間30試合に投げると仮定すれば、ヤンキースは1試合あたり約7,667万円の給料を田中選手に支払うことになります。

試合の中でマウンドに立つ時間は1時間もないでしょうから、

実働時間を時給換算すると時給1億円くらいでしょうか。

時給1000円でバイトしている人の10万倍違うことになります。

 

一週間のうち、約1時間だけちゃんと働けば、

あとは遊んでいようが、どこで何してようが、その都度1億円あげますよ、という契約なのですが、

そんな楽な話ではありません。

彼らプロの選手はその一週間に一時間めぐってくるその時間帯に、

最高のパフォーマンスを見せるために、

一切の生活をそこに照準を定めて努力を重ねているのです。

 

徹底したカロリー制限の食生活、

地道な筋トレやランニング、

ピッチャーは利き腕はボールより重いものは持つなと言われ、

現役時代は我が子と手をつないで散歩する時も利き腕では手をつながず、

風呂に入るときも指がふやけないよう、水面から出して入る徹底ぶりです。

 

あるテニス選手は15歳でプロになってから現役引退まで

果物以外の甘いものは一切食べたことがなかったと言っていましたし、

フィギィアスケートの選手は500グラム増えると演技に致命的な影響を与えるからと

厳重なカロリー計算をして、節制しています。

「生活即オリンピック」という言葉もあります。

4年に一度めぐってくるその瞬間を最高のものにするために

一切の生活はその準備にあてられるアスリートの生活を指す言葉です。

 

プロ野球のピッチャーならマウンドに立つ時、

フィギィアスケートの選手ならアイスリンクで演技する時、

彼らが人生で一番大事だと思っているその時に、

最大限の集中力、コンディションを発揮できるよう、

寝ても起きてもその準備に余念がありません。

 

あなたにも、人生の中でこの時が最も大切な時間、場所というのがあるかと思います。

自分の人生にとって最も真剣に臨まなければという正念場の時です。

その時、その場所で、最高の状態で臨めるよう、私たちはどれくらい日々準備しているだろうか。

寸刻も忘れることなく、常にその時、その場所を意識する毎日を送っているだろうか。

アスリートの姿勢に反省させられます。

 

 

 

 

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名誉欲のご質問にお答えします

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【名誉欲(1)】


先日、名誉欲について書いたところ、何人かの方から感想をいただきました。

そのメルマガ、ブログでは、

『友だち用の私。親用の私。上司用の私。彼氏用の私。

と相手によってクルクルと自分を変えていくうちに、

いつしか本当の自分を見失ってしまうのです』

と書きました。

http://kikuutan.hatenablog.com/entry/310203kamereonn

 

その内容に以下のようなご質問がありました。

ーーーーーーーーーーー

書いて下さっている通り、様々な自分を演出している事があります。

自分を見失っているのかもしれません。

では、一体どうしたらよいと言うのでしょうか?

嘘か本当かは立証できないので何ともですが、知り合いのご縁で、

今回が人間界最後の方とおっしゃられる方にお会いしました。

その方は「人の目を気にするな。ありのままの自分で生きなさい」と仰いました。

これを聞いて「そうありたいけど、そうあれないよな」って思える自分もいたのです。

その矢先にいただいた文章だったので、つい質問してみたくなり、、、

一体どうすることが自分にとっても、みんなにとっても、地球や宇宙にとっても良い姿なのか、、、、

と言う事をもし可能であれば、ご教示頂けると幸いです。

ーーーーーーーーーーーー

 

これはこの方だけではなく、多くの人の悩みでもあります。

私たちは人からよく思われたい気持ちでいっぱいなので、

いつも人の目を気にして一喜一憂し、右往左往しています。

なのでご感想にあった「人間界最後の」人が言っていたように、

「人の目を気にするな」とのアドバイスも出てくるのですが、

ではこれを実践できている人って、どこかにいるでしょうか。

 

人の目を気にしていてさえ、

礼を失したり、不快にさせることを言ったりやったりしてしまうのに、

人の目を気にしなかったら、うまくいくはずありません。

だいたい「ありのままの自分で生きろ」と言われても、

自分の思っていることをありのままに言ったり、やったりしたらどうなるか。

人間関係がグチャグチャになるのは目に見えているので、

この方の仰るとおり、「そうありたいけど、そうあれないよな」というのが現実です。

 

ではどうしたらいいのか。

仏教の教えに基づき、以下のようにお答えしました。

ーーーーーーーーーーー

感想いただき、ありがとうございました。

(中略)

いただいたご質問にお答えしますね。

一番大事なのは、ご自身の人生の目的は何か、しっかりと見つめることです。

その目的に向かって進む際、人間関係が大事ですから、

相手に合わせることも大事ですし、

時には飲めないものも飲まねばならないこともあります。

逆にどんなに都合が悪くても、身が引き裂かれるように辛いことでも、

その目的を阻む人間関係なら、相手に合わせてはならない、ということもあります。

肝心要は「己はどこに向かって進むのか」の一点です。

カメレオンのように自分をくるくる変えているうちに自己を見失うといいましたが、

くるくるカメレオンのように変えるのが悪いのではなく、

そのうちに自己を見失うのが問題なのです。

自己の生まれてきた目的、果たさねばならない目的がはっきりしているのならば、

そのためにカメレオンのようにしたたかに生きるのも、意味があります。

まだお訊きになりたいことあれば、お気軽にメッセージください。

ーーーーーーーーーーーーー

 

一方的なブログ、メルマガで、しかも一回の内容で語れることはわずかであり、

拙い者が書いているのですから、

自分なりに慎重に書いてはいるものの、どうしても言葉足らずなところがあり、

誤解されてしまうことも出てきてしまいます。

今回のこの方のように質問いただければ、反省、向上もでき、

返信の形でお答えしてまいりますので、お気軽にご質問ください。

どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

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好きな仕事に就けば成功者になれるという主張の落とし穴とは

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【人生の目的(1)】


「ゲームばかりやっていないで、ちゃんと勉強しなさい」と母親に言われ

「あーあ、勉強やりたくないなあ、ゲームだけやって生きられればいいのになあ」

と思う学生は多いのですが、

最近は「eスポーツ」といって、ゲームで身を立てることもできる世の中になってきました。

 

ゲームで対戦して勝敗を決めるeスポーツは、

将来オリンピックの正式種目になるのでは、といわれるほど規模が拡大しており、

賞金総額が10億円を超える大会も開催され、

年収一億円を超えるプロプレーヤーも続出しています。

 

ゲームばかりしていて現実逃避している、とレッテル貼られて肩身狭くしていた人も、

輝ける場所が用意されたのです。

「よし、これでゲームばかりやっているとは言わせないぞ」

とプロゲーマーを目指そうとする若者は次々と現れています。

 

しかしどの道も大成するのは簡単ではありません。

プロゲーマーは朝から晩まで練習し、

集中力を高めるための食事、睡眠、また幅広いアイデアを取り入れるための読書など、

ゲームに勝つための不断の努力が強いられます。

 

それでもなかなか成果が出ないと、

自分は向いていないのではと葛藤したり、

根気が萎え、地道な努力が嫌になったり、

挙げ句の果てはゲームのことを考えたくなくなり、

マンガや映画や他の娯楽に現実逃避するようになります。

結局また周囲から「マンガばかり読んでないで、ちゃんと本業のゲームしなさい」と言われてしまうのです。

 

「どんなに好きなことでも仕事にすると苦しくなる」とは、このことでしょう。

暇さえあればやりたいことであっても、時間忘れて没頭できたことでも、

それをいざ仕事にすると、状況は変わってきます。

生活がかかってきますので、責任も重くなり、

娯楽や気分転換でできることではなくなり

いつしか「あんなに好きだったのに、どうしてこんなことになってしまったのか」と苦しくなっていく、

これも一つの人間の実態です。

 

好きな仕事に就くことが生きる目的だ、という人は多いですが、

こんな人間の実態をよく踏まえた上での人生設計が必要ですね。

 

 

 

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飢餓で苦しむ人と飽食で苦しむ人。食欲という煩悩の実態

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【食欲(2)】

 

仏教で説かれる『食欲』は、

『貪欲』という煩悩の一つに数えられています。

食欲は私たちを悩ませ煩わせるものだと、釈迦は説かれているということです。

これはお釈迦様に言われるまでもなく、

人類にとって何千年にわたって最大の敵は「飢饉」だったので、

人間は、自らの持つ「食欲」が強いものであるか、

その欲のためにどれだけ苦しみ悩んでいるか、

骨身にしみて理解していました。

いつでも食べたい時に食べられ、飲みたい時に飲めたら、どんなに幸せだろう、

そうなれば食欲に煩わされることなく生きられるのに、

とどんなにこそあこがれたことでしょう。

しかしそれは叶わぬ夢でした。

 

ところがこの100~200年の間に劇的に事態は改善し、

現在では、世界の一部の地域を除いては、飢餓による死亡はほとんど無くなりました。

冷蔵庫を開ければ、お湯を注げば、缶詰開ければ、ビニールの封を開ければ、

お手軽に空腹を満たすことができます。

 

では現代社会に生きる私たちは『食欲』という煩悩から解放されたでしょうか。

実はそれは今も変わりません。

「飢餓」で苦しむことはなくなっても、

代わりに「過食」が深刻な問題になって私たちを苦しませているからです。

2014年、世界で太りすぎは、21億人です。

2010年、飢饉と栄養不良で亡くなった人が約100万人に対して、

肥満が原因で亡くなった人300万人以上いました。

食べ物が足りなくて死ぬ人の数を、

食べ過ぎで死ぬ人の数が史上初めて上回ったのです。

ケーキ、アイス、スナック菓子、ハンバーガー コーラなど

毎日のように口に詰め込み、その結果、生活習慣病を患い、

それでもなお食べたいと執着し、

自分で自分の首を絞めていってしまう人がいかに多いことか。

これも『食欲』のなせるわざです。

 

現代世界では戦争による12万人、犯罪犠牲者が50万人に対して、

糖尿病で亡くなった人は150万人です。

今や砂糖の方が火薬よりも危険、なのです。
 

 

 

 

 

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食欲は五欲の一つに数えられ、罪悪を造ると仏教で説かれている

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【食欲(1)】

 


仏教で教えられる『十悪』のうち、心で造る罪悪が三つあり、

その筆頭が『貪欲』です。

欲しい、欲しいと求める心のことです。

貪欲の中でも代表的な五つを『五欲』といい、

その最初に挙げられるのが『食欲』です。

 

「食欲」を罪悪だと説かれる釈迦の教えに、

「食欲がなぜ悪なんだ?」と首をかしげる人も多いと思います。

「食欲の秋」と聞いて「悪を造る秋」と思う人もありませんし、

「私、お腹空いちゃった」と発言する人に「なんて悪いことを口にするんだ」と眉をひそめる人もありません。

「食欲が旺盛なのは健康的でいいことであり、咎められることではなかろう、何が悪いことあるか」と言っています。

しかしそれは類いまれな飽食な時代に私たちが生きているから、そんなことが言っておれるのです。

 

人類史は何千年も前から「飢饉」を最悪の敵としていました。

つい100~200年前には世界のほとんどの人が、

生物学的貧困線のギリギリのところで暮らしており、

この線を下回ると栄養失調となり、飢え死にしました。

わずかなミスや不運、たとえば豪雨で田んぼの稲がやられたり、といった出来事で、

一家全員、あるいは村全体が、いとも簡単に餓死に追いやられたのです。

 

江戸時代には全国各地で、大小合わせ35回も飢饉に見舞われました。

天明の大飢饉による餓死者は30万人とも50万人ともいわれ、

特に東北地方での被害は甚大で、弘前藩では人口の3分の1が餓死しました。

越後の国では、親が衰弱した子供達を柱にくくりつけ、

兄弟同士、食べ物を巡って殺し合いを始めるのを防いだといいます。

 


飢饉を生き延びてきた当時の人たちは、

生き延びるその過程の中で、

とても人には言えない、いや自分でも思い出したくもない、

そんな罪をどれだけ犯したことでしょう。

本来は兄弟や子供に分かち合うべき食物を、

ひそかに自分一人で食べてしまい、

その結果、兄弟や子供を栄養失調で死なせてしまった、

そんな事例もいくらでもあったはずです。

食欲の引き起こす罪悪の恐ろしさは

じゅうぶん骨身にしみていたことでしょう。

 

 

 

 

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