親鸞に学ぶ幸福論

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大乗仏教の精神、自利利他をわかりやすく言うと

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【自利利他(1)】


仏教に『自利利他』という言葉があります。

『利』とは「利益(りやく)」のことです。

今日、この言葉は「利益(りえき)」と読みますが、

仏教では「利益(りやく)」と読み、「幸せ」という意味です。

『自利』とは、自分が幸せになること。

『利他』とは、他人を幸せにすること。

『自利利他』とは、自利のままが利他になり、利他のままが自利になる、ということです。

つまり自分が幸せになるままが人を幸せにすることになり、

人を幸せにするままが我が身の幸せになる、ということです。

これをお釈迦さまは『自利利他』といわれました。

 

自利のままが利他となる、自分が幸せになるままが人を幸せにすることになる、

とはどういうことか、からお話しします。

自分が幸せになれば、それを独り占めしようとはとても思えません。

周りの人、大切な人にも、その幸せを分かち合いたいと切に願うようになります。

これは、そうしなければならないという義務ではなく、

本当の幸せになった人は、そういう気持ちが自ずとわき上がるものです。

別に他の人に知ってもらおうとは思わない、というのは、

実のところ、その人が幸せではないからです。

幸福(自利)には、必ず利他の心が生じます。

 

おいしいラーメン屋は口コミで広がっていきますよね。

それはおいしさに感激した人が、黙っておれないからです。

客が「おいしかったよ」とは愛想よく言っても、

口コミが発生していないとしたら、

それはその程度の味だった、ということを

店の主人は自覚しなければなりません。

ダントツに美味しければ、自ずとその店は口コミされて、

やがて行列のできる店になります。

 

「こんなすごい幸せにこの世でなれるなんて」

と、仏教の教えに感動、感激した人は、

人にも、こんな幸せがあることを知ってもらいたいと、じっとしておれなくなります。

自分の胸にだけしまっておけ、とはとてもできません。

 

財産や土地なら、分配すればするほど自分の取り分が少なくなるので、

独り占めしようと画策したり、阻止しようといがみ合ったりすることはあります。

しかし遇法の喜びはどれだけ分かち合っても減ることはありません。

たった1本のろうそくの灯が何千というろうそくに灯すことができるように

一人の知らされた仏教の教えが

胸から胸へ、何千、何万という人の心に火を灯していきます。

そして伝えた人は自分の取り分が少なくなるどころか、

よけいに深く自らに法が浸透していくのです。

 

こうしてインドから中国、中国から日本へと、

二千年以上の時を超え、胸から胸へ伝えられたのが、仏教の教えです。

 

では次に、人を幸せにするままが我が身の幸せになる、とはどういうことでしょうか。

次回お話しいたします。

 

 

 

 

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ドラッカーの語る組織の目的とは

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【煩悩(1)】


世の中には三通りの上司のタイプがいます。

1.部下の短所にも長所にも気付けぬタイプ、

2.部下の短所には気付くが、長所が見つけられないタイプ、

3.部下の長所と短所が分かるタイプ

もちろん優秀な上司は、3番です。

 

言うまでもなく、人には凸凹があって、

それがある分野においては強みとなり、

またある分野においては弱みとなります。

上司は部下の強みと弱みを的確に把握し、

強みを十二分に発揮してもらい、

部下が弱みによって苦しまないようにするにはどうしたらいいか、

考えるのが仕事です。

マネジメントの研究で知られるドラッカーの

「組織とは、強みを成果に結びつけつつ、弱みを中和し無害化するための道具である」

と言っているのは、このことです。

 

「この人のこういうところ、まずいな」と、

部下の弱み、欠点の面を見つけるのは比較的簡単です。

難しいのは、部下の強み、長所を発見することです。

ところが優秀な人でも、なかなかこれができない人が多く、

中には部下を叱りつけるのが仕事だと勘違いしている人もあります。

いわゆる2番のタイプです。

 

もちろん2番も、誰でもできるものではありません。

人の欠点が分かるのは、少なくともそのことを自分ができている人だからです。

平社員の時に優秀な営業成績をあげ、

抜擢人事で役職についたものの、

上司としては成果を上げられないという人が2番タイプには多くあります。

 

ほとんどの人が1番か2番で、3番のタイプの人はほとんどありません。

それは人の長所を発見することが大変難しいからです。

人間の本性から言えば、人間は相手の欠点ばかりが目につき、鼻についてしまうものです。

 

仏教では私たちのことを「煩悩の固まり」と説かれています。

108ある煩悩の中には、自分は人より勝っているんだとうぬぼれる「慢」がありますし、

自分が優秀であることを周りに分からせたいという「名誉欲」もあります。

さらに、できていない欠点を指摘して相手が苦しむのをおもしろがる「愚痴の心」もあるので、

どうしても人間は、周りの人の欠点が気になり、それを指摘してしまいたくなるのです。

 

人を見下す「慢」いっぱいの上司は、部下の長所に気付けませんし、

ほめられたい、一番でいたい「名誉欲」で占められている上司は、

自分の長所をアピールすることに心を奪われて、

部下の強みを見つけられません。

 

部下の長所の分かる人、そしてそれを伸ばせる上司は、

自分の中に巣くう「人を見下す慢」や「ほめられたい欲」、

「困っている人を見て喜ぶ愚痴」を律し、自制できる人です。

そんな人はなかなかありませんから、

3番タイプの上司はなかなかいないのです。

 

 

 

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大乗仏教は初期仏教ではないという主張に

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【大乗仏教(1)】

 

「テーラワーダ仏教」なる宗教団体は、

スマナサーラという僧侶を長老と仰ぐ、スリランカの上座部仏教宗派のある一派です。

日本を布教の拠点とし、

パーリ語で上座部仏教という意味の「テーラワーダ」を名乗っています。

 

そのテーラワーダ仏教、スマナサーラのアピールポイントが

「原始仏教」「初期仏教」というフレーズです。

彼らは漢訳の大乗経典は釈迦の説かれたものではなく、偽経である、と喧伝しています。

また日本で布教しようとした目的は

「日本の人が本当の仏教を全然知らないから」と言い、

「日本人はスリランカから本場の仏教を聞かねばならない」と主張しています。

言ってみれば、日本の仏教界は挑戦状をたたきつけられた形ですね。

 

さあ、これら外来からの批判に、日本の仏教界はどう答えるのでしょうか。

このメルマガを読まれている方で僧職の方もあると思うのですが、

スマナサーラらに「本当の仏教を全然知らない」と名指しされていますが、

どう応じられますか。

 

最近、私にも

「親鸞が根拠として挙げている大乗経典は、釈迦死後何千年も後に中国で作成された偽経ですよ。これは学問的事実です」

と言ってこられる方がありましたので、

ちょっとこの件について、今日は触れておきます。

 

まずこの方は大乗経典が仏説でないことを学問的事実と言われていますが、

事実ではなく、一つの説に過ぎません。

最近の説では漢訳の大乗経典のほうが、

パーリ仏典よりも成立が古いと言う人もあり、

同時説も有力です。

成立は、最も新しいのがチベット経典、

次がパーリ仏典やサンスクリット仏典、

最も古いのが、漢訳経典だといわれます。

 

ではなぜこのパーリ仏典を「原始仏教」と呼ぶようになったのでしょうか。

それは19世紀ヨーロッパで盛んになされた仏典研究が、漢訳仏典ではなく、パーリ仏典だったことに端を発します。

当時彼らが植民地としていたスリランカや東南アジアで流布していたのがパーリ仏典であり、

漢訳の大乗経典より彼らの言語ルーツにおいてもなじみやすかったこともあり、

それがお釈迦さま当時の原始仏教だと信じられるようになったのです。

 

だいたい常識的に考えても、もし、大乗経典が釈迦の説かれたものでないとするならば、

古今東西の人類に多大な影響を与え、魅了し続けるあの大乗経典は誰が創作したものだというのでしょう。

大乗経典は、龍樹、天親、無著などの高僧方がともに釈迦の説法として拝誦された経典ですから、

もし大乗経典を創作した人がいるならば、龍樹、天親以上の方でなければなりません。

しかし龍樹菩薩や天親菩薩以上の偉人は、お釈迦様のほかにインドの歴史上見あたりません。

もし実在したとすれば、そんな大偉人の名前が歴史に残らないということは、考えられないことです。
 


大乗経典が仏説であることを、歴史的に証明しようとしている学者もあり、

大乗経典は仏説でない根拠を探すことに躍起になる学者もあります。

しかしいずれにしても学者の論議は果てしなく、

両派が自分の正当性を証明しようと、いろいろな根拠を引っ張り出して解釈しようとしてますから、

これからも甲論乙駁、いつまでも結論は出ません。

 

たとえ漢訳経典が最も古いことが学問上証明されたとしても、

そこに説かれた釈迦の真意を読み間違えれば、私たちの救いにつながりません。

大乗経典は不可称不可説不可思議の仏智の世界を示したものです。

それが真実かどうかは、はっきりと弥陀の救いに遇わなければ、わかるものではありません。

どんな人も救い摂る大乗無上の法の大船に乗せられ、本当の幸福を体得すれば

大乗経典がまことであることは、何人もはっきりします。

 

 

 

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令和の世を迎えられなかった人たちに火宅無常の世界を憶う

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【火宅無常の世界(1)】


歎異抄』という日本の古典に、親鸞聖人が仰ったとされる『火宅無常の世界』という言葉があります。

家のひさしに火がつき、みるみるうちに障子やふすまが燃え、

家屋全体が火に包まれてしまうように、

私たちの生きているこの世は、思いもよらぬ事が突如として起き、

何十年と大事にしてきたものも一気に崩れ去ることがあります。

それを親鸞聖人は『火宅無常の世界』と言われたのです。

 

つい先日も、白昼の池袋の街で、87歳の運転手の車が暴走し、

10人の歩行者を次々とはね、近所に住む母子2人が死亡する、

という痛ましい事故が起きました。

亡くなったお母さんは31歳、子供は3歳でした。

令和の世が始まるまであと11日を残すのみ、というときの事故でした。

亡くなったお母さんも「もうすぐ令和だね」と来る時代に思いをはせていたと思いますし、

子供は3歳ですから「令和はあなたたちの時代よ」とまさに言われていたのですが、

二人は令和の世を迎えることはできず、平成時代にこの世を去りました。

 

令和という元号が発表され、この約一ヶ月の間に

この世を去った人がどれだけあったでしょう。

まさか平成時代にこの世を去ることになろうとは思っていなかった人が

実際に令和を迎えることができず、この世を去っています。

 

いや、まだ3日あります。

日本では1日に約3250人近く死亡するそうですから、

この3日間にも約1万人近くの日本人が命を落とすことになります。

その1万人の中に自分が入らないとも限りません。

今生きている人の中で1万人近くは令和を迎えることができないで、

この世の旅が終わり、次の旅へと旅立っていきます。

私やあなたも令和を迎えることができるかどうか分かりません。

 

「令和」は自分にやってくるかどうか分からない将来。

「死」は誰一人例外なくいずれ直面していく将来です。

もう間違いない、万人にとっての大問題が、

この3日の間にも我が身に引き起こるかもしれない、

常にそんな不安にさらされているのが人生の実態ですから

「火宅無常の世界」といわれるのです。

 

 

 

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ピンピンコロリと若者の自殺(2)

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【人身受け難し(2)】


先回から増加する青少年の自殺についてお話ししております。

ただでさえ少子化が進む日本で、国の宝である子供たちが

みずから命を絶つ現状は放置できる問題ではなく、

文科省も種々の対策に乗り出していますが、

毎年「十分な対策とは言い難い」との反省で締めくくられる現状が続いています。

 

自殺した青少年と関係した人は誰しも前途ある若者の自殺に胸を痛め、

どうしたら止めることができたのだろうか、

今後同じような悲劇を繰り返さないために自分ができることはなんだろうか、

悩まずにおれないでしょう。

 

あなたにもし「死にたい」と訴えてきた子供がいたら、どう言って止めますか。

自信を持って自殺を止めることはできますか。

「死んではいけない」と言えば

「なぜ、死んではならないの?」

と問うてくるでしょう。

その時、なんと答える準備がなされていますか?

 

自殺を思いつめている人だって、

自殺してはならないと聞いてはいますし、

周りの人の気持ちを考えてもいけないことだと感じてもいるでしょう。

でも、死んで楽になりたい、と思う。

死にたい、死んではダメだ、死にたい、死んではダメだ、

眠れぬ夜、何度も真剣に自問自答を繰り返し、その結果、口に漏れた「死にたい」です。

そんな子供に安易に「自殺してはダメだ」と諫めても、

「なぜ自殺してはいけないの?」

と返ってくるのは当然です。

「なぜ自殺してはいけないの?」

この子供の真摯な問いにあなたならどう答えるでしょうか。

 

「だって命は尊いじゃないか」と答えれば

「なぜ尊いの?」と問うてきます。

「人命は地球より重い」

「人間は生まれながらにして侵しがたい尊厳を有している」

「たった一度の命だから」

そんな言葉は何度も聞いて知っています。

「でも、なぜ尊いの?」と

正真正銘の答えが知りたくて聞いているのです。

 

だいたい命が尊いと、大切に生きている人がどれだけあるでしょうか。

ここかしこで「死んだ方がましだ」「さっさと生きてさっさと死にたい」という言葉が飛び交っています。

「PPK」という言葉があります。

「ピン(P)ピン(P)コロリ(K)」ということで、

高齢者にとって、身体がピンピン元気で、何でも食べられ、旅行も行けて、

ある日コロリと死ぬのが一番いい、ということです。

長患いで寝たきりにでもなって、チューブで栄養取ったり、胃から直接食べ物を摂取するようになってまで生きたくない。

入院してなけなしの貯金も崩して、子供や孫にまで介護のために迷惑かけ、疎んじられるくらいなら死んだ方がましだ、

そんな思いをしてまで生きたくない、ということなんですが、

一言で言うと、「苦しくなったら死んだ方がましだ」ということです。

子供たちも苦しいから死んだ方がましだ、と自殺を思い詰めているのですが、

止めようとする大人も、苦しむくらいならコロリと死にたい、死んだ方がましだ、と言っているのですから、

子供たちの自殺を止められるはずがありません。

 


「なぜ自殺してはいけないのか」

「なぜ苦しくても生きねばならないのか」

知らないのは大人も子供も本質的には一緒なのです。

命の尊さに無知だから「PPKがいい」「死んでもいいじゃん」と言えてしまうのです。

苦しみに耐えてでも生きねばならない理由を知らないからです。

 

この大問題にはっきり納得できる答えを知りたい人に聞いてほしいのが親鸞聖人の教えです。

 

 

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ピンピンコロリがいいという高齢者と若者の自殺

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【人身受け難し(1)】


平成の30年間における自殺者推移は、

バブル崩壊で会社の倒産、リストラが相次いだ一時期と比べると、やや減少傾向にあります。

しかしこと青少年の自殺者に限ってデータを取れば、年々右肩上がりです。

今日の日本の死因のトップ3は、悪性腫瘍(がん)と心疾患と脳疾患ですが、

10代、20代、30代に限って言えば、死因のトップは自殺です。

40代になるとトップこそ悪性腫瘍(がん)ですが、2位は自殺です。

青少年の自殺は日本の抱える大きな社会問題なのです。

 

若者の自殺ほど悲惨なものはありません。

「これからだというのにどうして...」と周りの人を苦悶の底にたたき落とします。

知人が「子供が親より先に死んではダメだよ」と言っていました。

子供を亡くして親が喪主となる葬儀に参列し、強く思ったそうです。

親族の悲しみ、とりわけ親のそれは痛々しいほどで、

その場に居るのもいたたまれなくなるほどだとか。

ましてやその子供の死因が自殺だったとなれば、

なおさら悲惨なものになるのは言うまでもありません。

 

青少年の自殺を食い止めるにはどうしたらいいか、

自殺対策基本法は改定が重ねられ、こころSOS対策本部を設置したり、

国も種々の対策に乗り出していますが、「十分な対策とは言い難い」現状が続いています。

 

どうしたらこの憂慮すべき問題が解決できるのか、

各界の識者が侃々諤々(かんかんがくがく)の議論を重ねています。

いわく、

「教師による生徒の面談を強化すべき」

「学校の成績偏重の教育の見直しをすべき」

「親の幼児教育のアドバイスを」

「外で遊ばなくなったからだ」

「添加物を使った食生活だ」

これらはいずれも一因には違いないのでしょうが、

核心の【根本的な自殺の理由】がまったくと言っていいほど語られていません。

どんな話し合いがなされても、根本の自殺の理由にメスが入らなければ、不毛の議論が続くだけです。

 

では自殺の根本的な自殺の理由は何なのか。

それは【なぜ自殺してはいけないのか】

この問いの答えがまったく教えられていないからです。

ここが根本です。

 

子供が万引きするのをやめさせたいと思ったら、

「なぜ万引きはいけないのか」「どうして人のものを取ってはいけないのか」

徹底して子供が分かるまで話をしなければなりません。

それが教育です。親や教師の役目です。

「なぜ万引きはいけないのか」そこが分からない子供に、それを教えることを後回しにして、

監視カメラを増やすとか、お小遣いを渡すとか、副次的なことだけ論じていても

子供の万引きはなくなりません。

誠心誠意「万引きするとどんな目に遭うのか」「なぜいけないことなのか」教えなければなりませんし、

「本当にそうだ。やっちゃいけないことだったんだ」

と心にコトッと納得いくまで、話をしなければなりません。

 

自殺だって同じです。

「どうして自殺は愚かなことだと言えるのか」

「なぜ自殺してはいけないのか」

「苦しくても生きねばならないのはなぜなのか」

子供に分かるよう、伝えなければ、相次ぐ自殺は止められません。

 

しかしこの問いに真正面から答えようとすると、簡単ではありません。

文科省の官僚や政治家、学校関係者だけで解決できる問題とは違います。

簡単でないどころか、古今東西の人類の最大の疑問、

「何のために生まれてきたのか」

「なぜ人は生きなければならないのか」

と取り組むことになるからです。

それをフランスの作家、アルベール・カミュは

『真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ』

『人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本問題に答えることなのである』

と言っています。

 

 

 

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仏教の六大煩悩の一つ、慢心の実態とは

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【慢(1)】


ある大企業の管理職以上を対象としたセクハラ研修の内容は衝撃的なものでした。

全員の席に手鏡が置かれていて、講師が開始直後に

「はい、鏡でご自分の顔を見て下さい」

「分かりますよね。若い女の子があなたに優しいのは上司だから。それ以外の理由はありえません」

ここから講座はスタートするとのこと。

 

今までの自分を振り返ってみても

「自分はこの人から嫌われているんではないか」

という直感はほぼ当たりでしたが、

「オレってひょっとして好かれているんではないか」

という野生の勘は外れていました。

うぬぼれ心はひどいものです。

 

相当の修行を積んだ修行僧でも、最後まで苦しむのが『慢心』(うぬぼれ)だといわれます。

こんな話もあります。

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昔、インドの山奥の寺に、煩悩を断ち切ったという男が現われた。

そんな尊い人がいるのか、一度お会いしたいものだ、とある男が山奥まで会いに行った。

寺院には、眉間にしわを寄せて目をつぶり、座禅瞑想している老僧がそこにはいた。

「長年の修行の末、煩悩を断ち切ったといわれるのは、あなたさまでございましょうか」

「そうだ」

「なんてすばらしいのでしょう。煩悩を絶ったなんて、あなたはただのお人ではない」

と、ほめかかったところ、その修行僧、ニヤッと頬が緩んだという。

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その頬を緩ませてしまう心が、『慢』という煩悩なのです。

仏教に説かれている百八の煩悩の中でも、

『慢心』は特に私たちを苦しませ悩ませる六大煩悩の一つです。

 

 

 

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