親鸞に学ぶ幸福論

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雪の結晶の観察が育む心

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【人身受け難し(1)】


この画像は雪の結晶です。
このように雪はみなきれいな正六角形の形をしています。

歴史上最初に顕微鏡で雪の結晶を見た人は、

まさか雪の一粒一粒の氷にこんな幾何学的な美しさがあるなんてと、

さぞこの自然の造形にさぞ驚いたでしょうね。

しかもです。

この雪の一粒一粒には、一つとして同じ結晶の形はないのです。

 

雪の結晶は15世紀に発見され、

以来多くの人がスケッチしてきましたが、

最近ではスマホのカメラでも

接写モードで雪の結晶を観察できるそうで、

子供たちが冬休みの自由研究でスケッチするようになりました。

スケッチしていく過程で子供たちは、

雪の一粒一粒にも愛着がわいてくるのか

「これがあっという間に溶けてしまうなんて悲しい」

と感想を書いてくるそうです。

はかなく小さいものにも心を寄せる感性を育むという意味でも、

雪の結晶の自由研究は意義がありそうです。

 

最近トランプ大統領が、米軍の無人偵察機をイラン軍に撃墜された報復にイランの基地爆撃を計画した際、

犠牲者が150人になると聞き、無人機への報復として軍事攻撃は不釣り合いだと判断し、

攻撃開始の10分前に中止を決めた、との報道がされました。

150人だと不釣り合いだとしたら、何人だったら釣り合うのか、

そもそも人の命を、報復の釣り合いという発想をすること自体、

人命を頭数としか見れない為政者の横暴のように映れて嫌な気持ちがします。

 

現在世界には72億の人がいますが、

一人として一緒の人はありません。

一人一人の顔も指紋も違いますし、

それ以上に今まで経験してきたこと、感じてきたこと、歩んできた人生も、みな違います。

それぞれ過去にはつらい思い出とうれしい思い出とがあり、

いろいろな人を助け、助けられ、

今まで一生懸命生きてきた過去があり、

今もそれぞれに大切な人があり、支えもし、支えられてもいます。

雪の結晶以上に複雑で繊細な人生模様がそこにはあるはずです。

ここを思いやることができるかどうか、

人間が人間らしく生きるに大切な要素といえましょう。

 

 

 

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謝罪が伝わらない意外な理由とは

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【諦観(1)】


営業マンのA氏は、事故渋滞に巻き込まれ、

取引先の社長との商談に一時間も遅れてしまいました。

社長は「突然の渋滞ならしょうがないですよ」と、

何もなかったかのように受け流してくれたのですが、

商談自体はまとまらずに終わってしまいました。

 

それまでの経緯からすると、商談がまとまるものと思っていたA氏は、

不首尾に終わったことに失望し、上司に報告しました。

報告を受けた上司も、どうして先方が急に態度を硬化させたのか理由が分からず、

後日、その社長に会いに行きました。

 

そこで初めて上司は、部下の社員が商談に一時間、遅刻していたことを知りました。

さらに驚いたのは商談が破綻した原因が、

A氏の謝罪がぞんざいであったことに社長が不快な気持ちを抱いたからだったことでした。

 

社長はこう言いました。

「Aさんにとっては“渋滞だから不可抗力だ”“遅刻はオレのせいではない”との思いがガンとしてあったからでしょうが、

“許してくれるだろう”という思いが、謝罪の時の態度にもにじみ出てましたよ。

自分が彼の立場だったら、青ざめる失敗です。

うちの場合は、そのミス一つで会社を潰してしまうことだってあるんですから。

のんきなもんです。

どんな理由があるにせよ、遅刻したことで先方の時間を奪ったことには違いないのだし、

事故渋滞なんかはよくあることだから、もっと時間にゆとりを持って出発することもできたはずだし、

車よりも時間が計算できる電車を選ぶこともできただろうし、

あの遅刻はA氏の落ち度以上の何物でもないでしょう?

当然誠心誠意、謝るべきなのに、口先での一返通りの謝罪だけで済ましてしまうんですから、

ビジネスパートナーとしての信用できないと思ったのです」

 

上司は身を縮こませて社長の言葉を聞き、

遅刻とその謝罪の態度について心から謝罪したところ、

社長は顔を和らげ「商談を再開しましょう」と言いました。

 

さてこの話、私たち一人一人が受け止めなければならない教訓があります。

誰でもミスを犯し、人に迷惑をかけてしまうことがあります。

たいていそのミスは、いくつもの複数の要因が重なって起きているもので、

中にはこのたびの渋滞のように、一見仕方なかったと思えるようなケースもあります。

 

しかしミスしたときにまず大切なことは、言い訳よりもまず謝罪です。

理由がどうあれ、その人に迷惑をかけたことは確かなのですから、

その責任は誰にも回すことはできません。

 

次に大事なのは、ミスの原因をどう受け止めるかです。

この場合確かに渋滞が原因ですが、渋滞はどこでも起きます。

その渋滞で遅刻する人もあれば、しない人もあります。

「どうして私だけがそんな目に遭ったのか」

その原因は、私のどこかに問題があったのであり、

そこを反省していれば、

謝罪の言葉や態度は変わったものになるでしょうし、

また今度同じような事態が起きても、

失敗を犯さなくて済むようにもなるはずです。

 

 

 

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死後に私はどうなるのか、仏教の問い

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【後生の一大事(2)】


「死んだら私はどうなるのか」

この問題を仏教では「後生の一大事」といいます。

この問いに今日どんな答えがなされているか、いくつか挙げてみます。

 

「今頃あの世で、奥さんと一献傾けているだろう」

このセリフは葬儀の際によく聞きます。

しかしこう話す人は、本当にあの世で、

死んだ奥さんと再会して好きな酒を酌み交わすことができる、

と信じて、こう口にしているのでしょうか。

ワインでもビールでもスコッチでも泡盛でも好みの酒で一献傾けられる、

そして好きだった人と再会して、よもやま話に花が咲く、

あの世がそんな自由に振る舞えるところなら結構なことですが、

本気でそう確信している人の言葉とはちょっと思えません。

もし好きな人と再会することができるなら、

嫌いだった人とも再会するかもしれませんが、

そういう可能性は考えてもいない。

好きな人とだけ再会できると思っている。

そんな都合のいいのが「あの世」なんでしょうか。

さらに意地悪くいえば、

もし自分が好きでも、相手が自分を好きでない場合は再会するのか、

あるいは逆に相手が自分を好きでも、自分が嫌いな場合はどうなるのか、

こう問いかけ続ければ、苦笑いでもして、

「そんなこと言われても分からんよ」

とでも返ってくる気がします。

真面目に考えての発言ではなく、

社交辞令の延長のような、都合のいい慣用句の一つのように言われているだけなのか

あるいはぼんやりした願望が口に出るのか、

といったところではないでしょうか。

 

「天国で見守ってくれているでしょう」

こんな言葉もよく耳にします。

芸能人の葬式でコメントを求められ

「天国で笑ってる」などと言っているのが報道されますし、

それを聞く視聴者も何の疑問も持たず、その言葉を受け入れています。

これも思うのですが、どんな「天国」を信じて、こう言うのでしょうか。

「天国」とは、言葉の響きからも結構な処っぽいですが、いったいどんなところでしょうか。

死んだ後がそんな幸せそうな処へ行けるのなら、

死ぬのは怖くないですし、

むしろ朗らかな気持ちになるでしょうし、

自殺するのも「今が苦しいなら早く天国行って楽しく過ごした方がいい」と

奨励されることになってしまいますが、それでいいのでしょうか。

 

こう聞いていくと、

「いや、実際は死んだら無くなると思ってるよ」

と意見も出てきますが、

それならなぜ「天国で見守る」とか「あの世で再会」とか言うのでしょうか。

「精神は脳が生み出す物理的現象にすぎないから、死んだら全てが無になる」

なら、人類に慰霊祭も要らないし、

冥福を祈ることも要らなくなりますが、

なぜまことしやかに「浮かばれてください」「どうぞ安らかに」と手をあわせるのでしょうか。

特に家族など近しい人が亡くなると、

本気で手を合わせる気持ちが起きてきます。

それは一辺の知識では精算できない人間の情、

深い人間性がそうさせるのではないでしょうか。

 

死んだ後は無いのか、有るのか。

有るとしたら、そこは天国なのか、また再会できるところなのか、

いったいどうなっているのか。

これを仏教では「後生の一大事」と説き、

その解決を唯一の目的とします。

 

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死んだらどうなるか、後生の一大事の重さを伝えられた親鸞聖人

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【後生の一大事(1)】


「死んだらどうなるんだろう」

こんな問いを考えられた経験はあるでしょうか。

「そんなこと考えたこともないよ」と一笑に付す人もあるでしょうし、

「子供の頃ふと考えた」という人もあるかと思います。

 

私は小学生の頃、テレビの心霊特集を見たりしてたせいか、

無性に幽霊が怖い時期があって、

その頃は暗いところで寝るのがとても嫌でした。

アコーディオンカーテンで兄の部屋と仕切られた部屋で寝ていたのですが、

中学生の兄が夜更かしして明かりが漏れているとほっとして寝れるのですが、

そうでない真っ暗な部屋で寝なければならない時は、

幽霊が出そうで、怖くて寝れなくなってしまうのです。

 

それで私は子供心に、なんで自分は幽霊がそんなに怖いんだろう、と自分の心をよく見つめたのですが、

その時出した私の答えは「幽霊にあっちの世界に連れて行かれるのが怖い」でした。

「あっちの世界」とは、死んだ後の世界のこと。

幽霊の存在と共にあの世が口を開けているような感じがして、

そのまま得体の知れない「あの世」に引っ張って行かれてしまうことへの、盲目的な恐怖でした。

死んだ後どうなるか、具体的なイメージなど何もないので現実的な恐怖ではないのですが、

何か一人ぼっちで真っ暗な虚空に足を踏み入れるような感じがしておびえていたのです。

 

それがどうしたことか成長するにつれ、

いつしかあの世の恐怖など、自分の中では「取るに足らないこと」となり、

学校の成績やクラスの人間関係、部活でのレギュラー争奪の方が

よっぽど気になる、重大な関心事となっていきました。

中学、高校時代、ふとしたおりに「死んだらどうなるのかな」と頭をよぎることがあるにはありましたが、

なにしろそんなことは、親も、教師も、友人も、社会も誰も問題にしないし、

自分も口にすることはないし、考えたところでどうなるでもない、「つまらない事柄」でした。

 

私のように子供のころ、「死んだらどうなるか」考えたことがある、という人は結構あります。

その当時に地下のガス管の爆発事故で死者が出たという報道があり、

そんなガス管が自宅や学校の地下にも通っていると聞き、

自分も突然死ぬことあるのかなと思ったことをきっかけに

「死んだらどうなるか」を考え、怖くなったという人もあります。

お祖父ちゃんの葬式の時に、天国だとか墓の下だとか聞いて、

実際はどうなんだろうと気になって考えた時、

死んで自分の存在自体が消滅するのかと思い至って、

圧倒的な恐怖を感じてしまった、という人もあります。

 

私や多くの人が感じていた、この漠然とした疑問、ぼんやりした不安は、

いつしか大人になり、生活に追われるうちに忘れてしまうものですが、

それは決して解決できたわけではなく、心の深いところに内在しています。

私がその存在に気付いたのは、18歳で仏教の話を聞いた時でした。

 

仏教を説かれた釈迦も、浄土真宗の開祖である親鸞聖人も、

決して「死んだらどうなるか」を「取るに足らないこと」とも「つまらない事柄」とも言われず、

それどころか万人の確実な将来であり、これ以上の一大事はないと説かれています。

これを「後生の一大事」といわれます。

 

 

 

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業界(ぎょうかい)の常識と業界(ごうかい)の孤独

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【業界(1)】


一般的に「業界(ぎょうかい)」といえば、

芸能界や音楽業界などを指し、

「業界人」「業界の人」といえば、

ミュージシャン、俳優、タレントから彼らのマネージャーや事務所の職員などを指します。

もっと広い意味で言えば、芸能界だけでなく、

出版業界、飲食業界、保険業界、建設業界など、

それぞれの産業、職種に独自の「業界」があります。

その業界ならではの言葉遣いを「業界用語」と言い、

不動産業界なら「あてぶつ」「げんちょう」、

芸能界なら「カメリハ」「トップ屋」など、

その業界では部外者には分からない用語が当たり前のように使われています。

 

また言葉以上にその業界ならではのしきたり、文化などがあり、

「この業界でそういう真似をしたら生きていけないぞ」

「それは業界の常識だ」

など、それぞれの業界に、その業界独自の常識やタブーがあります。

 

どの業界でも初めて足を踏み入れた人は、飛び交っている会話からしてわかりません。

私も最近医療関係者の講座で仏教の話をする機会がありますが、

最初は「MRの人にペイシェントのオペ状況を~」など何のことかまったく分からず、

少なからぬストレスと疎外感を感じたものです。

 

実は仏教にも「業界」という言葉があります。

読み方が違って「業界(ぎょうかい)」と読まずに、

仏教では「業界(ごうかい)」と読みます。

「業(ごう)」とは中国の言葉です。

お釈迦様はインドの方ですから、インドの言葉では「カルマ」というのですが、

仏教が中国に伝来し、「業(ごう)」と訳されました。

日本の言葉では「行為」のことですから、

「業(ごう)」=「カルマ」=「行為」となります。

 

私たちは一人一人、みな違う業(ごう)を持っています。

「業が違う」とは、わかりやすく言うと、

今まで体験してきたことがみな違うということです。

受けてきた教育も、親によって変わりますし、

時代が違えば価値観も変わり、

生まれ育った国によって宗教や文化、習慣も違ったものとなり、

職種、性別、美醜、才能などが違えば、またそれぞれ受ける経験は異なってきます。

これはつまり、今まで「見聞きしたもの」「話したこと」そして何より「考えてきたこと」が、みな違う、ということであり、

これを「業(ごう)が違う」というのです。

 

そういう点から言えば、

先ほど今日の一般用語である「業界(ぎょうかい)」と、

仏教の「業界(ごうかい)」は、

意味は似通っているともいえます。

「業界(ぎょうかい)」は、先述の通り、

特定の職種によって、言葉や習慣、価値観などが異なる世界のことを指しますが、

仏教の「業界(ごうかい)」は、職種だけでなく、

時代、国、民族、性別、容姿や才能などによって異なる「業(ごう)」が生み出した各人各様の世界です。

「業(行為)」が一人として同じではないから、

一緒に同じものを見ていても、同じには映らず、

その人を取り巻いている世界は違っています。

一緒の世界に住むことはかないません。

一人一人の顔も指紋も違いますが、それ以上に我々の内面でも、

それぞれ違う空間、時間が体験されているのです。

 

この「業界(ごうかい)」は、

一般的に言う「業界(ぎょうかい)」よりも、

ずっとずっと相手との溝が深く、

同じ屋根の下に住む夫といえども妻といえども、

血を分けた親でも子でも、

もう同じ世界ではありません。

「お前の世界、どんなの?」と相手の世界をのぞき見ることも許されません。

「わかってほしい」のにそれがかなわないのも、

本質的にはここに原因があります。

 

 

 

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SNSいじめは、恥知らずの恥かかず

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【愚痴(1)】


最近では、小中高生の間でSNSいじめが横行していると聞きます。

LINEグループから一人だけ外す、

グループ内で悪口、噂を流す、

「裏チャット」で盛り上がる、などのいじめです。

以前なら学校では針のむしろであっても、

帰宅後は家が避難所となり得ましたが、

現今のいじめは学校から帰ってもSNSで続きます。

LINE上のクラスメイトのやりとりに自分だけ入れず、

勇気を出してたまに発言すれば、その発言だけはみなから無視され、

返ってくるとしたら、自分の出席番号を暗喩して「13うざい」などの反応。

朝起きてから夜寝るまでLINEの着信音、SNSのコメントが、

その人を追い詰めていくのです。

 

いじめの方法は時代に応じて形を変えていきますが、

いつの世も絶えて無くなることがないのは

これらいじめの根っこに、人間の心に巣くう「愚痴の心」があるからです。

 

「愚痴の心」とは、仏教で108あると説かれる煩悩の中でも、

特に恐ろしいと教えられる三毒の煩悩の一つです。

嫌いな人に何かトラブルが起きて困っているのを見て、おもしろがる心のことです。

「かわいそうに」と口では言い、

顔では気の毒そうな表情を見せながら、

心の中は何か愉快な気持ちがこみあげてくる、

そんな嫌な心を仏教では「愚痴の心」といいます。

我が身ながらなんて醜いことが思えてくるのだろう、とゾッとする心です。

親鸞聖人は「蛇蠍(じゃかつ)の如し」“蛇やサソリを見たときのようなぞっとする心だ”と言われています。

 

こんな醜く、恥ずかしい心はなく、

その心が露呈しているのが「いじめ」なのですから、

これほど恥ずかしいことはないのです。

ところがいじめている側に、醜い自分であることの自覚がない、

ここが問題です。

 

いじめられても、なかなか教師や親に相談できない生徒が多いと聞きます。

いじめられるような人間なんだと人から思われるのが恥ずかしく、

自分一人で抱えてしまうようです。

本当はそんなことは恥ずかしいことではない、

いじめている方、それを傍観して見て見ぬふりをしている方こそ

みっともない、恥ずかしいことなのです。

 

「恥知らずの恥かかず」ということわざがあります。

恥ずかしいことをしていても、恥ずかしいことだという自覚が本人にないから、

平気でやりまくっていて、しかも少しも恥ずかしいとも感じない、

恥をかいているのに、恥をかいたとも思わない、

そういう状態が「恥知らずの恥かかず」です。

 

苦しんでいる人を見てクスクス笑うのは、笑いのうちでも最低の笑いであり、

いじめられている人を見て楽しむのは最も醜い楽しみ方です。

そんなことで笑ったり、楽しんだりすることこそ

人間として恥ずべき、醜いことです。

そんな心の持ち主だと人が知ったら、

誰もその人のことを好きになれなくなり、嫌になります。

自分の大切な人にもっとも知られてはいけない、恥ずかしい心のはずです。

 

ところがそういう醜い心だといじめている本人に自覚がないから、

平気でその心を、態度や言葉にさらけ出している、

まさに「恥知らずの恥かかず」です。

これと比べたら、

テストの悪い答案も、運動会でビリになることも、

何も恥ずかしいことではない、

苦しんでいる人を見てうれしくなる心ほど醜いものはない、のです。

 

 

 

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夏目漱石『虞美人草』の一節に見る幸福観

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【相対の幸福(1)】


夏目漱石の『虞美人草』にこんな言葉があります。

「ある人は十銭をもって 一円の十分の一と解釈する。

ある人は十銭をもって 一銭の十倍と解釈する。

同じ言葉が人によって高くも低くもなる」

一円札が財布に入ったり出たりする日常を送る人からすると、

十銭は「なんだ、一円の十分の一でないか」と安く見えますが、

一銭二銭を遣り繰りする毎日を送る人からすると

十銭は「一銭の十倍も!」と高く見える、ということですね。

この漱石の言葉は、幸福は決して金額や数値で計れるものではなく、

個人の環境、また過去の経験などから生じる主観によって異なることを示しています。

 

ゴーン元会長が会社の資金で私服を肥やし、贅沢三昧であったとして、

日本とフランス両国で叩かれています。

ゴーン氏の日産とルノー、三菱からの報酬額は約20億円でしたが、

この報酬額が彼には不満だったのかもしれませんね。

『スナップチャット』のCEOを務める28歳のエヴァン・シュピーゲル氏の報酬額は約566億円、

電気自動車のテスラ社のイーロン・マスク氏の役員報酬は約168億円、

グーグルのCEOサンダー・ピチャイ氏は約161億円。

ゴーン氏の20億円は米国企業の経営トップ報酬上位100社にも入れない水準です。

「何で日産、ルノー、三菱を束ねるあれだけの会社の会長のオレがこんなに過小評価されているんだ」

と不満がくすぶり、それが「このくらい会社が出して当然でないか」と

会社資金の不透明な使途となっていったのかもしれません。

 

これも『虞美人草』で漱石が語った

「同じ「一円」という言葉が人によって高くも低くもなる」

と同じで、ゴーン氏の年収20億円は、

一般人の目には「オレの年収の500倍でないか」と羨望の額ですが、

ゴーン氏自身は「アメリカの大企業の経営者の十分の一ももらってない」と、

口を尖らせる額だった、ということでしょう。

 

 

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