【火宅無常の世界(2)】
先回「胡蝶の夢」について話をしました。
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以前、友人が語ってくれた体験談が、
まさに「胡蝶の夢」の故事そのものだと感じ入るものだったので、
みなさんにも紹介いたします。
当時、神戸の大学生だった彼は、灘区のアパートで被災しました。
誰かに「起きろ」と激しく身体を揺り動かされたと思って目を覚ますと、誰もいない。
視界が暗い。
しばらくは何が起きたか分からず、暗がりにじっと目を凝らすと、
木造長屋の2階だった部屋が、そのまま地面に落ちているのに気づいたのです。
何が起きた!?
すぐに建物の外に出たところ、そこで初めて事態の深刻さに息をのんだ。
神戸の街が一変していたからです。
徐々に震災での建物崩壊、火事、その犠牲者の情報が明るみになり、
自分が助かったのが当たり前でなかったと知らされたのでした。
数日間、避難所で過ごしたあと、大阪の実家に帰ると、
全くいつもどおりの風景なのに、また驚いたそうです。
普通にテレビ見ながら家族と夕食、
コンビニ行けばいつものBGMが流れ、
隣の家のおじさんがいつものように庭いじりをしている、
いつも通りの日常。
神戸で見た風景も、この大阪もどちらも仮の姿でないか、と痛感したそうです。
鎌倉時代の古典『歎異鈔』に
『火宅無常の世界は、万(よろず)のこと・皆もって、空言(そらごと)・たわごと・真実(まこと)あることなきに、
ただ念仏のみぞ真実(まこと)にておわします』
という有名な一節があります。
私たちの住まいしているこの世界を、
親鸞聖人は『火宅無常の世界』といわれています。
家のひさしに火が燃え移り、今にも家屋全体を焼き尽くしてしまう「火宅」のように、
常に不安と焦燥が絶えないのが人生だから、『火宅無常の世界』。
その火宅の世界で、私たちは何かに「これこそ己の生きる意味」と精魂を傾け、
ときに泣き、笑い、怒り、焦りますが、
いつしかその何もかもが、胡蝶の夢と化してしまいます。
「万(よろず)のこと」も「皆もって」も、共に「すべてのこと」であり、
「これだけは例外」ということはない、
世の一切が空言(そらごと)だぞ、たわごとだぞ、真実(まこと)は一つもないぞ、と
言葉を重ねて親鸞聖人は断言されています。
ところがその同じ親鸞聖人が
『ただ念仏のみぞ真実(まこと)にておわします』
といわれているのです。
ただ一つの真実(まこと)と聖人が言いきられる『念仏』とはいったい何のことなのでしょうか。
この『念仏』の意味こそ、歎異鈔をひもとくカギです。
現在、歎異抄の「念仏」の真意を分かりやすく描いている映画が上映中です。
全国どこの映画館でもなされている映画ではないので、
読者のみなさんがどの都道府県にお住まいか教えていただければ、
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