【有無同然(1)】
『壁一重 子が有って泣き 無くて泣き』
江戸の長屋の風景を詠んだ川柳です。
長屋に壁一枚へだてて二組の夫婦が住んでいる。
一方は子供が無い夫婦二人だけの所帯、
もう一方は子だくさんの所帯。
子供のない夫婦は今日もため息をつく「なんで子供ができないのか」。
薄い壁からは絶えず隣の部屋の子供たちのにぎやかな様子が伝わってきて、よけい寂しさが募る。
隣の夫婦がうらやましくてしかたない。
ところが一方、こちらの子だくさんの夫婦は、
次から次へと子供がトラブルを起こして、気の休まることがない。
子供のことでいつも悩んでいる。
子供のいない隣の夫婦は穏やかでいいなと、つい羨ましくなってくる。
子供がないから苦しいんだ、子供さえいれば幸せになれるのに、という夫婦と、
子供がいるから苦しいんだ、子供がいなければこんな思いをしなくてよかったのに、と悩む夫婦とが
壁一枚隔てて隣り合わせに住まいしているのを
『壁一重 子が有って泣き 無くて泣き』
と詠んだのです。
現代も同じです。
先回「80・50問題」という日本の社会問題を取り上げましたが、
(まだの方はこちらからどうぞ
http://kikuutan.hatenablog.com/entry/0106058050monndai)
こんな境遇の親が
「子供なんて産まなければよかった」
「こんな思いをするくらいなら育てるんではなかった」
との思いにかられるのも無理からぬことです。
では子供がなければ幸せでしょうか。
最近「老老介護」という言葉をよく耳にするようになりました。
子供がない夫婦がお互い高齢になり、一方が介護が必要になると、
老人が老人を介護しなければならなくなり、これが「老老介護」です。
腰の曲がった妻が、足腰の立たない夫を介護している姿は傍目にも痛々しいばかりです。
さらには「認認介護」という言葉もあります。
軽い認知症の一方が、重い認知症のもう一方を介護する、というのです。
このような目を背けたくなるような悲惨の実態が
今も日本のそこかしこで見かけられ、
今後ますます直面すべき問題です。
そんな夫婦は
「子供さえいればこんな辛い思いもしなくていいのに、子供がいてくれたら支えてもらえるのに」
「子供ができなかったためにこんなみじめな思いをするなんて」
と苦しんでいます。
子供のない夫婦は、このまま二人共に高齢になり、介護が必要になったらどうしたらいいのか、と悩み、
子供がいる夫婦は、こんな思いをするなら子供なんかつくらなければよかった、と悩む、
有っても苦、無くても苦、
無い人は鉄の鎖で縛られているようなものであり、
有る人は金の鎖で縛られているようなもの、
どちらも縛られて苦しんでいることには変わりがない、
これを「有無同然」と、釈迦は説かれています。
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