【布施(3)】
「眼施(げんせ)」という言葉があります。
『雑宝蔵経』(ぞうほうぞうきょう)に説かれる「無財の七施(むざいのしちせ)」の一つで、
「眼を施す」「眼を与える」という親切です。
といってもアイバンクのことではありません。
温かいまなざしで人と接することを「眼施」というのです。
「人は見た目が9割」ともいわれるので、
頭のてっぺんから足のつま先まで気を抜けませんが、
特に人間が注視するのは「顔」です。
「顔色を伺う」というくらいだから顔は重要です。
では、顔を見ていると言っても、どのパーツが特に見られているかというと
「眼」なのです。
それはなぜか。
「眼」にその人の感情や人柄が出るからです。
「眼は口よりも物を言う」
「眼は心の鏡」と言われるように、
眼にはその人の心が現れます。
たとえ笑顔していても「目が笑ってない」とわかってしまいます。
「目を尖らせる」
「据わった目つき」
「咎めるような目」
「目が泳ぐ」
「哀れみの視線」
「決然たる瞳」
「目がハートマークになってた」・・・・・・
これらの表現の数々からも、私たちが人と接する際、
その人から発せられる言葉よりも、
その人の眼でその人の心を測っているのがわかります。
どうしても眼は心に現れてしまうからです。
ということは温かいまなざしで人と接する「眼施(げんせ)」とは、
そう意識して眼を演じなさいというのではなく、
温かい心で人と接しなさいという勧めだとおわかりだと思います。
温かい心で人と接するままが、眼に和やかな光がたたえられ、
それがどんなにこそ人をなぐさめ、励ますことでしょう。
ひとみに現れた小さな親切が、接する人の大きな幸せの栄養源になっていくのです。
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