親鸞に学ぶ幸福論

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東山彰良の『流』に一水四見を思う

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私たちはお互いわかってもらえず、わかりもせず、

一人一人が底知れなく寂しい人生旅路を行く孤独な旅人であることをお釈迦様は

『独生独死独去独来(どくしょうどくしどっこどくらい)』

“人間は独り生まれ、一人死ぬ存在であり、

皆どこからか独りでやってきて、どこかへ独りで去っていく”

と説かれていることを先回のメルマガでお話ししました。

 

『独生独死独去独来』の話をすると、

「どうせわかり合えないのなら、お互い話し合ったり近づいたりしてわかり合おうとする努力は無駄なのか」

と質問される方が時々あります。

今日はこのことについてお話しいたします。

 

東山彰良の直木賞受賞作『流』という小説は、骨太の内容でした。

登場人物は台湾、日本、中国を舞台に、さまざまな歴史を背負って生きる民族、家族です。

文化も価値観も異なるがゆえに、お互いがお互いの悲しみがわからず、傷つけ合ってしまいます。

それら登場人物が大人になっていくにつれ、さまざまな気付きから、

あの人はあのとき、どんなにこそ深い悲しみの中にいたんだろう、と思い知らされ、

その人自身も、また人にはわかってもらえない生き方を選択していく、という内容でした。

 

小説の根幹を成す主題は、作品中に紹介されているこちらの中国の詩の一節です。

【魚が言いました・・・わたしは水のなかでくらしているのだから、あなたにはわたしの涙がみえません】

この詩の一節から仏教を学ぶ人が思い出すのは、

『一水四見』という仏教の言葉ではないでしょうか。

 

『一水四見』とは、一つの水を

○人間界は飲み物と見る

○畜生界の魚は住処と見る

○餓鬼界の者は炎と見る

○天人はルリと見る

という意味ですが、一人一人今まで生きてきた環境、教育、経験、知識、皆それぞれ違うから、

同じ者を見ても同じものとは映らず、

一人一人が異なる世界に住んでいる、という仏教の教えです。


【魚が言いました・・・わたしは水のなかでくらしているのだから、あなたにはわたしの涙がみえません】という詩は、

水の中で暮らしている魚の涙は、水の中で住まいしたことのない人には見えない、という意味であり、

他の人にはもうわかってもらえない心の孤独、寂しさが表現されています。

生まれ育った時代が違う、国も違う、

わかってもらえるはずもない過去、

許してもらえるはずがない言動、

それが折り重なって展開していく小説のテーマにふさわしい詩の一節です。

 

『一水四見』の私たちは、みな異なる世界に住んでいる孤独な存在であり、

本当に相手の悲しみをわかりきることなんてできません。

しかしその「魚は水の中にいて私には涙は見えない」の理解こそが、

少なからず相手の気持ちに歩み寄る最初の一歩かと思います。

そしてわからないなりにも精一杯相手の心により沿う。

そのうち心を通わせ、共感し合えることがもし芽生えたとしたら、

それはもう孤独な人生にあってはめったにない、かけがえのないことなのだから、

大切に大切に育んでいきたいものです。

 

 

 

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