親鸞に学ぶ幸福論

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何をしてもつまらない人と充実している人との違いはどこにあるか

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【人生の目的(1)】


ニーチェは『道徳の系譜』に、

生きる意味がはっきりすれば「人間は苦悩を求め、欲しさえする」と書いています。

“人間は苦しみには強い、しかし意味のないことには耐えられない存在だ”

とニーチェは言うのです。

 

もしあなたが中東のどこかの国の捕虜となり、

砂漠の炎天下、建築現場でスコップを渡され、

ひたすら土を掘る重労働を命じられたらどうでしょう。

それは誰だって、暑いし、砂は舞うし、疲れるしで、嫌で嫌でしょうがないでしょう。

しかし同じように砂漠を掘り進む重労働でも、

あなたが大発見した遺跡の発掘で、

次々と考古学の歴史を塗り替える土器や貴金属が見つかっているとなればどうか。

汗も筋肉痛もどこへやら、一掘り一掘りにわくわくし、

疲労も充実に変わります。

その重労働に意味があるからです。

 

どんなに重労働でもその行動に意味があれば、

私たちはその苦労も喜びにすることもできます。

逆にどんなに肉体的には楽なことでも、

意味がないことには耐えられません。

 

たとえば誰かから「ひたすら腕時計の秒針の動く様を見つめ続けろ」と命じられたらどうでしょう。

「決して目を離してはいけない。いつまでも見つめ続けろ」と言われたら、

あなたなら何分くらいそのまま見つめ続けられますか。

好きな芸術作品ならじっと見続けることもできます。

おもしろいテレビ番組なら見続けることはできます。

しかし何の変哲もない時計です。

それをただ見続けろ、と言われたらどうでしょう。

時計版の模様を見たり、アラビア数字を眺めてみたり、なんとか見続けることに意味を見出そうとするでしょうが、

せいぜい頑張って10分くらいでもう観察することもなくなります。

そこからさらに20分、30分と見続けろといわれたらどうか。

肉体的には楽ですよ、暑くないし、静かだし、筋肉使うわけでもない。

でもずっとそのことをひたすらし続けろと言われたら、誰も耐えられません。

やがて気が狂う者も出てくるでしょう。

なぜ時計を見続けることが苦しいのか、それはその行動に意味がないからです。

時計というのは時々ちらっと見て時間を確認するためのものであって、じっと見続けるためのものではありません。

それは意味のないことで、意味のない行動をやり続けることができるほど強い人間はいないのです。

 

生きる意味が見いだせないと、何をしていてもつまらなく退屈でうんざりする。

生きる意味がはっきりすれば、苦悩を求め、欲しさえする。

それが人間の強さであり、弱さでもあり、人間の人間たる所以でもあります。

 

 

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