【平生業成(1)】
「最後の審判(Last Judgement)」は、
ゾロアスター教およびアブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)が共有する終末論的世界観で、
神が世界の終わりにあらゆる死者をよみがえらせて裁きを行い、
永遠の生命を与えられる者と地獄に墜ちる者とに分けるという信仰です。
キリスト教の場合は
「イエスを救世主と受け入れれば、死後の審判で神の国へ入れてもらえる」
と教えます。
しかし信者の心の中には
「本当に神の国に入れてもらえるのだろうか」
「そもそも最後の審判なんてあるのか」
との秘かな疑いがあり、その心がために
「自分は心の底ではイエスを救世主として受け入れていないのでは・・・。こんなことでは神の国に行けないではないか」
と心配にもなってきます。
そこでクリスチャンはその疑いを抑えようと、
弟子たちのイエスの伝記などをまとめた『新約聖書』と、
ユダヤの神話である『旧約聖書』との2冊をよりどころとし、
信じよう、信じようと努めます。
しかしどんなに信仰しても、死ぬまでは天国に行けるかどうかはわからず、不安な心は絶えません。
一方、仏教では生きている時にはっきり絶対の幸福になれる、決勝点がある、と説かれています。
これを「平生業成(へいぜいごうじょう)」といいます。
「平生」とは、現在生きている時。
「業」とは、絶対の幸福。
「成」とは、成れる、ということですから、
「平生業成」とは、この世で絶対の幸福になれる、ということです。
仏教と他の宗教思想の著しい違いの一つはここです。
死んでみないと、本当かどうかわからないキリスト教やイスラム教と、
この世ではっきりする救いにあう仏教と、ここは決定的な違いです。
この世ではっきりした幸せを獲た人は、死後の審判にやきもきする必要は全くありません。
平生に決着がつくからです。
先日アフリカ出身で、現在富山で働いている30代の青年と話をしましたが、
その彼も「平生業成」の教えに関心を寄せていろいろ質問してきました。
彼の祖国では20年ほど前まで戦火が絶えず、
彼の生まれ育った街でも市街戦で多くの死者が出たそうです。
彼自身も死の恐怖を感じ「誰も死を避けることはできない。死んだ後はどこへ行くのか」と疑問を抱くようになり、
キリスト教に答えを求めたものの皆目わからず、モヤモヤしていたとのこと。
全ての人が例外なく抱えているのが、死んだらどうなるかわからな不安な心であり、
この心を仏教では『無明の闇』といい、
この心の闇を破り、この世で絶対の幸福になる教えが仏教だと話をしたところ、
「こんなこと聞いたの初めてだ」と身を乗り出してきたのです。
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