親鸞に学ぶ幸福論

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生きる明かり、生きがいがなければ生きられない人間

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【人生の目的(1)】


人間は生きる明かり、希望をなくしては生きていけません。

マラソンランナーが給水場で定期的に水分を補給しなければ42.195キロを完走できないように、

人間は未来に明かりがなければ生き続けられない存在なのです。

 

江戸時代の農村にも「ケ」と「ハレ」がありました。

「ケ」はいつもの日常、地道な野良仕事。

「ハレ」とは正月や村祭りの日、この日ばかりはごちそうを食べ、酒を飲み、無礼講では目を外す楽しい日です。

「もういくつ寝るとお正月」という歌があるように、

村人は「ハレ」の日を明かりに指折り数えながら「ケ」の日を過ごしました。

代わり映えのない「ケ」の日を黙々とこなすことができるのも、

「ハレ」の日を希望にし、明かりにしているからなのです。

 

「あー、疲れた」と今年もう何回つぶやいたことだろう、

人間は生きる明かり、希望なくしては生きていけない存在です。

生きるにはどうしても希望が必要なのです。

 

現代もそれは同じです。

満員電車で揺られ通勤する人の群れも、その一人一人の心中には

「もうすぐGWの10連休、東南アジアで旅行する予定で今から楽しみ」

「来月は嵐のコンサートで思いっきり発散する」

など、何かの明かりがきっとあるはずです。

 

これは短いスパンでもいえます。

月曜日から金曜日まで働き続けることができるのは、土日があるからです。

「明日は土曜日、ゆっくり寝れる、彼女と会える、ゲームできる」

と、そういった希望があるからこそ、今の仕事をこなせるのです。

毎日が「月月火水木金金」の繰り返しなら、

きっと今よりずっとうつ病や引きこもりは多いことでしょう。

 

もっと言えば、2時間勉強したらコーヒーブレイク、とか、

ここまで仕事したらおやつタイム、とか、

日々の生活にもこまめに明かりを持って生きています。

このように人間は生きる明かり、希望を持って生きているのであり、

そういう明かりなくしては生きていけない存在なのです。

 

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