【法鏡(2)】
お釈迦さまは仏教を『法鏡』と言われ、
私たちの本当の姿を映す鏡だと教えられました。
仏教とは自己を知る教えなのです。
平安時代の高僧、源信僧都は
「よもすがら仏の道に入りぬればわが心にぞたずね入りぬる」
と歌いました。
よもすがら(夜も徹して)
仏の道に入りぬれば(お釈迦様の教えを聞き求めていくと)
月灯りの下、あるいはろうそくの灯の下でお経を読み進めていくと
わが心にぞたずね入りぬる(いつしか自分の心の中にたずね入っていく心地がした)
と源信僧都は言われています。
これは源信だけでなく、仏教を重ねて聞かれれば、
みなさんも自分の姿に訪ね入っていく感覚を持たれることと思います。
1日よりも1か月、1ヶ月よりも2ヶ月、1年よりも3年、
聞けば聞くほど知らされて来るのは本当の自分の姿です。
「私は仏教を聞いてもう3年になるけれど、自分が何者かなんて少しも考えたこともないし、問題に思うこともない」
という人がもしあるとしたならば、
それは鏡には向いていても目をつぶっているような人です。
仏教聞けば自分の姿が知らされてきますから
「仏教を聞きなさい」とは「自分の本当の姿を知りなさい」ということなのです。