親鸞に学ぶ幸福論

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おもしろい!仏教の説く幸福観は他とはずいぶん違う

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【絶対の幸福(1)】

 

外資系投資銀行のロンドンオフィスに勤務するA氏の年収は

50万ドル(約4000万円)でした。

彼は周りの友人よりも年収が少ないことを気にし、

正当な評価を受けていない自己の境遇に不満を抱いていました。

 


これを聞いた多くの読者の皆さんは

「何言ってんだ。年収が4000万円もありながら」

と金持ちの贅沢な悩みに憤慨されるかもしれません。

 


では次の例はどうでしょう。

埼玉県に住む派遣社員のB氏は、収入が周りよりも少なかったので、

自分は不幸だと感じていました。

ちなみにB氏の年収は200万円でした。

こちらの方は納得されるかもしれません。

「200万ではちょっとね・・」と。

 


しかしこちらの例も、飢餓と疫病で苦しむアフリカの途上国の人から見たらどうでしょう。

先ほどの例と同様、金持ち日本人の贅沢な悩みだと思うのではと思います。

 


このように人間は、自分が幸福かどうか、比較して判断してしまうのです。

自分が周りの同僚や友人よりも何かが劣っていると感じると、

元気がなくなり、みじめになります。

その優劣を決めている「何か」とは、

「財産」「名誉」「家族」「美貌」「才能」など、

その人が重い価値をおいているものです。

逆に、人はその「何か」が、周りより自分の方が勝っていると感じると、

元気になり、気分がよくなります。

 


他人を評価するときも、そうです。

その人の「何か」が自分の周りより勝っていると幸福な人だと評価し、

自分の周りより劣っていると、不幸な人だと勝手にレッテルを貼ります。

 


たとえばお金に重い価値を置いている人ならば、

収入の低い人を「不幸な人だ」と思い込み、

収入の高い人を「幸福な人だ」と決めつけてしまうようなものです。

 


周りよりも「何か」が優れているか、劣っているか

勝っているか、負けているかに一喜一憂している幸福観は、不安定です。

その幸せは長くは続きません。

いつ抜かされるか分かりませんし、

自分の信じた価値観とて、あてにならないからです。

これを仏教では「相対の幸福」といいます。

相対の幸福をどれだけかき集めても、心に真の平安は訪れません。

 


仏教には、相対の幸福ではない、もう一つの幸福、

人と比較せずとも喜べる、絶対の幸福が説かれています。

 

 

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