親鸞に学ぶ幸福論

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わかっちゃいるけどやめられぬ、と親鸞聖人【諦観(3)】

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【諦観(3)】


依存症という言葉があります。
一日一回はパチンコせずにおれない「パチンコ依存症」。
高価な服やバッグを買ってしまう「買い物依存症」。
食べては吐いて自己嫌悪を繰り返す「過食症」。
不特的多数と性的関係に走る「性依存症」など
いろいろ聞きます。


それら依存症に共通していることを一句で表現すると、 

といえましょう。


「わかっちゃいる」とは、何がわかっているのか?


「これが人生において【本当になすべきこと】ではない」
とわかっている、ということです。


「わかっているのだったら止めればいいじゃないか。
 わかっているのに、なんでオマエはやってしまうのか?」
と問えば
「あまりに今が苦しいから」
と返ってくるのではないでしょうか。


さびしいから、むなしいから、やりきれないから、
刹那的でも救われるならとそれらに走ってしまうのです。


幸せな人、満ち足りている人は依存症になりません。


新婚ホヤホヤで感激の涙を流している人が、
うれしくてうれしくてしょうがないから、
覚せい剤でも打とう、ということがあるでしょうか。


忘れたいことがあって、一時的でも息苦しさから逃れたくて、
わかっちゃいるけどやめられず、
手を出してしまうのでしょう。


そして手を出してしまうと、
それが原因で余計苦しみが増す。


苦しみが依存症を生み、
依存症がまた苦しみを生む。

 
タイガーウッズは性依存症だった、とか
マイケルジャクソンも睡眠薬依存で死因も薬物疑惑が大きいですが、
名声、お金の飛び交う、華やかな世界の裏は
底知れない空虚感が広がっているような気さえします。
 

何かでごまかさなくては生きられない、
金や名声でも埋められない、
この人間苦悩の根源はどこにあるのか。


そこにこそ、諦観(あきらかに見る)していかなければならない
最たるものがあります。

 

 

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