「出息入息 不待命終」
(出る息は入る息を待たず、命終わる)
という仏説について話を続けます。
私が仏法の話をしてきた、今までの経験上でも、
「死」についてお釈迦様はどのように言われているか、
に話が及ぶと、
「今、死ぬこと考えても仕方ない。」
「ピンと来ない。当たり前じゃん。」
「生を充実させることが大事なので、死は関係ない」
という声も多くあり、
聞かれる方の反応が分かれるところの一つです。
中には、深く受け止められる感想もいただきます。
今日はその一つをを紹介させていただきます。
人の死を看取る環境におられる職業の方なのかもしれませんが、
そんな場面に触れると、厳粛な気持ちにさせられるようです。
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いつも真剣に読ませて頂いております。
なかなかFBに来れないので(この時期は忙しくて)
まとめ読みの事もありますが 今回のお話は…
いろんな現実と思いがよぎりました。
昨日まで、さっきまで息をしていたのに…
もう二度と吸うことが出来なかった人
止まった呼吸を見つめて見つめて…見つめて見つめて…
グワッっと胸が膨らんだ瞬間。
筋ジスの方が最後に発するあの言葉
『苦しいよ~、息が出来ないよ~』
そして、ホントに吸えなくなる。
仏教とは冷酷なまでに真実を見つめてるんですね。
でもアタシはそれでいいと思います。
人間の命は甘くない。
真実を告げるのに、見つめるために必要な冷静さだと感じます。
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儲け方、健康の秘訣、人間関係の充実、などを学ぶ時に
【死】はどっちでもいいと放置しておれますが、
「己とは何か」「なぜ生きる」「本当の幸福とは」
本質に迫れば、どうしても【死】と向き合わざるをえません。
フランスの哲学者、モンテーニュは、
仕事を辞めて、自分の城にとじこもり、
読書三昧の生活を送りました。38歳の時です。
書斎の天井にギリシア語やラテン語の格言をたくさん記し、
フランス語でただひとつ
「私は何を知っているか」
と書きつけたといいます。
そのモンテーニュは
「哲学とは【死】を学ぶことだ。」
といっています。
古代ギリシャのアリストテレスは
「人は死ぬ、という驚嘆から哲学は始まる」
と言っています。
「出息入息不待命終」
の人間存在をまじめに見つめることは、
真の幸せを獲得するのに大事なことだから、
お釈迦様はていねいに説かれているのです。
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