親鸞に学ぶ幸福論

「そんなにしてまでなぜ生きねばならないのか」はっきり示した、メールdeで学ぶ仏教教室です。無料メール講座が好評です。受講者4000人。

足利義政の辞世の句に思う【出息入息不待命終(6)】

f:id:kikuutan:20050503115700j:plain

映画を見終わって、場内が明るくなり、
いすを立つ時にふと考えたのですが、
「己自身が死ぬ」時って、映画を見ている際に
突然おきた映写機の故障のようなものではないかと。

 

いい映画って、感情移入しますよね。
ホラー映画なら、主人公が暗い廊下を歩いている時、
主人公の目線がカメラワークと重なって、
まるで自分がその廊下を歩いているような感覚になる。

 

主人公のどきどきした鼓動が、
自分の鼓動と重なっているようで、
「どうか死なないで。」
とはらはらしている

 

恋愛映画なら、
「何とかうまくいってほしい」と、
願ってしまいますし、
二人の恋が引き離されようものなら、
悲しくて涙が出てくる。

 

そんな感情移入して、映画の世界に没頭している瞬間、
突然、ぷつんと映写機が故障して、
今までの映画の世界が一気に消えてしまう。
視界は、1枚の白いスクリーンのみになってしまう。

 

「あれ、今までのは何だったんだろう。
 ただの布の前に映った幻影だったのだ」
と、正気にかえる。

 

「何事も 
   夢まぼろしと
     思い知る 
 身には憂いも 
    喜びもなし」

 

足利八代将軍、義政の辞世の句です。

 

常に歴史の表舞台で活躍した義政でしたが、
死を迎えた際に、
あんなに泣いたことも、
あんなに喜んだことも
「何事も 夢まぼろしと 思い知る」
と述懐せずにおれなかったのでしょう。

 

 

=========


仏教の教えをわかりやすく体系的にお話する

20回の無料メール講座好評配信中。