親鸞に学ぶ幸福論

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仏教の『有無同然』の意味とは(巨人・大鵬・卵焼き)

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昭和30年代幼少期を過ごした子供たちのあこがれは

「巨人」「大鵬」「卵焼き」だったそうです。

 

O・N砲を擁してV9の全盛期を築いた巨人軍、

戦後最強の横綱、大鵬

この二つは聞けば分かるにしても、

卵焼きが大好きであこがれだったとは何のことかい、

と思われませんか。

  

私の先輩にお聞きすると、

お弁当に卵焼きが入っていたら、

「おまえんち、すごいな。卵焼きじゃん。」

と話題になった、とのことでした。

 

今なら運動会やピクニックで

おかずが卵焼きしか入っていない弁当を食べている子供を見かけたら、

かわいそうに、親は何をしているんだろう、と

心配になってきます。

  

バナナがごちそうだった、とも言われていました。

風邪をひいて寝ていると、

「何が食べたい」とその時は好きなもの食べさせてくれる、

そんな時はきまって「バナナ食べたい!」と言ったものだ、

風邪ひいたときのいい思い出だ、とも言われていました。

 

今はバナナより、メロンが食べたい、イチゴじゃなきゃヤダ、

と子供は言うのですから、

日本もずいぶん豊かになりました。

 

戦後の焼け野原から、未曾有の復興、高度経済成長を遂げて、

経済大国になりましたが、

同時にまた自殺大国にもなってしまいました。

 

欲しいものを手に入れてもなお満足できない、安心できない心に

この戦後70年の経験を経て、日本人は気付き始めました。

 

バナナや卵焼きを食べることができても、

それだけでは満足できない、まだまだ足りないよ、という。

 

では車と英会話ができれば?

それだけでは満足できないという。

 

では加えて事業に成功し、素敵な人と結婚して、セレブな生活をして、

名声を得て、それだったら?

そこまでいったらそれは幸せだろう、

と私たちは思いますが

実はそれらを手に入れた人で、

「オレの人生、幸せに満たされたよ。」

と声を大に言い切っている人はいないものなのです。

(自己アピール、自己ブランディングの狙いで

 成功や満足を自己主張する人はありますが、

 心底からそう思っている人がいない、

 ということです。)

 

当時の貧しかった少年たちがあんなにも卵焼きやバナナにあこがれ、

一生懸命働いて、今、定年を迎えた。

そして好きな時に好きなだけバナナや卵焼きを食べても

あの時思い描いていたような幸福感はない。

ちょうどそのように別荘を持ち、高級外車を乗り回し、

贅を尽くした料理を食べても

そこには手に入れる前に想像していたような幸福感はないのです。

 

『有無同然』だな・・・

と成功者と言われる人たちも

お釈迦様の教えに心の首を垂れる時が来るのでしょう。

 

これは経験しないとなかなかわかることではないのですが、

お釈迦様は「有無同然」(有っても無くても苦しみは変わらない)

2600年前からこの真実を喝破されています。

 

 

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