親鸞に学ぶ幸福論

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一度のプレゼントには感謝をするが、毎年毎年のプレゼントには当たり前という心が出てくる。【三輪空(4)】

ある慈善家が年末に、生活に困っている人たちに

餅をついて贈っていたそうです。

最初の二、三年は、感謝状が寄せられました。

しかしそれも毎年続くうちに

「今年も、そろそろ送ってくるころだ」

「今年の餅は小さいなぁ」

と不満の声まで聞こえてくるようになり、

腹を立てた慈善家は

餅のプレゼントを打ち切ったといいます。

 

その慈善家も「かわいそうに。せめて正月だけでもいい思いを。」

と同情し、自分のできることを、との動機から始めたことでしょう。

しかもそれを毎年毎年続けていくことは

よほどの気持ちがなければできません。

一回二回なら気持ちが高まってできることはあっても

続けるのはよほど心がないとできません。

 

それなのに相手が〝ほめもせず〟〝感謝もしない〟ものですから、

腹が立ってきたのです。

 

「あんなにしてやったのに」

「これだけしてやっているのに」

心をかけて行動したことが

いつの間にか「してやっている」の恩着せ心になり、

その思惑がはずれると、

怒りの炎が燃え上がってしまう・・・

人間の悲しい実態がここにあります。

 

おそらく餅を贈った最初の年は、

送られた人もどんなにか感謝したと思うのです。

感謝状も多数寄せられたでしょう。

それが続くうちにいつしか贈られるのが当たり前になってくる。

感謝状の枚数も減り、あげくの果ては

『今年のもちは小さいなあ」

と不平まで聞かれるようになった。

 

こんな時ついカッとなってしまうのも

「してやった」の恩着せ心があるからです。

 

与える側の者はお釈迦様がおっしゃる通り

『三輪空』に心がけなければなりません。

 

それが今回『三輪空』というテーマで言わんとしていることなのですが、

一方、受け取る側となったら

そういう怒りを相手に抱かせてはならない

と自覚していかねばと反省させられます。

 

何でも人間は当たり前にしてしまいます。

一回きりの餅のプレゼントより、

毎年毎年贈るプレゼントの方がずっと大変なのですから、

本来、贈られる側としては

続けて贈ってくる年数が重なれば重なるほど、

感謝も増していかねばならないないはずです。

 

しかし続くとどうしても当たり前になっていくものです。

 

夫が給料を持ってきた最初の月は感謝する。

(有難いな、夫のおかげでこんな生活できるんだな。)

明細書の封筒を両手で押し頂いて

「ありがとう。ご苦労様」と笑顔を振りまく

 

それがどうだろう。何年もすると

給料の明細書を「ほれ、」と横柄に手を差し出して

見せろと迫るようになる

 

夫も夫で、帰宅するとあったかい手作り料理があると

最初は感謝する、

ありがたいなぁ、と感激する。

しかしそれも数年もすると、

出ている手料理も「食べてきた」の一言で済まそうとする

 

お互い「こんなにしているのに」と積もり積もって

いつしか亀裂が広がっていくというケースが多いようです。

 

自分が与える立場の時は

「こんなにしてやっている」

の心を忘れるように努めていかねばなりませんし、

自分がもらう立場である時は

続けてくれればくれるほど、

それを当たり前にせず、

感謝の心を失ってはならない、ということですね。

 

難しい心がけですが、一歩なりとも前進していきたいものです。

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