誰かのことを心配し、
幸せになってほしいといろいろしてあげたのに、
その人から感謝もされない、お礼もない、
向こうは当然のように受け流しているとなれば
怒りの心で身を焦がすことになる、
そんな人間の実態を4回にわたって種々お話ししてきました。
(あ~あ、こんな思いするくらいなら
あいつに親切なんかするんじゃなかった。)
と後悔し、
(人に構って結局傷つくくらいだったら
最初からしない方がましだった)
と考えてしまいがちです。
ここで誤解してもらいたくないのは
お釈迦様は決して
“親切をしたから”苦しむことになる、
とは言われていないということです。
そう考えるのは間違いです。
“私が”“誰々に”“何々を”
この三つを忘れられないから苦しむのですよ、
と説かれているのです。
親切自体は素晴らしい善行ですから、
実践する人は幸せになれますよ、
と一貫して説かれています。
人に要求することばかりの人は幸せにはなりません。
「~してくれ」「~させてくれ」「なんで~してくれないのか」
と上司や家族を責めることになり、
周りから人は離れていきます。
逆に周りの人がどうしたら楽しく過ごせるだろうか。
安心してもらえるだろうか。
つねに周りのことを考えて行動できる人には
人も物も自ずと集まってくることでしょう。
【まいた種は必ず生える】
しあわせのタネをまくのですから
しあわせの花が咲くのです。
古人はこれを
「情けは人のためならず」
といいました。
人に情けをかける、親切するのは
人のためではないんですよ、
親切する人の徳になり、
与える人本人が光を放つ人間になれるのですよ、
と説かれています。
あの人のためにやっているんだ。
あの人のためにしてあげてるんだ
人のため、人のため
と思い続けるものではありませんよ、
というのが「情けは人のためならず」。
布施をすること、人に与えているのは、
自らの徳と信用の元を築いてるのですよ、
ということわざなのです。
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