親鸞に学ぶ幸福論

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好きな人、大切な人と感動や悲しみを共有したいのに、なぜできないのか。ブッダの答えとは。【業界(3)】

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高校時代、『遥かなる山の呼び声』という映画に深い感動を覚え、

登場人物の高倉健や倍賞千恵子のとっさの表情まで吟味して

何度か観返したものです。

 

高校のテニス部の打ち上げで、女子テニス部の部員も交えて

部屋に数人で映画でも観ようかということになって

「どんな映画がいちばん良かったか」

という話になりました。

 

私が『遥かなる山の呼び声』がいいと語ったところ、

「それにしようぜ」という雰囲気になってきました。

 

この映画、テニス部のこの面々と見ても、

場もワイワイがやがやモードだし、

まず観てくれないだろうと思ったので

「いや、これ、みんなで楽しむようなのと違うから」

「SF娯楽系、などにしよう。

 これ恋愛映画、ホームドラマだから」

などと何とか阻止しようとしたのですが、

結局みんなと観る羽目になりました。

 

ただ「あ~あ・・」と思う反面、

自分の好きな映画を友人と一緒に観れることに

ほのかな喜びを感じたのです。

 というのは、当時ちょっと心を寄せていた女子も

その中にいたからです。

 

ところが案の定といいますか、

始まってしばらくすると単調な映像につっこみどころもなく、

つまらなくなったのか、一人去り、二人去り、

やがてトランプが始まり、

じっと見ていたその女子も誰かにそのトランプに誘われて、

映画の前からいなくなり・・・。

 

自分の好きな映画、感動を共有してくれる人は誰もおらず、

いい映画は誰にも注視されず、ビデオが流されているわきで

みなゲームやおしゃべりして遊んでいました。

 

なにかとても寂しい気持ちになったのを思い出します。

 

好きな人、大切な人とは

「感動を共有したい。」

あるいは

「悲しみも共有したい。」

と思いますが、

なかなかわかってくれないものだな、

とどこか感傷的になったのです。

 

仏教に「業界(ごうかい)」という言葉があります。

(ぎょうかい)と読まずに

(ごうかい)と読みます。

 

「業」とは、

インドの言葉で「カルマ」といい、

「行為」のことです。

 

一人一人、今まで【見てきたもの】

【聞いてきたもの】

【話してきたこと】

そして何より【考えてきたこと】は、

みな違います。

 

 それら「業(行為)」が各人各別だから、

同じものを見ても、同じには映りません。

 

 こんな小噺があります。

 

飛騨の高山に住んでいる男と、

伊豆の大島から、やってきた男が、

江戸の宿屋で同宿したことがあった

 

やがて二人の、口げんかが始まった

 

その口論の争点は、

「太陽はどこから昇ってどこへ沈むのか」

ということについてであった。

 

飛騨の高山から来た男は、

「太陽は山から上って山へ沈むものだ」

と主張する。

 

伊豆の大島から来た男は、

「太陽は海から登って海へ沈むのだ」

と主張した。

 

  

両者は一歩も譲らない。

  

「伊吹山から昇る太陽を、

 ワシはこの目で見てきたんだ、

 うちの父ちゃんも見てきたし、

 うちのじいちゃんも見てきたんだ」

と高山の男が言えば、

伊豆の大島の男は、

「うそつくな!オレは海から昇る太陽を

 この目ではっきり見たんだ。

 毎日この目で確認してきたんだ」

 

どちらも、証拠を見てきている。

 

うそはついていない。

 

宿屋の主人が、「何事か」と、

二階にあがって、ことのいきさつを聞いてみた。

 

宿屋の主人大笑い

 

「あんたら、ばかですなぁ何にも知らんのですね。

 あのね、太陽というのはね・・・

 屋根から上って屋根に沈むんだよ。」

と言ったという。

 

これがオチなんですが、含蓄のある話です。

 

経験や学問、環境や才能が違うと、

話し合っても、どうにもわかりあえないことがあります。。

 

話し合えば判る、というが、

判るんなら戦争も裁判も要らない

よく話し合えばすむのならそうすればいいのです。

 

なぜ話し合いが決裂して

戦争や裁判が始まるのでしょうか。

 

もしこの落語に、現代人が登場して

「本当は、太陽のまわりを地球が回っているんだよ。」

てなことを言い出したら、

それこそ3人の男に

ばか者よばわりされるのは

目に見えています。

 

夫婦といっても、同じ屋根の下に住んではいても

生まれ育った環境は違うし、

経験や才能も違います。

 

「自分の全てを理解してくれ」

と相手に要求し合ったら、

もうすでにこの落語の口げんかそのものとなりましょう。

 

同じ屋根の下に暮らす夫婦でも、

あるいは血を分けた親子でも、

お互い分かり合えないものがあるのですよ、と

お釈迦様は説かれています。

 

独生独死独去独来

人はみな一人ぼっち。

そんな人間同士が支えあって、ようやく保っているのです。

 

だから少しでも分かり合える人がいたら、

それはとても幸せなことなんだよ、と説かれているのです。

大事に大事に育んでいきましょう。

 

 

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