親鸞に学ぶ幸福論

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「俺は無宗教だから」といっても何らかの信者には違いない、とはどういうことか【信心(1)】

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「鰯の頭も信心から」

ということわざがあります。

 

鰯の頭と柊の枝を玄関先にぶら下げて、

魔除けのなると信仰されているところが

あるそうです。

(あなたのお住まいされている地方はいかがですか?)

 

鰯は昔は捕れて捕れてしかたない魚で、

あまったものは肥料代わりに、

そのまま畑に捨てた、といいます。

 

その鰯の頭、ですから

「何の価値もないもの、つまらないもの」

の代名詞のように使われています。

 

「鰯の頭も信心から」とは

どんなつまらないものでも信じていれば、

それはその人の信心だ、

という意味のことわざです。

 

それがつまらないものかどうかの判定は

ひとまずおいときまして、

なにしろ十人十色、

様々な人が様々なものを信じています。

 

病人が、「お医者さんだけがたよりなんです」と言えば、

医者を信じている、ということ。

 

会社で、「今度のプロジェクト、キミをあてにしているよ」と言われたら、

あなたは上司に信じられているといえるでしょう。

 

妻は夫をたよりにし、

夫は妻を支えとする。

子供は親をよりどころとし、

親は我が子が明かりです。

 

信じているのは、人だけではありません。

 

【命あっての物種、手足息災なるこそいみじけれ】

(身体が丈夫なことが何よりだ)」

       (元禄時代)

と健康を信じています。

 

逆に、

【命惜しみそ(命を惜しむな)、名を惜しめ】

(命より名誉を重んじる武士の気風を表す言葉)

と、名誉をたよりにする人もあります。

 

【人間よりは金銭の方がはるかに頼みになりますよ】

      (『金色夜叉』)

とは、金を力にしている人の言葉だし、

 

【金より愛の方が大事じゃありませんか】

   (『吾輩は猫である』)

と、愛に生きる人もいます。

 

外にも、家や財産、学歴、社会的地位、美貌、才能など、

何かをあてにし、力にして、人間は生きている。

 

何を命として信じているか、は一人一人違いますが、

全ての人は何かの信心を持って生きているのです。

 

『あなたは何を信じていますか?』

ときに静かに見つめてみましょう。

 

 

 

 

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