親鸞に学ぶ幸福論

「そんなにしてまでなぜ生きねばならないのか」はっきり示した、メールdeで学ぶ仏教教室です。無料メール講座が好評です。受講者4000人。

あの19歳の名大生に【人を殺してはいけない理由】を誰が自信をもって訴えられるのか

f:id:kikuutan:20150206163227j:plain


「なぜ人を殺してはいけないの?」という問いに答えはあるか、と

問題提起したブログを書いたところ、大きな反響がありました。

今日は多数いただいたコメントの中から、

さらに「人命の重さ」について考えてみたいと思います。

 

何人かの方から以下のようなコメントがありました。

=====

■「なぜ人を殺してはいけないの?」私なら「あなたは殺されたい

ですか?」とまず問いかけてみますねぇ。自分がされたくないこと、

嫌なことは自分以外の人も嫌なんです、だからしてはいけない。

 

■「あなたが人から切りつけられたら血が出て痛いでしょ。死ぬか

もしれないよ。だから人を切りつけ傷つけてはいけないよ。」

「殴られたり、切りつけられたりして殺されたら、やりたい事もで

きない、親孝行も出来ない、子供を産むことも育てる事もできない、

友達と遊ぶ事も、食べることも、仕事をすることも何にもできない、

第一、身体を焼却れて灰になってしまいこの世には存在しない。そ

んなの困るでしょ。だから、あなたも、自分が困るような人殺しは

してはいけない。」

「人は人とともに生きていくことで、この世の中をつくっているん

だから、その仲間を殺しては、あなたも生きてはいけなくなるんだ

よ」

とハッキリ教えてあげます。

======


これは一つの答えの形でしょう。

小さな子供をしつける時に

「こういうことされたら○○ちゃんも嫌でしょ。

自分がされて嫌なことは人にしてはいけないよ。」とさとしますが

それと同じで効力を発揮する答えです。

 

人を殺したら、あなたが刑務所に入って

不自由な生活をしなければならなくなるよ、

場合によっては死刑になることだってあるんだよ。

いやでしょ。なら止めなさい。

という答え方です。

 

しかし問題はこれらの意見が、

先日の19歳の名大の女子大生の心に届くだろうか、ということです。

 

「死んでしまったら、やりたい事もできない、親孝行も出来ない、

子供を産むことも育てる事もできない、友達と遊ぶ事も、

食べることも、仕事をすることも何にもできないよ」

とさとされて、

「それは困る。親孝行したいし、子供産んで育てたいし、

仕事もしたいから、できなくなるのは困る。」

とすぐ納得する人もちろんいるでしょうが、

それで説得できない人も少なからずいると思うからです。

 

別に生きていたいとも思わない、

さっさと生きてさっさと死にたい、と

生きることに虚しさを深めてしまっている子供もいるのです。

 

以下はある若者の声ですが、

そうとう多くの若者の本音を代弁しているように思います。

====

死ぬ理由はないが生きる理由もないし

死のうかなって思ってる。

バイク買おうかなって思ってるけど

お金たまるのにあと三ヶ月はかかるし

人生は早送りも出来ないし辛気臭いよね。

三ヶ月も面倒だから死のうかなって思ってる。

まぁどうせ死なないのだろうけど。

死ぬより事件を起こすタイプかもしれない。

イラっとして切れてしまいそうになる。

切れる理由もないのだけど。

なんもないんだよね。

なんもないからなんかあまりにもつまんなくて

切れてしまいそうになったり死にたくなる。

友達もいないし彼女もいないし。

つまんない人生だなぁ~

働いて働いて、やっと休みも暇で暇で、

また働いて働いて。。早送り出来ないかなぁ。

========

 

日本の若者はきれると包丁やナイフですが、

アメリカでは銃です。

アメリカでよく起きる少年の銃乱射事件は、

たいていこめかみに銃を当てて自殺する、という結末です。

自殺する前に、自分の人生を無茶苦茶にした学校の教師を殺す、という暴挙に出るのです。

 

「人を殺したら警察に捕まるよ、下手したら死刑だよ」とさとしても

自殺しようとしている人には何の脅しにもなりません。

 

青少年の凶悪犯罪が起きると少年法改正の議論が出ますが、

たとえ改正されても『死んでもいい』と自分の命に虚しさを深めている子供に

どれだけの効果が期待できましょうか。

 

ここまでくると「なぜ殺人はいけないのか」と「なぜ自殺してはいけないのか」は

同義の問題です。

つまり『人命の尊厳の理由』が問われているのです。

 

命の重さの理由がわからなければ、尊重できなくなりましょう。

 

100万円の札束を暖炉の火に投げ入れる人を見れば誰しも

「あっ」と誰しも驚きの声を上げることでしょう。

「なんで!?」と胸が痛いでしょう。

 

古い新聞紙なら暖炉に入れても何の感慨もありませんが

札束を火の中に投げ込んで平常心でおれる人はありません。

 

たとえ人のものであっても

価値のあるものには

容易には捨てられないものです。

 

自分の命を

「どうせ自分なんかガラクタだから」

と無価値に感じている人が

人の命だけはかけがえのない尊厳なものと感じられるでしょうか。

 

『死んでもいいじゃん』の無知は

『殺してもいいじゃん』の暴論に変わります。

 

自殺、殺人、戦争、虐待

これらは根底に

「なぜ人命は重いのか」

「かけがえのない命と言われる根拠はどこにあるか」

という人間存在の根深い不安がただよっているのです。

 

この人間存在の不安に敢然と挑戦されたのが

シッダルタ太子(のちのお釈迦様)の入山学道でした。

 

 

=========


仏教の教えをわかりやすく体系的にお話する

20回の無料メール講座好評配信中。



 

=========


仏教の教えをわかりやすく体系的にお話する

20回の無料メール講座好評配信中。