親鸞に学ぶ幸福論

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追突事故は10対0だが、追突された側にも実は問題がある【娑婆(2)】

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私は生涯で2回交通事故に遭ったことがあり、

その二回とも追突でした。

 

一回目の事故は、前の車が右折して通り沿いにある店に入ろうとして

急にブレーキをかけまして、後ろにいた自分もあわてて止まったのですが、

その時点で私の後ろの車、反応できるのかな、と身構えたのですが、

案の定ぶつけてきたというものでした。

かなりの衝撃でしたが、身構えていたので、

むち打ちにはなりませんでした。

ぼぉーっと運転してたとかで、平身低頭謝ってこられました。

 

もう一回は私の車が大型トラックの後ろに並んでいて

一緒に信号が青になるのを待っていたのですが、

青になった時に突然そのトラックがバックしてきまして、

「おいおい!」と声に出してるうちにぶつけられてしまいました。

アクセルとバックを間違えたとのこと、

これも追突として処理しました。

 

追突は10対0の過失でぶつけた方が悪いことになっています。

どんな事故でも被害者もいくつかの非があるとみなされ、

9対1とか8対2とかいう過失割合で査定されます。

 

唯一、追突だけは10対0です。

よって私は全額修理費を負担してもらった立場になったのですが、

それでも自分としては、

もっと私が機転きけばおきなかった事故であることは

自覚しているのです。

 

一回目の事故なら、

ブレーキをかけてきた前の車にびっくりして

自分も急ブレーキをかけてしまったのですが、

もうちょっとゆるやかなブレーキもできたと思うのです。

 

二回目なら急にトラックが下がった時に

声出すのでなく、

すぐにクラクションを鳴らさなかったのが原因だと思ってます。

 

追突に遭う人は運転が下手だからだと

今の私は思っていますが、

これは自分の経験からの理解です。

 

長々と交通事故の話をしてまいりましたが

このように交通事故にも10対0はまずないように、

人間関係上、様々なケンカも

一方的に相手が悪いということはないように思います。

 

明らかにAが悪い、という場合でも、

それでも9対1くらいで、

Bにも1くらいは何か問題はあった、ということはいえるのです。

 

そうなると、

「自分はいつも一方的にひどい目に遭う。私は何も悪くないのに。」

という人の中にもよくよく考察すると

10対0とはいえない、

その人が人間関係のトラブルに遭う原因を抱えていることがあるものなのです。

 

明日に続けます。

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