親鸞に学ぶ幸福論

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レオナルド・ダ・ヴィンチの晩年の言葉に生きる意味を考えさせられる【一生参学の大事(2)】

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死を前にして沈鬱になったレオナルド・ダ・ヴィンチに

「先生には数々の素晴らしい業績や芸術作品があるでは

ないですか。」と弟子が励ましました。

その時、彼は
「今死んでいく自分にとって、
そんなものが何になる。」と
首を横に振りました。

「それでも、先生の教えられたことは私達の心の中に
くっきりと焼き付いて生き続けます。」と弟子が言うと

「そういうお前たちも死んでゆく…。」と力なく言ったそうです。

 

「後世に意義のある何かの功績を残す。」

「生きた証をこの世に残しておく。」

それが人生の目的だという人は多いですが、

そういえましょうか。

 

スカイツリーとて、千年たったらどうなってますでしょうか。

 

金メダルを取ったといっても、千年たったらその功績は

人々の記憶に残っているでしょうか。

 

たとえ千年残り続ける功績があったとしても、地球規模の歴史を語れば

千年といっても、ほんの瞬きの間になってしまいます。

 

地球の誕生から現在まで50億年という月日が流れていますが、

400万年前に猿人が現れ、80万年前にジャワや北京に原人が現れ、
次に
15万年前にネアンデルタール旧人、3万年前にクロマニヨン新人が
現れたとされます。

 

人類らしきものが地球上に現れたのはせいぜい400万年前であり、

地球の誕生から現在までを1日経過したと仮定すれば、
人類は、
ほんの1分前に現れたことになるのです。

ましてや千年間など一瞬の電光にしかなりません。

 

私たちも歴史と呼んでいるのはたかだか三千年程度であって、

一万年もさかのぼれば、どこに何という人がいたか、

どんな功績を遺したか、誰も知りません。

 

悠々たる天壌を前に、遼々たる古今の中で、私たちは

“いま”生きている。

そしてさっと水泡のごとく消えていく。

その瞬きほどの人生、なぜ生きるのでしょう。

 

この深い虚無感に光が差すことがあるのでしょうか。

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