親鸞に学ぶ幸福論

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無宗教でも、みんな何らかの信者

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「信心」とはどんなことか、

親鸞聖人の教え、仏教を理解するのに、

極めて大事なことなので、

このたびのテーマで取り上げることにしました。  

 

「信心」という言葉には、

ある一つのイメージがつきまといます。  

"信心深い人"と聞いて想像するのは、

高齢の人ですよね。  

 

若者にとってみれば、 無宗教を自負する人が多いので、

「信心」という言葉は 自分とは関係ないと思っているのが一般的です。

 

  しかし、「信心」とは、字の如く、

「何かを心で信ずること」です。  

神や仏を信ずるだけが信心ではありません。  

 

一例を挙げれば、 私は美容院ではなく、床屋に行くのですが、

それは床屋だとひげをそってもらえるからです  

床屋でひげをそる時は カミソリを用います。  

T型カミソリでなくて、 本格的なカミソリですよ。  

これをのど元やあごの下にあてて、 ひげをそっていくのですが、

よく考えてみれば、 もし床屋が変な気をおこして

このカミソリを横にサーッとひいたらどうなりますか。

首には脳に血液を送る太い頚動脈があるんですが、

これが切られたら一気に出血多量で死んでしまいます。  

そんな頚動脈のある首筋にかみそりを当てるのですから、

赤の他人に命預けているようなものなんですが、

自分自身振り返ってみても ドキドキハラハラもしない、

気持ちよくて、どうにも睡魔が襲ってくる。

いや、自分だけではない、 ほとんどの客は寝ているし、

中にはいびきかいている者までいる。

なぜそんな平気でおれるのかといえば、

「まさか床屋が変な気を起こすこともないだろう」

と床屋を信じているから、でしょう。  

 

今まで私は何度か 夜中に高速道路を友人と交代で運転して、

遠距離移動したことがありますが、

あれも運転手のハンドルに 命あずけているようなものですよ。

 

もし夜中の間、運転手が居眠りでもして追突でもしたら、

車は大破し、即死の可能性が高いのです。  

 

急ブレーキ音で眠りから起こされたと思ったら、

激突の衝撃と共に身体が前のめりになり、

フロントガラスに頭を強打し、即死。

 

よく聞くような事故ですが、

「まさかそんなめったなことはなかろう、

夜中の間、自分は眠りこけても、運転手が寝るはずがない」

と、その運転手を信じ込んで、 シートベルトもつけずに寝てしまう。  

 

もし何も信じない、無信心だと言い張るなら、

その人は床屋にも行けなければ、 車にも乗れない。  

 

そもそも明日があると信じて、

手帳つけたり、今後の計画を立てているではないか。  

ひょっとしたら何かの事故か事件に巻き込まれて、

今晩限りの命かもしれないのに、

まさかそんなはずがなかろう、と 堅く自分の命を信じています。  

 

人間は何かを信じなければ、

一時として生きていくことはできない存在なのです。  

 

「世の中には信じられるものなんて何もない」

と主張する者、もしあらば

「ではあなたは、“世の中には信じられることなど、一つもない。”

という思想を信じているんですね」

と切り返されるでしょう。  

 

全ての人は何かの信心を持って生きているのです。    

 

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