親鸞に学ぶ幸福論

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人生の希望を失った地で徹底的に『生きる意味』を伝えられた親鸞【外道(4)】

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平成7年、日本中を震撼させたオウム事件は

何だったのでしょうか。

 

一言でいえば、

必死に求めても「生きる意味」を知りえぬいらだちが生み出した悲劇の一つ、

と言えるかと思います。

 

オウム裁判に登場した数ある元信者の一人が

中学3年生で、こんな詩を書いています。

 

「朝夕のラッシュアワー

時につながれた中年たち

ちっぽけな金にしがみつき、ぶらさがっているだけの大人達

工場の排水が 川を汚していくように

金が人の心をよごし、大衆どもをクレージーにさす

時間においかけられて歩き回る一日がおわるとすぐ、つぎの朝。

日の出とともに 逃げ出せない、人の渦がやってくる。

救われないぜ。

これが俺たちの明日ならば逃げ出したいぜ。

金と欲だけがあるこの汚い人波の群れのなかから夜行列車にのって」

 

 

中学3年生らしい幼い文章ですが、

人生の苦を鋭敏に感じ取っていたように思われます。

 

 

満員電車、

時間に追い立てられる日々、

金を得るため、と毎日毎日同じことをして

つまらないことばかり味わって

それでも生きていくには仕方がない、

とため息ついている、

そんな日常にいったいどんな意味があるんだろう?

子供ながら敏感に感じ取っています。

 

『人間の奥底には生きる意味を死に物狂いで知りたがる願望が

激しく鳴り響いている』

とカミュは言っています。

 

「何のために生きているのか」

「どんなに苦しくても生きねばならないのはなぜか」

砂漠でのどの渇きに苦しむ人が水を欲するように、

みな「生きる意味」を心の底では

必死に求めているのではないでしょうか。

 

「自分の存在意義に正面から答えてくれたのは教祖麻原だけだった」

とある元オウム信者の青年が漏らしたことがありました。

 

求めても求めても得られず、

人生の目的に渇き切った心は、

オウムの泥水でもすすらずにいられなかったのでしょう。

 

オウムはこんなに危険な団体だった、

洗脳は恐ろしい、

あれもこれも奇跡は全部インチキだった、といくら暴いても

それは「オウムはこんなに泥水だぞ、飲むとおなか壊すぞ。」

と言っているようなものです。

 

オウムの泥水を飲むなといくら言っても、

飲料水を与えねば、他の泥水に走るだけです。

 

第二、第三のオウムが現れるだけです。

あるいは薬物、自殺、無軌道な殺人という形になるのです。

 

800年の古、親鸞聖人が40歳過ぎに赴かれた関東は

外道邪教迷信の跋扈する地でした。

 

その武蔵野の大地に立たれて親鸞聖人は

人生の目的に乾ききった心に、

清らかな水を徹底提供することこそ急務、

と強く使命感を燃やされたのです。

 

『普(あまね)く甘露(かんろ)の法雨を注いで、

遥(はるか)に枯渇(こかつ)の凡惑(ぼんわく)を

潤(うるお)さんがためなり』

とそのことが記されてあります。

 

『甘露の法雨』とは仏教のこと。

『枯渇の凡惑』は人生の目的に乾ききった心を抱えた人間のことです。

 

清らかな水を徹底提供したい、

その使命感こそ親鸞聖人の原動力でした。

 

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