親鸞に学ぶ幸福論

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内道と外道とは? 仏教は内道に導き、幸せに向かう教え

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『外道(げどう)』とは仏教の言葉です。

道理に外れた教え、ということです。

仏教では三世十方を貫く真理のことを『道理』といいます。

『三世』とは過去世、現在世、未来世のことで

「いつでも」ということです。

『十方』とは東西南北上下四惟のことで

「どこでも」ということです。

いつでもどこでも変わらない真理、

古今東西を通じて普遍の真理を『道理』といい、

その道理に反する教えを『外道』というのです。

 

一方、仏教のことを『内道』と言います。

道理の内側の教え、

いつでもどこでも変わらぬ真理そのものが

仏教に説かれているので

『内道』と称されたのです。

 

これにより釈迦はすべての宗教思想を

「内道」と「外道」とに峻別されました。

 

今日「外道」といえば、

人の道を踏み外した、倫理観の欠如した、

ひどい人物像のイメージがあるので、

「あいつは外道だ」と言われたら

かなり辛辣な悪口の部類に入るかと思います。

 

犯罪を犯した人に対し、その犯罪の内容によっては

「あいつは外道だ」と言われますし、

人を傷つけて生きてきた人にはやはり

「アレは外道だ」と非難されます。

 

今日、仏教の言葉は多く誤解されていますが

この言葉もその一つといえましょう。

元来の意味からすれば

別に人柄や素行をもって外道かそうでないか、

分けられるものではありません。

 

だいたい人柄を問題にすれば、

叩けばほこりの出ない人はいない、

どんな人でも過去の人生経験の中には

人を傷つけたり、泣かせたり、貶めたりしたこともあるはず、

まして仏教では身体でやった行為より

心で思うことを問題にしますので、

心まで暴かれたら、誰か一人でも

清らかな聖人君子と合格する人はありましょうか。

 

仏教でいう「外道」とは、

道徳的に劣った人物を指して言うのではありません。

あくまでも真理に反した思想、教義を『外道の教え』といい、

そういう教えを信じている人を『外道の人』というのです。

 

どんな人でも真理を知らなければ

外道の発想しか出てきませんから、

すべての人は外道から始まるのです。

 

では外道の発想とは何か、と言いますと

「自分がこんな目にあうのはあいつのせいだ、こいつのせいだ」

と他人のせいで苦しんでいる人の思考です。

『他因自果』の発想です。

 

一方、内道である仏教は、徹頭徹尾『自因自果』

『まかぬタネは生えぬ、またタネは必ず生える』

一切の運命はすべて己のまいた種の結果

これに万に一つも例外はないのだよ、と説かれます。

 

この外道から内道(仏教の異称)へ導かんとされるのが

お釈迦様の教えです。

 

 

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