親鸞に学ぶ幸福論

「そんなにしてまでなぜ生きねばならないのか」はっきり示した、メールdeで学ぶ仏教教室です。無料メール講座が好評です。受講者4000人。

レオナルド・ダ・ヴィンチの功績も地球規模でとらえてみれば・・

f:id:kikuutan:20150530080420j:plain

 

死を前にして沈鬱になったレオナルド・ダ・ヴィンチに

「先生には数々の素晴らしい業績や芸術作品があるではないですか。」

と弟子が励ましました。

 

その時、彼は

「今死んでいく自分にとって、そんなものが何になる。」

と首を横に振りました。

 

「それでも、先生の教えられたことは私達の心の中に

くっきりと焼き付いて生き続けます。」

と弟子が言うと

「そういうお前たちも死んでゆく…。」

と力なく言ったそうです。

 

「後世に意義のある何かの功績を残す。」

「生きた証をこの世に残しておく。」

それが人生の目的だという人は多いですが

そういえましょうか。

 

スカイツリー、北陸新幹線とて、

千年たったらどうなってますでしょうか。

 

金メダルを取ったといっても

千年たったらその功績は人々の記憶に残っているでしょうか。

 

たとえ千年残り続ける功績があったとしても

地球規模の歴史を語れば千年といっても

ほんの瞬きの間になってしまいます。

 

地球の誕生から現在まで50億年という月日が流れていますが、

400万年前に猿人が現れ、

80万年前にジャワや北京に原人が現れ、

次に15万年前にネアンデルタール旧人、

3万年前にクロマニヨン新人が現れたとされます。

人類らしきものが地球上に現れたのはせいぜい400万年前であり、

地球の誕生から現在までを1日経過したと仮定すれば、

人類は、ほんの1分前に現れたことになるのです。

ましてや千年間など一瞬の電光にしかなりません。

 

私たちも歴史と呼んでいるのはたかだか三千年程度であって、

一万年もさかのぼれば、

どこに何という人がいたか、どんな功績を遺したか、

誰も知りません。

 

悠々たる天壌を前に、

遼々たる古今の中で

私たちは“いま”生きている。

そしてさっと水泡のごとく消えていく。

 

その瞬きほどの人生、なぜ生きるのでしょう。

 

この深い虚無感に光が差すことがあるのでしょうか。

=========


仏教の教えをわかりやすく体系的にお話する

20回の無料メール講座好評配信中。