親鸞に学ぶ幸福論

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人は呼吸するために生きているのではない、とルソーは言った

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「なぜ生きるの?」

「生きるためだよ。」

「生きるために生きてるの?」

「そうだよ。文句あるか。」

 

こんな掛け合いを何度か経験しましたが

文句大有りです。

 

「何のために勉強しているんですか」

と聞かれて、

「希望の大学に合格するためです」

という答えなら理解できますが、

「勉強するために勉強しています」

では、ナンセンス、意味不明です。

 

「なぜダンス教室に通っているの」

と尋ねて、

「あのステキな先生と踊れるから」

なら分かりますが、

「通うために、通っている」

では、トートロジー(同意語反復)で、

何も言ってないのと同じです。

 

「生きるために生きる」のは、

ちょっと考えれば、

言葉の意味からもおかしいと分かるでしょう。

 

歩いている人も、

どこかへいくために歩いています。

 

あるいは気分転換に散歩、

運動のためというのもあるでしょうが、

少なくとも「歩くために歩いている」人は一人もいません。

 

「歩くために歩いている」人、もしあらば、

その人の未来は【行き倒れ】あるだけです。

 

同じように「生きるために生きる」と強弁する人の未来は、

「死ぬ」だけです。

 

「生きるために生きる」とは、ほかならぬ

「死ぬために生きる」と言っているのと同じです。

 

「人は呼吸するために生きているのではない。

 何かをする為に生きているのだ。」

とルソーは言いました。

 

その『何か』こそ、

真に一人ひとりが考えるべき命題でしょう。

 

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