親鸞に学ぶ幸福論

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霊の怨念より、 生身の人間の怨恨の方がはるかに恐ろしい

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先日、勉強会の会場の前で、

どこぞのおじさんに

「目が合って舌を出した。謝れ!」

と理不尽な言いがかりをつけられまして

殴りかからんばかりの勢いで迫ってきました。


最初は無視していたのですが、

勉強会が始まっても妨害しようとしてきたので

とにかくこの場を収めようと謝ったのですが、

それでも勉強会の途中もうろうろしているので

この後、もう一もんちゃくあるかなと覚悟していたところ、

いつの間にかいなくなっていました。


謝ったので、心もだいぶ収まったのかもしれませんが、

病的な反応で、刃物でも持ち出すのではないかという雰囲気もありました。


目が合ったくらいで

「ガンつけた。にらまれた。馬鹿にされた」

と思いこむのですから

これが恋愛のもつれやリストラや退学などの憂き目にあったとかなりますと

どれだけ激昂するかわかりません。


数年前ですが、

犯罪を通報されたことを逆恨みして、

出所後、かつて自分が暴行した被害者女性を殺害した男がありました。


あまりにも筋違いな恨みに、

法廷で裁判官が叱責したそうですが、

こんなのも珍しくないのかもしれません。


「恨み」「怨み」といえば

怪談やホラー話の「怨念」を思い出す方もおられるでしょうが

そんな霊の怨念より、

実は生きている人間の怨恨の方が

はるかに恐ろしいように思います。


仏教では愚痴の心といわれる、

この恨み妬みの心を

親鸞聖人は

「蛇蠍(じゃかつ)のごとし」

(蛇やサソリのような心)

と恐れられています。

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