親鸞に学ぶ幸福論

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自殺の前兆のサインは「生きたい」心から発せられる助けを求める信号

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「死ぬのもその人の権利だ」という主張を

ネット上などでも散見します。

死にたいという人を死なせてやってもいいじゃないか

という主張です。



「絶対死んではだめだ」という根拠のない、

押しつけ説教への反発から

そう言いたくなる気持ちは

過去の自分のことを思い出しても共感できるのですが、

この主張が蔓延するのを私は危惧してます。



死にたいという人の中に、

本心は(本人が気づいていなくても)

「生きたい」という人があると思うからです。



『いのちの電話』を受ける相談員によると

自殺者の示す、自殺の前兆のようなサインは、

「生きたい」という心から発せられる助けを求める信号である

といいます。



「今から死にます」という予告は

「これから死のうとしているのですよ、何とか助けてください」

と言っているのに等しい、とのことです。



苦しくて死を選んでしまった人も

生きようと努力してきたのです。



360度水平線の海の真ん中に放り出されて、

途方もない気持ちで泳ぐものの

島影一つ見えず、救助の船が通るわけでもなく、

やがて泳ぐ腕の力もなくなり、

「もう泳ぎたくない」

となっているような状況が

「死にたい」です。



助かりたい、と一縷の望みをかけて

水平線に向かって泳いでいたのですが、

どこまでも陸地が見えない、

もうそんなものはないだろう、

もっと泳げばあるかもしれないと励まされても

波はつらいし、腕に力も入らない。

こういう状況で溺れかかっているのが

「死にたい」だからです。



「死にたい」希望をかなえさせてやろう、ではなく、

「生きてきてよかった」と陸地を指し示すことこそ

大事なのではないでしょうか。



親に好かれたいと思ったのも

学校の勉強を頑張ったのも

起業して一旗あげようと思ったのも

幸せに生きるためだったのですが、

結局幸せになれなかった。

気付くと「死にたい」とつぶやくようになった、

ということでないでしょうか。



読者の方からメールが来ました。

30代の女性のようです。

「今以上に人生がよくなるとは思えないので、

 40になったら死ぬ予定です。

 もし生まれ変われるなら

 今度は幸せな人生をおくりたいな」



この先行き暗い絶望感にあって

もしかしたら明るい未来がまだあるのかもしれない、

と少しでもそんな心が芽生えるような、

希望を与える教えがあることを伝えていきたいと

思い新たにいたしました。

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