「アイデンティティクライシス」とは、
自分は何のためにここに存在するんだろう、と
不安になり、鬱になったり、自殺したりする、
人生の危機を指す言葉です。
当初は青少年の悩みとして取り上げられることが多かったのですが、
青少年だけでなく、
不惑と言われる40代でも
還暦迎えた60代でも
アイデンティティクライシスは厳としてあるのです。
六十代男性のこんな例もあります。
「『先生、私には居場所がないのです。どうしたらいいでしょう』
と、研修の場で相談を持ちかけられることが多くなっています。
定年になって、会社を辞めてから一カ月もすると、
家にいても身の置き場がない、
誠に哀れな状況になっているというのです」
(佐藤英郎「気づく人、気づかぬ人」)
男は自分の存在価値を収入と立場で計ろうとする傾向が強いです。
年収○○円、となればこれだけ稼げる俺は周りと比べて優秀なんだ
と誇りたくもなりますし、
○○部長、という肩書きがつけば、部下も相談してきたり、
周り中から信頼されますし、
今度のプロジェクトを任されたとなれば、
社運をかけた戦いに俺ががんばらねば、
と意気に燃えるようになり、
マイホームのローンも子供の学費もかかりますから
家族からも必要とされ、
これらが自己の存在価値になっているようです。
ところが定年退職すると様相は一変します。
会社では度々相談を受けたりして
信頼されていると思っていた部下たちも、
何の音沙汰もなくなる。
経済的にも家族から頼られなくなり、
かといって何か家の仕事ができるのでもない。
やがて病気になれば、人を支えるどころか、
支えられなければ生きられないようになってくる。
だんだん自己の存在に価値を感じられなくなってくるのでしょう。
それまで収入で男の価値をはかっていた人は、
子供より稼いでいない自己の現状に劣等感を感じるようです。
立場や肩書で人の優劣を決めていた人なら、
「~部長」「~助役」などの呼び名がなくなり、
ただの「~さん」に不安を覚えるのでしょうか。
それら劣等感が元で、
家族からぞんざいに扱われているという怒りになったり、
不安が八つ当たりになったりするケースもあります。
『無常を観ずるは菩提心の一なり』
退職を機に、
今まで信じていた価値観が崩れ、
本当の幸福は何なのか、
模索し、仏縁を結ぶ第一歩となれば
ありがたいことです。
次回もこのテーマについて掘り下げてみたいと思います。