親鸞に学ぶ幸福論

「そんなにしてまでなぜ生きねばならないのか」はっきり示した、メールdeで学ぶ仏教教室です。無料メール講座が好評です。受講者4000人。

人間関係を上手く運ぶために知っておきたい人間の心理【小慈悲(3)】

f:id:kikuutan:20150702213755j:plain

何回かにわたって慈悲について話をしてきました。

 

この「慈悲」というのは、簡単ではありません。

 

一例を挙げましょう。

 

大切にしたい恋人が苦しんでいたら、

誰も放っておきません。

 

その苦しみを何とかして、

とってあげたいと本気になります。

 

その結果、大切な人が苦しみから救われたら

胸いっぱいの幸せに包まれることでしょう。

 

恋愛をして、

「自分にこんな温かい心があったのか。」

とうれしいような、

戸惑うような気持ちを持った方もありましょう。

 

ところがこの「相手を幸せにしたい」という心、

無常なので、変わります。

 

「君の重荷を半分背負わせてくれ。」

とプロポーズする時のその台詞は、

正真正銘、本気です。

 

うそついて言っているのではない。

(どこぞの結婚詐欺は例外ですよ)

 

あるいは

「君の笑顔を守りたい」

これもその時は真心から出てきた言葉だったのでしょう。

 

ところがその心、続かない。

 

結婚して数年すると、結婚した奥さんよりも、

違う女性の苦しみをとってあげたくなってくる。

 

職場の薄幸の美女とか、

その人の苦しみのほうをなんとかしたくなってくる

 

奥さんからしたら、今の自分の苦しみに

目を向けなくなってきた夫に憤るのは当然です。

 

「君の重荷を半分背負わせてくれ。って、

あの言葉はうそだったの(怒)」と迫る。

 

夫からすれば、

(・・・うそだったのはない。当時は本気だった。)

(ただ・・・続かなかったんだ。)

 

奥さんからしたら、うそをついた、裏切った

ということになる。

 

こんな目ににあうなら、

あの時、あんな事、

言ってもらいたくなかった

と傷つけることにもなります。

 

私たち、慈悲の心はおきますが、

よく考えなければならないのは、

「本当にこの人の苦しみをお前はずっと背負えるのか。」

「途中で放り投げるような無責任なことをしないか。」

 

遊びではなく、しっかり支えたいと思った時には

こういうこと、自問自答するだけの責任はあります。

 

そんなことにちっとも無頓着で、

「君の重荷を~」

「君の笑顔を~」

何かの挨拶のように色んな人に言いまくるのは

【無責任な人】か、あるいは

心の無常を知らない【子供】です。

 

歎異抄には、

この人間の慈悲の不徹底さを

『思うがごとく助け遂ぐること極めて有難し』

と書かれています。

 

 

=========


仏教の教えをわかりやすく体系的にお話する

20回の無料メール講座好評配信中。