親鸞に学ぶ幸福論

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10対1の追突事故にもミスの原因がある【禅定(3)】

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私は今まで運転歴20年ですが、

おかげさまで無事故を続けています。

 

しかし追突されたのは二回あります

 

あれは腹が立ちますね~。

「ちゃんと見て運転しろよ!」

と言いたいところですが、

それは大人げないですから

紳士的に事故処理を進めました。

 

ふつう事故を起こすと、

責任割合を調査されます。

 

そして9対1とか、

8対2とか判断され、

それに従い慰謝料、修理代など決められます。

 

ところが追突の場合だけは、

されたほうは10対0で、

一方的に修理費を相手に出してもらいますし、

運転歴にも傷はつきません。

 

だから警察を呼んで追突であったことを確認させ、

対応しました。

 

よって一方的に修理代など

相手の保険から払ってもらいました。

 

しかし自分の思いとしては、2回とも

私がもっと対応が早ければ、

起きなかった事故であることは

ひそかに自覚しているのです。

 

何かわが身に問題が起きたときに、

とかく私たちは周りのせいにしがちです。

 

しかし自分に何の非もないのに、

自分にばかり問題がおきることはありえません。

 

一方的と思われるアクシデント、不快な出来事も

必ず自分のどこかに問題があって、おきているものです。

 

もしあなたが

「1割くらい自分にも非はあったな」

と思われたら

その1割を正す。

するとその問題は自分にはもう全くおきなくなる、

ということはあるのです。

 

「盗人にも三分の理」ということわざがありますが、

たとえ他人のものを盗んでつかまった人でも

そうなるにいたった理由、正当性を持っているということです。

 

「おれをクビにした会社が悪い」

「子供を食べさせるには仕方ない」

 

 ・・・・etc

 

私も何かミスを犯して

一方的に責められたときには

こうなるにいたった言い訳の心が山ほど出てきます。

 

しかしあくまでも反省すべきは

「私がああいうことさえしなければ、こういう結果は起きなかった」

という歴然たる己の非です。

 

明らかな自己のミスでも、

10の中の1でも言い訳のきっかけがあれば

その1を針小棒大に

10の中の9はそれが原因だったかのように

思い込むのが私たちの常です。

 

たとえ10の中1しか自分に非がないとして

他の9は他の人に非があるのが事実だとしても

その1を謝罪し、反省し、

正していくべきが本来なのです。

そこまではなかなかできませんが

せめて自分に非があるときに

針小棒大に言い訳がましいことにしがみつくのではなく、

『自業自得』を明らかに見て、

己を正すきっかけとしなければならない

と自戒していきたいと思います。

 

 

 

 

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