親鸞に学ぶ幸福論

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諸行無常、中でも変わりやすいものは「心」

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テレビや街頭で平原綾香の「ジュピター」の音楽が

流れているのを聞くと、胸が締め付けられる、

という友人がいます。

先日などはカフェで流れてきて、

涙が出そうになったそうです。

「どうして?」と聞くと、

「4年前に別れた彼氏からのケータイの着信の

 メロディー音だったから」と

照れ笑顔で返しました。

 

彼女にとっては、携帯からそのメロディー音が流れてくる のが、

一日でも一番喜びを感じる瞬間だったのでしょう。

その彼氏と別れてしまった今、

4年たってもそのメロディーが聞こえてくるのが辛い、

というのですが、わかる気がします。

 

「氷雨」という演歌も情感を感じる歌詞でした。

北の酒場である女性がマスターに向かって語りかける歌詞になってます。

「酔わせてください、もう少し。

今夜は帰らない。帰りたくない。

誰が待つというの、あの部屋に。
そうよ誰もいないわ、今では」

 

【どうして人は別れねばならないのでしょうか】

仏教に『諸行無常』という言葉があります。

諸行とは全てのもの。

無常とは常がない。

すべてのものは変わっていく、ということです。

 

中でも無常なものは「心」だと説かれています。

心は、ころころころころ変わり続けるから「こころ」という。

「この人が好きだ」という心も、

あの時はあんなに真剣だったのに、移ろい変わっていき、
今はどこにもその時の心はない、

まさに【心ころころ】です。

 

恋人同士が、好きになるのも、冷めるのも、

両者同じタイミングで「1,2の3、ころっ」と

同時に変わるというのなら悲劇にはなリませんが、

そう都合良くはいきません。
たいていどちらかが先に心が変わりますので、

一方は辛い経験をしなければならなくなってきます。

 

相手が先に心が変わった場合は「裏切られた」「ふられた」「捨てられた」と称され、

こちらが先に心が変われば 「あきた」「冷めた」と言われます。

 

愛する人との至福が、いつの日か別れねばならない辛さに変じたり、

なかなか別れられない憂苦を生じさせたりするものです。

生きていれば、この苦悩は逃れられません。

 

源氏物語でもシェークスピアでも、

この苦悶にあえぐ人間が描かれてきました。

これはどれだけ文明が進歩しても変わりません。

こちらも相手もお互い変わり続ける心しかない。

 

そんな我々が、変わらない幸せを手に入れることが果たしてできるのでしょうか。

仏教はこの問いに敢然と目を向けています。

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