親鸞に学ぶ幸福論

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出会いと別れのくり返しの人生と気付いた時、   「なぜ生きる」のかとふと考える

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高田馬場で山手線に乗り込んだところ、
同じ電車の同じ車両に乗り合わせた人がそこには乗っています。


目を引くような落ち着いた美人が向かいに座っています。
右斜め前には口や鼻にピアスつけた金髪の青年です。
その他、いろいろな人を乗せて新宿方面に向けて
電車は動きます。


一駅一駅着く度にドアが開き、
何人かが降り、何人かが乗ってきます。
新宿で美人が降りてしまいました。
ピアスはまだいます。
駅で乗り降りが繰り返され、
渋谷あたりになると、
最初に車両に乗っていた人はだいぶいなくなって、
乗客の顔ぶれもずいぶん変わっています。
ついに五反田でピアスが降りました。
そして品川。

 

自分が降りる番です。
自分が降りた後も、今まで乗っていた車両は
たくさんの乗客を乗せてわいわいがやがやと
東京方面に去って行きます。

 

さて、この電車の旅は、人生の出会いと別れを象徴しました。
生まれたときにすでに人生の車両に乗っていたのが
お父さんであり、お母さんであり、
お祖父ちゃんであり、お祖母ちゃんです。
入学式、卒業式、入社や転職、引越しなどのたびに、
出会いと別れを繰り返しました。
私でしたら4人の祖父母のうち、
もう3人は人生の電車から降りてしまいました。

「ぜったい嫌だ、行かないで~」と嘆いても、
やっぱり降りるべきところで、人は次々と降りてゆきます。


ある駅で生涯の伴侶となる人が乗ってきます。
それから数駅行くと、ある駅で
自分の子供が乗ってきます。


どこかで自分の両親も降りていきます。
「わしら、もうこの辺で降りなければならないから。
 あとはお前たち、しっかりやってくれ」と、
いつまでも一緒にいたい人も、
降りる時がきたら降りていきます。

いつかは【自分自身】が死んでいく時がやってきます。
自分が降りた後も車両の中に子や孫を乗せて
次の駅にと向かっていくのです。

 

そうなると、どんなに大好きな人でも、
人生という電車の何区間かを共にした、ということであって、
ずーっと一緒に居続けられる人、
というのは一人もいないのです。

 

郵政民営化法案で自民党が歴史的圧勝した時から
10年になるとのことですが、
あの当時、あなたの周りで一緒に過ごしていた人の顔を
思い出してください。
そのとき付き合った人、家族、飲み友達、
職場の上司、友人・・・
今もその人があなたの人生の車両に乗っていますか?

 

今、そばにいて接している人もあと10年もすれば
「あ~、あの頃、あんな人いたな~」と
遠い目をして懐かしむ人になっているかもしれません。

 

5年、10年、20年と時を経るにつれ、
新陳代謝激しく、自分の周りの人たちも変わっていきます。
サザエさんのように、20年経っても、
家族の団欒も職場の仲間も近所付き合いの人も
まったく変わらないというのは
ドラマの中だけのことです。

 

人生は出会いと別れを繰り返す。
これを仏教で『会者定離』といいます。
そしてその別れていく人が大切な人であった場合、
『愛別離苦』という苦しみになります。
何人も避けられない苦しみです。

 

この悲しみに耐えて生きていくのは何のためなのでしょうか。

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