ブッダは「自殺ほど愚かなことはない。」と説かれた方です。
愚かだと説かれる理由は自殺者は「飛んで火にいる夏の虫」だからです。
...夏に火に飛び込んで虫が死んでいくのはなぜなんでしょうか。
明りに群がるのが習性なのか、炎を花だと勘違いして蜜を求めて近寄ってくるのか、
少なくとも、あそこに飛び込むと焼け死んでしまう、
と覚悟して飛び込んでいるのではないでしょう。
無知なるが故の悲劇です。
お釈迦様が自殺を止められた話が仏典にありますが、
その止め方はどんな教育者もカウンセラーももう言わない、
発想もできないような止め方をされています。
そのエピソードを紹介しましょう。
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ある時、釈迦が托鉢中、
大きな橋の上で、辺りをはばかりながら一人の娘が、
しきりと袂へ石を入れているのを見つけた。
自殺の準備に違いない、と知った釈迦は、さっそく近寄り、優しくその事情を尋ねた。
相手が釈迦と分かった娘は、心を開いてこう打ち明けた。
「お恥ずかしいことですが、ある人を愛しましたが、今は捨てられてしまいました。
世間の目は冷たく、お腹の子の将来などを考えますと、死んだほうが
どんなにましだろうと苦しみます。どうかこのまま死なせてくださいませ」
娘は、よよと泣き崩れた。
その時、釈迦は、哀れに思い、こう諭している。
「愚かなそなたには、例えをもって教えよう。
ある所に、毎日、重荷を積んだ車を
朝から晩まで引かねばならぬ牛がいたのだ。
つくづくその牛は思った。
“なぜオレは毎日、
こんなに苦しまねばならぬのか、
自分を苦しめているものはいったい何なのか”と考えた。
“そうだ! この車さえなければオレは苦しまなくてもよいのだ”と、
牛は車を壊すことを決意した。
ある日、猛然と走って、車を大きな石に打ち当てて、
木っ端微塵に壊してしまったのだ。
ところが飼い主は、こんな乱暴な牛には頑丈な車でなければまた壊されると、
やがて鋼鉄製の車を造ってきた。それは壊した車の何十倍、何百倍の重さであった。
その車で重荷を同じように毎日引かされ、
以前の何百倍、何千倍苦しむようになった牛は、深く後悔したが後の祭りであった。
牛が、ちょうど、この車さえ壊せば苦しまなくてもよい
と思ったのと同じように、
そなたはこの肉体さえ壊せば楽になれると思っているのだろう。
そなたには分からないだろうが、
死ねばもっと苦しい世界へ飛び込まなければならないのだ。
その苦しみは、この世のどんな苦しみよりも
恐ろしい苦しみなんだよ」
そして釈尊は、すべての人に“後生の一大事”のあることを諄々と教えられた。
娘は、自分の愚かな考えを深く後悔し、釈尊の教えを真剣に聞くようになり、
幸せな生涯を生き抜いたという。
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